おにいさん、私が甘かったのかもしれません
警戒して損はないだろうな、と言った朱羅の言葉を裏切るように、あれから雪ちゃんは私たちの前にぱったりと姿を見せなかった。次の日から朱羅に付き纏うかもしれないと不安に思っていたのに。
そして前に雪ちゃんが言い寄っていた利市さんだが、相変わらず朱羅の脅しが聞いているのか、私を見かけるとサッと顔色を変えて、そそくさと逃げていく。
なので、いまだに雪ちゃんが付き纏っているかは不明である。
言い方は良くないかもしれないけれど、この村の問題の二大巨頭が静かなので、今日も平穏な生活が送れている。
「華、少しいいか?」
朝食を食べながら、今日はどうしようかと考えていると、朱羅がそう声をかけてきたので一旦食べる手を止めた。口の中に物を入れたままなので話せないから、頷いて了承の意を示すと、朱羅は話を続けて。
「実は、むかしの友人の墓参りに行こうかと考えている。村の様子も落ち着いているようにも見えるから、雪に閉ざされる前に行っておきたくてな」
「んぐ、いいと思うよ。雪が降ると移動も大変だろうし、お墓参り行くならいいタイミング……えと、いい機会?だと思う」
朱羅の友人かあ。どんな人だったんだろう?そう思いながら、ごくんと食べた物を飲み込んでから頷くと、朱羅の顔が少しだけ綻ぶ。嬉しそうな様子が伝わってきて、なんだか私まで嬉しくなってくる気がする。
「そうか。そう言ってもらえると助かる。ただ、その場所はそこそこ距離があって、俺が本気で駆けたところで往復で2〜3日はかかる。そのあいだ、華ひとりで大丈夫か?」
朱羅が一番聞きたかったことは、ここなんだろうなと直感的にわかった。確かに、いまだに火はひとりで熾せないし、竈で調理をするのだって火加減の調節がうまくできなくて、失敗しそうになることがある。
けれど2〜3日くらいなら、火が消えないようにこまめに薪を足すことで、私だって火の確保はできるだろう。いつもは朱羅が、寝るときは囲炉裏の炭に灰を被せていて。朝になったらそれを掘り起こして、薪に火をつけているけれど。それができなくても、たぶん大丈夫だろうし。
自信はなくても、朱羅のやりたいことの邪魔をしたくはなくて。
「2〜3日でしょ?なら大丈夫だよ。朱羅みたいに寝るときに灰を被せてどうこうはできないけど……。でも、火が消えないようにしておくくらいならできるし」
考えながら言葉にしていくと、案外大丈夫なような気がしてきて。笑って伝えると、朱羅は少しだけ目を閉じて考えていて。私の返答が及第点だと判断してくれたのか、心配そうな表情をしながらも頷いた。
「すまないが、よろしく頼む。なるべく早く戻るが、寒くなってきているから、火は絶やさないようにしろ。消えてしまったなら、誰かに頼れ」
「小春さんっていう、お姉さんに頼ることにする」
洗い場で小春さんがいつでも頼ってちょうだいと言ってくれたことを思い出してそう言うと、朱羅は少しだけ安堵したように息を吐いた。
「ならいい。食事の手を止めさせてすまなかった。こういうことは、誰かの耳に入るより早い方がいい。悪いことを企むやつがこの村にいないなら話は別だがな」
「特定の誰かがすぐに出てきちゃうな?」
「ハハ、だろうな。明朝に出ることにする」
頼れる先がいることで安心したのだろう。朱羅はそう言って立ち上がると、私の頭を撫でてから膳を下げるために厨へと向かった。
*
そして次の日の朝。
いつもよりもうんと遅い時間に目が覚めた。朱羅の姿は、既に家の中に無くて。いつも朱羅が使っている布団も綺麗に片付けられていた。囲炉裏の火は消えないようにか、周りに薪が順番に火がつくように置かれていて。
「生活の知恵のレベル差がすごい……」
思わずひとりごとを呟きながら、布団からごそごそと這い出した。布団から出ても、空気が暖かくて、足をつけた床も暖かい。囲炉裏って意外と、元居たところの床暖房みたいに便利だなと改めて感心する。
