おにいさんに近づかれるともやもやします
唐突に始まった朱羅との生活は大変だった。
と、いうことはまったくなく。
むしろ、朱羅の生活が大変になったのではないかと思える。
「起きろ華。朝だ。今日は川で魚釣り対決のりべんじまっち?とやらをするんだろう?」
「ン……」
朱羅に優しく声を掛けられて、微睡みながら呻くように返事をする。ともすればすぐにでも二度寝しそうだけれど、頑張ってうっすらと目を開けて。そうすると、朱羅の顔が視界にぼんやりと映るので、まばたきを繰り返す。そうしてぼやけた視界がクリアになる頃、朱羅は薄く微笑んで。
「おはよう、華」
「おはよ、朱羅」
そうやって挨拶を交わし合うのが日常になりつつある。
とはいえ、挨拶を交わし合ったからといってシャキッと起きられるわけではなく。寝起きでぽやぽやとした思考では、ぼうっとしがちになってしまう。
「華、起きたなら身支度を整えると良い。俺は薪でも切って時間を潰しているから。終わったら声をかけてくれ。いいか?」
そう言って覗き込んできた朱羅の顔をぼんやりと見つめる。形の良いキリッとした眉に、きらりと光る黄金に似た琥珀色の瞳。薄い唇に、スっと通った鼻筋。額からは鬼である証のツノが、なんともいえない光沢を誇っていて。今日も朝から朱羅は変わらぬ美丈夫っぷり。
「華?はーな、聞こえてるか?」
「起きてるよお、今日も美って感じだね」
「ハハハ、毎日飽きないな。そら。布団から出してやるから、準備しておけよ」
ぼんやりと思ったことを口にすると、朱羅は少しだけ照れくさそうな表情を浮かべた後、すぐにしかたないなとばかりの目で私を見つめて。そうして、ぐっと布団に座ってぼうっとしている私を立たせると、くるりと背を向けて外へと出ていった。
立ったことで、少しだけ目が覚める。朱羅は毎日あの手この手で起こしてくれるので、なんだか少しだけ申し訳ないきもちになる。ヨネさんがいたときは、声をかけても私が起きなかったら布団をひっぺがして起こすというのがスタンダードだったので。それに比べて朱羅の起こし方は、私にとって優しすぎる。こんなに甘やかされてしまっては、ただでさえ好きではない目覚ましの音がさらに嫌いになりそうで。
「朱羅のせいだ……」
聞こえないことをいいことに、ぽつりと恨み言を呟いた。元の世界に戻ったときにスッキリ起きられる体質にでもならない限り、この起こし方を恋しく思うことは必至なので。
「朱羅?終わったよ」
準備を終えて外に出ると、人化の術をかけたらしい人間の姿をした朱羅の他に、なぜか雪ちゃんがいて。朱羅は嫌そうに眉を顰めているが、気にした様子もない雪ちゃんは朝から騒がしく朱羅に話しかけていた。
「えぇ〜!すごい男前!誰ですかあ?」
「名乗るほどではない。気にするな」
「あ、わたし雪っていいます!みんなお雪ちゃんって呼んでくれるんですよ!わたしが名乗ったんだから、貴方も名前教えてくれますよね?」
「聞いてもいないし教えるつもりもない」
「そんなこと言わずに!!」
きゃぴきゅるん、という表現が相応しいような雪ちゃんに対して、朱羅は一貫して声のトーンも変わらず、面倒だと思っていることを隠しもしない。変な場面で来ちゃったなあと、踏み出していた足を引くと地面で砂が擦れて足音が鳴ってしまった。
「華!終わったのか?」
その途端、辟易とした様子を隠しもしなかった朱羅がパッと表情を明るくして。それをしっかり見てしまった雪ちゃんにキッと睨まれてデジャヴを感じた。
「あー、うん。終わったよ!じゃあ私たちはこれで!」
雪ちゃんに言い寄られている朱羅にちょっとだけもやもやして、私の腕と朱羅の腕を勝手に組んで、家へまっすぐに帰ろうと数歩の距離を急ぐ。
「ご飯食べたら川に行こうね」
内緒話をするように背伸びをして耳元に顔を近づけると、朱羅が顔を傾けて耳を近づけてくれたのでそう囁いて。近い距離で朱羅と目があったので、小さく笑う。ところで雪ちゃん、きみは利市とかいう男が好きじゃないんですか?心の中で問いかけた言葉には、もちろん誰も答えてくれなかった。




