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気のいいおにいさんがヤンデレになるとは聞いてない!  作者: 夜星 灯
おにいさんがヤンデレになるまで
39/88

秘密は夜闇のなかで

 明朝、すやすやと寝息を立てる華を起こさないようにしながら家を出た朱羅が向かったのは、かつて釣り竿を朱羅にくれた、蔵之助という名前の男がいた村だった。


 その村は釣り竿を日常で使う人間がいるくらい、海に近い場所にあって。その村の人間は、釣りをしたり漁をしたりして魚を得て、農作物と交換したり、金子にして生計を立てているものが大半だった。


 華には言っていないが、朱羅はかつて子どもと呼べるくらいの年齢だったヨネがいたその村に住んでいたことがある。そのときのことを、あのご婦人は覚えていたらしい。

 あの日ヨネを説得するために会いにいったときに、その村で友人だった人間の男は、朱羅が人間でないとバレて村を出ていった日から、あまり時間をおかず死んでしまったのだと教えてくれて。


 それで懐旧の念に駆られて、今回墓参りに行くことを決めたのだ。


「すまない。蔵之助、という男の墓を知らないか?」

「いんや?知らんなぁ。そのような名前の男、村におったかえ?」

「……あぁ、名前の覚え間違いだったかもしれんな。手間をかけた、御老人」

「そうかい」


 知っていそうな人間を狙って何人かに聞いたけれど、墓の場所はおろか、蔵之助のことすら誰も知らないらしい。そもそも墓があるのかすらも怪しいが、辺りを探してみてもそれらしいものすら見つからない。

 むかし村では、風邪ではなさそうな病気に罹ると村八分が当然のように行われていた。だから、仕方ないと言えばそうなのかもしれないが。


 結局墓は見つからなかったから持ってきた品は、アイツが好きだった海へと流した。手向けの花と酒が波間に揺られて消えていく。目を閉じて手を合わせると、波の音がより鮮明に聞こえて。それがまるで、海へと還っていった人々の声の騒めきのようにも感じる。


 ――黄炎(きえん)


 何十年も前に聞いたきりの蔵之助の声が聞こえて、ハッと目を開いた。黄炎というのは人間に紛れて生活をするのに、朱羅だと人間的には字面の響きが良くないからと使っていた偽名で。そして、蔵之助のあの慌てたような呼び方は、朱羅が釣りに必要な大事なものを手から落としそうになったときにしていたもので。


「嫌な予感がする……!」


 それがまるで警告のように聞こえて、朱羅は踵を返すと村を抜けて。人目が無くなったことを確認してから、人化の術を解いて勢いよく駆け出した。


 *


 一睡もせずに駆け抜けた朱羅が村に着いたのは、予定よりも半日ほど早い時間。この村から出ていって2日目を迎える直前の真夜中だった。シンと静まり返った村の様子に異変は見られない。杞憂だったのかもしれないと、家に戻って扉に手をかける。


「…?」


 ガタっと何かがつっかえる音は、扉が開けられることを拒絶していることを示していて。朱羅の脈が少しだけ早くなる。


「華、華?俺だ、朱羅だ。開けてくれないか?」


 扉の向こうの華に聞こえるようにそっと扉越しにささやいても、何の応えもない。朱羅がつけた目印代わりの妖気はその場にいることを確かに教えているのに。海辺で感じた嫌な予感がじっとりと背中を濡らす。何もなくて、熟睡しているだけなら後でいくらでも直せばいいと、扉を開けることは諦めて押し倒す。

 ドタン!と存外大きな音を立てて倒れた扉の向こう、火のない囲炉裏のそばで、布の塊が丸くなっていた。


「華…?」


 ザリ、と三和土の砂が擦れる音が、静寂の中に響く。嫌に静かなその光景は、血もないのに、母さんが倒れていたときのことを朱羅に思い出させてくる。よろよろと布の塊に近寄ると、中から白い手が頼りなく覗いていて。


「華、華、俺だ、朱羅だ」


 呼びかけながら触れた手が、ゾッとするほど冷たい。ひゅっと息を呑んだ朱羅が、勢いよく布を剥ぎ取る。布の下には、華のぐったりとした西洋の陶器の人形のように青白い顔が見えて。


「なあ、おい。嘘だろ?華、華」


 情けなく震えた声が、自分のものではないかのように聞こえる。頬に触れた手のひらには、氷のような冷たさが返ってくる。恐る恐る口元に近づけた手には、今にも途絶えそうな弱々しい呼吸が触れて。


「生き、てる…!!!」


 勢いよく耳を胸元に当てると、死にかけの生き物特有の微かな鼓動の音がした。まだ、華は生きている。そのことだけが(よすが)のように感じて、朱羅はその体を掻き抱いた。けれど冷え切った体は、朱羅の熱だけではどうにもならなくて。


「どうすればいい…?!」


 このままでは、華が死んでしまう。そのことで朱羅の頭の中は一杯で、他のことに気が回らない。じわじわと朱羅の体を冷やしているのに、華の体は温かくならない。


「すお……、蘇芳、蘇芳!」


 鬼になりたての頃のように、頼りになる鬼の名前が自然と口を衝いて出る。鬼としての在り方も生き方も教えてくれた、親代わりで名付け親のような鬼の名前が。


「まーーーったく、吾がいないと朱羅はまだまだ子どもなんだから!」


 月明かりを背後に、扉があった場所からひょっこりと顔を覗かせたのは、呼びかけに応えるように現れた蘇芳で。朱羅は華を抱いたまま、迷子のような顔を蘇芳に向けた。


「なあ、蘇芳。どうしよう、このままじゃ、華が、華が死ぬ」

「そうだろうねえ。うーーーん、実は朱羅には教えていなかったけど、妖力には別の使い方があるんだよ」

「別の使い方…?」

「そ」


 蘇芳はピッと、指を一本立てて視線を誘導するようにゆらゆらと揺らした。妖力は妖術を使うために使うもの、目印としても使えるもの。それくらいの認識しかない朱羅が首を傾げると、蘇芳はにやりと嗤う。


「鬼はさ、昔から人間を攫ってお嫁さんにしてきたわけだけど。誰彼構わず連れ去る奴もいるけど、大体は見極めてから攫うから、お嫁さんのことちゃあんと好きなんだよね。怪我であれ寿命であれ、好きな人が先に死ぬのなんて耐えられないだろ?」

「……?!まさか」

「そーいうこと。人間ちゃんに妖力を吹き込むんだ。加減を間違えなければ、妖力が生命力にすべて変換されて、救命措置になる。半年くらいべったべたに妖力の目印が着くけどね。まあ、わざと間違えて一緒の存在にしてもいいけど」


 けらけらと嗤っている蘇芳は、ごゆっくり〜と言って背を向けて去っていった。吹き込む、ということはおそらく口吸いをしろ、ということなのだろう。


「すまない。……でも俺は、華を失いたくないんだ」


 誰かに懺悔をするようにそう呟くと、薄く開いている華のくちびるにそっと触れた。

 触れたくちびるは柔らかくて、冷たい。ふにふにと感触を確かめるように何度か、触れて離れてを繰り返して。


 そうして妖力を送り込むため、深くくちづけた。


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