それとは対照的にキンと冷えた水に、震えながら洗顔をすませると、朝ごはんを作ろうと厨に向かった。けれどそこには既に中身の入った鍋と、少しばかりの干し肉が置かれていて。
「料理も不安なのバレてる……」
至れり尽くせりなことに感謝を通り越して、なんだか面白くなってきた。目を閉じると、朱羅が私をひとりで置いていくことに、時間が経つにつれて不安が増したような様子が鮮明にイメージできそうで。
「過保護だなあ」
けれど、それが満更でもないと思ってしまって。
そこで私はようやく、既に色々手遅れなんだろうなと自覚する。友人として好き、と豪語していた癖に、気がつけば異性として好きになっていたのだから目も当てられない。
そもそもあの距離感を許していたり、好きになったら私が後悔すると思っていた時点で、朱羅にほぼ恋をしていたのだろう。いなくなってから自覚する、なんてことにならなくてよかったというきもちと、元の世界に戻るまで気がつきたくなかったというきもちが混在していて。複雑なきもちである。
「え、でも元の世界に戻るまでは二人暮らしじゃん……!?どうしたらいいの?!」
どんな顔をして会えばいいのかわからなくなりそう。そう思ったところで、むしろ生活を共にしていることを思い出して素っ頓狂な声をあげてしまう。熱くなってくる顔を隠すように両手で押さえてしゃがみ込む。けれど、小さくお腹がぐぅと音を鳴らしたことで、少しだけ冷静になって。
「よし、朱羅が帰ってきてから考えよう」
問題はすべてそのときの私に丸投げすることにした。未来の私に頑張ってもらおうと思う。きっとそのとき、過去の私を恨むのだろうけれど。
朱羅はいつも通りの日常を送って、俺がいないことを悟られないようにしてくれと言っていた。だから、私は朱羅といるときと同じように、けれどもひとりで釣り竿を持って川にやってきた。
「エサ……はつけられないから糸だけ垂らしておこ」
ミミズは相変わらず触れないので仕方なく、そのまま川へと投げいれる。釣り針が丸見えなので、これに引っかかる魚はよほどのお間抜けさんしかいないだろうなあと思いながら、ぼうっと過ごす。
寒くなってきたからと引っ張り出してきた、元の世界のコートの感触が少しだけ懐かしい。制服やスマホと同じく仕舞ったままだったけれど、この世界の防寒着の頼りなさに迷わず着てきてしまったのだ。パッと見た感じでは、色のおかげでこの世界のものともそこまで極端に変わって見えない、という朱羅からのお墨付きもあるので。
「……っくしゅ!」
とはいえ、寒いものは寒いので。くしゃみが出てぶるりと体が震える。結構経ったのだろうし、魚は相変わらず釣れないし。そろそろ戻ろうかなといそいそと帰り支度をすませる。そうして暖かな空気に包まれている家を想像しながら、早足で歩いて家へと帰った。
けれど。
「なに、これ……」
帰宅すると、家の中にあったものは軒並み荒らされていた。ヨネさんから譲り受けた着物の類は掴み出されて、囲炉裏のそばに投げ捨てられていて。朱羅の作ってくれていた鍋も、厨のある土間の三和土にぶち撒けられている。
もっとも異常だと感じたのは、囲炉裏と薪の様子で。明らかに人為的に水が撒かれていたのだ。薪は濡れると火がつかないということは知っている。けれど、こうなってしまったときの対処法なんて知らなくて。
「っどうしよ……」
ひとりで大丈夫だと言っておきながら、もう無理だと心が折れそうになっている。
こんなことになるなら家を出なければよかった。
そうしたら、せっかく朱羅が作ってくれた料理が無駄になってしまうこともなかった。
後悔ばかりが頭に浮かんでくる。
悔しくて、悲しくて、鼻の奥がツンと痛む。我慢しようとくちびるを噛み締めてみても、どうにもならなくて。次第に目の奥が熱くなってきて、じわじわと視界が滲んでくる。
けれど、泣いていてもどうにもならないことだけはわかるから。まずは散らばっている物を片付けることから始めようと、湧き出てくる涙をそのままに、そっと近くの着物を手に取った。




