おにいさん、その手はずるいです
「そういえば、ヨネのところに娘夫婦が来ると言っていたな。問題はないか?」
蛟のいる祭壇からの帰り道。村まで大した距離ではないけど送ると言ってくれた朱羅の言葉に甘えて、2人並んで歩いているときに、不意にその言葉を投げかけられた。
問題はない、けれど。困っていることはある。それを正直に言っていいものか、悩んで口籠もってしまう。朱羅は天邪鬼の対応も、何故だか乗り気ではないように見えたから。これ以上頼るのは良くないのかも、と思ってしまって。思考を巡らせるのに集中してしまったせいか、知らないうちに、足を止めてしまっていた。
「どうした?」
ついて来ていない私に気がついたのか、朱羅が振り返って不思議そうに尋ねる。人里に近づくからと、人化の術をかけている朱羅。前に朱羅は人化の術は地味に疲れる、と言っていた。それでも私の立場や周囲の目から守るために朱羅はその労力を厭わずに、毎回自然にその術をかけてくれていて。私はそんな優しさを向けてくれている朱羅に頼ってばかりで、何も返せていない。それなのに、さらに頼るのか。
「…朱羅は、これ以上頼られるのは迷惑、だよね?」
マイナスなきもちに引き摺られたままの言葉が、弱々しく口から音になって逃げていく。その小さな声を聞き取ったらしい朱羅は、うっそりと笑って。
「いや?もっと頼ってくれていいぞ」
「え?」
「俺がいなくなったら死ぬ。そう言ったわりに、華は俺がいなくても周りに頼って生きていけそうだから」
ざりっ。朱羅がこちらに足を踏み出したときの砂の音が、やけに響く。少しずつ距離を詰めてくる朱羅は、変わらぬ笑みを浮かべていて。それがいつもの朱羅と違って見えて、少しだけ怖い。無意識に腰が引けて、一歩ずつ後退しようとするよりも早く、朱羅の手が頬に触れて、顔を持ち上げた。
「っ?!」
朱羅の目は、ひたりと私を見据えていて。自分以外のぬるい体温が、じわりと頬で溶け合う。触れている手は、私を傷つけるものではないけれど、どこか落ち着かなくて目を伏せる。けれど、朱羅は視線を逸らしたことを咎めるように、目の下を撫でた。促されるようにして視線を戻すと、そこには朱羅の瞳が蜂蜜のような甘さでもって蕩けていて。それを見ていられなくて、ぎゅっと目をつむる。そうすると、暗闇のなかで吐息のような笑い声が落とされて。衣擦れの音がして、朱羅の気配がさらに近くなる。
「華が、もっと俺のこと頼って、何をするにも俺の助けがないと不安で不安でどうしようもないくらいまで、俺に依存すればいいのに」
耳元でささやかれた言葉は、少し掠れていて。その声が孕む色気に背筋がぞわりと粟立つ。気を抜けば足から崩れ落ちそうなくらいの甘やかな色気が、容赦なく私を攻め立てる。
「なんて、な?」
その妖しいまでの魅力に気圧されていると、冗談めかした言葉とともにむぎゅっと鼻をつままれて。その途端、色のある雰囲気が霧散した。
「っ?!……か、からかったの?!」
ようやくまともに息が吸えたような気さえするなか、ハッと我に帰って朱羅に文句を言うと、朱羅はからからと笑って。さっきまでのたじろぐような雰囲気は影も形もない。
「さあな?それより、困ってることあるんだったら素直に言ったほうがいいと思うが、どうする?俺はこのままあの手この手で吐かせるのも、やぶさかでないが」
「朱羅ずるい!」
「何とでも言え」
からかうように、指先が鼻先をつついて離れていく。それにすらドキドキしてしまうので、おとなしく白旗をあげるしかなかった。
*
結局、朱羅にはヨネさんに対する私の考えだとか、今後どうすればいいのかわからないこととか、洗いざらい話す羽目になって。すべてを話し終えて、むすっとしながら朱羅を見上げると、宥めるように頭を撫でられて。
「ヨネが気にしていることはわかる。すぐに村を離れる決断をしなかったのは、華の生活能力の無さが原因だ」
「やっぱりそうなんだ……。一応、ひとりでも生きていけると思うんだけどな」
「ほう?なら華ひとりで火起こしできるか?」
「う。それは、前にできなかった、けど……火を絶やさなければいいんじゃないの?」
「不測の事態というのはいつだって起こりうるからな。できて困ることはない」
朱羅の言葉にぐうの音も出なくて、言葉に詰まる。本当にいまの私がしているのはあくまでお手伝い程度で、ひとりで暮らすには基礎生活能力的なところが足りないのだと、わかってしまったから。
「このわずかな間にそんなに基礎的なところ全部おさえられるのかなぁ……?」
自信のなさから弱気な発言をすると、朱羅がなんとも言えない顔をして。
「それ以外の方法もあるにはある……が、お前次第だな」
「?」
その発言の後、朱羅はなぜか言いにくそうに口籠もると、何度か深呼吸を繰り返して。そうして、覚悟を決めたように、言葉を音にした。
「華、俺と一緒に暮らせるか?」
「?暮らせるよ」
朱羅が私を害するわけがないので即答する。私が心配しなければいけないことは、何かの雑誌で見たのだけれど、好意的に思っている人(おそらくこの場合は好意的に思っている存在という意味)と一緒に過ごす時間が長ければ長いほど好きになってしまう、みたいな心理効果だけだ。朱羅のことを好きになってしまったら、元の世界とこの世界のどちらかを選ばなければいけないのはもちろん、色々な問題が出てくるのだから。
朱羅のことは好きだ。けれど、それはあくまで友人として、という枠にとどめなければいけない。
そうしなければ、あとできっと後悔するのは私だ。
「なら、その問題は俺に任せて欲しい。ヨネと話がしたいから、しばらくお前は娘夫婦のところにでも行っておいてくれ。そう長くはならん」
思索に耽っていると、朱羅は朱羅で何か結論を出したらしい。そう言って、私と村の入り口で分かれてヨネさんの家へとまっすぐ歩いて行った。




