朱羅の過去 4
寒さが厳しくなってきた頃のこと。
秋の収穫を頼りにしていた村人たちが、米が取れないとわかると森へと出かけるようになった。どうやら、キノコや栗などを根こそぎ採ってきているらしい。けれど、キノコはたいして日持ちがしない。保存用に乾燥させようと外に干そうものなら、一日中見張らなければ誰かに盗まれていく。
「母さん、おれ……」
「ダメ。確かにあの人たちに紛れて、キノコや栗を採りにいけば飢えに備えるように見せかけられる。賢いわ。でもね、帰ってこれないの。子どもは特に。気がついてる?ガキ大将と呼ばれているあの子の周りにいた子ども、減ってるのよ」
6割しか貰えなかった村人たちの米は日数に換算すると、多い人でも持って3ヶ月。家族がいるのなら、そのぶんさらに日数は減っていく。村長の家は、取り分を大きく変更したこともあって、3年はゆうに暮らしていける量だと村人たちは口々に囁いていて。
「最近では村長の家を襲撃する話さえ聞くわ。おとなしく家でじっとしているのが一番なの。いいわね?」
「……わかった」
だけど今、母さんは嘘をついた。襲撃するという話は聞いてもいないし、噂話にすら出ていない。けれど、こうやって口にするということは、近々起こるのだろう。その暴動が。言霊はある、そう言って不確かなことを言いたがらない母さんが音にしたということは、そういうことなのだ。
「ごめんなさい、これでも■■に窮屈な思いはさせたくないと思っているわ。でも、いまはあまりに……」
「大丈夫、わかってるから。それで、今日も三分粥でいいんだよね」
「ええ。どこも今はそうだから。形のあるお米なんて食べていたら、どうなるかもわからないわ。雪で完全に閉ざされて動けなくなった後に、普通のお米を食べましょうね」
母さんはそう言って微笑む。いつも雪に閉ざされると寒くてどこにもいけなくて大変だけれど、今年は雪に閉ざされたほうがマシな生活を送れそうだった。
「はやく雪が降ればいいのに……」
――そう願ったのが、悪かったのだろうか。
しばらく経ったある日、噂で山の幸はすべて採り尽くされて、残っているのは毒のあるものだけになったから、森にはもう誰も行かなくなったらしいと聞いた。
この数日で気温はグッと冷え、既に外は雪がちらつき始めていた。
「…っ?!■■、お願いがあるの。いい?」
不意に母さんが息を呑んで、焦ったように話しかけてくる。その姿は少し異様で。いつも落ち着いていた母さんのその姿に、首を傾げる。
「なに?それはおれにできること?」
「ええ、ええ。むしろ貴方にしか頼めないわ」
そう言って母さんは、おれの手にひとつの小さな袋を握らせた。なかには、銭が入っていて。今年は米だけではなく、どれも不作だったのだ。この銭の量なら、買えて葉物野菜の葉、それも外側のかたい葉が一枚とかになるだろう。
「…?母さん、これじゃあ野菜は買えないよ」
困惑した声を聞いた母さんは頷いて。おれの言葉を肯定するので、こちらも混乱してきた。どうしたらいいのかわからず、視線が袋と母さんとを行ったり来たりしてしまう。
「野菜じゃなくて、梅干しを買ってきて欲しいの」
「うめ、ぼし?」
「そう。たしか、貴方が優しくしてもらったおじさんのところの奥さんが、漬けるのが上手って聞いてね。私じゃ面識がないけれど、■■なら知り合いだもの。今はみんな厳しいけれど、これで5粒くらいは譲ってくれるかしら?」
母さんが言うおじさんとは、粃や青米について教えてくれた村人のことだ。料理上手な嫁がいるんだと、収穫のときにのろけていたのだ。
「坊主。お前さえよければ、この危機を乗り越えたらお前のとこのおっかあも誘って、一緒に飯でも食おう!うちの嫁は料理が上手で――」
そう言ってデレデレしていた村人がいたのを、家に帰ってきてから母さんに話していたから、覚えていたのだろう。村のはずれに居を構えていると言っていたが、幸い雪は積もっていない。それならすぐに帰ってこられるだろうと、母さんのお願いごとを引き受けた。
――それを後悔することになるとも知らずに。
*
頼まれごとを遂行するべく、村のはずれに向かって歩く。寒さ対策で着込んできたが、たいした戦力にはならず、ぴゅうっと風が吹くと寒さで震えてしまう。はやく行って、母さんのいるあたたかな家に帰ろうと、速度をあげて小走りをする。そのおかげか少しずつ温かくなるけれど、目的地についたとき、息を整えるために立ち止まっただけですぐに冷えてしまったので、気のせいだったのかもしれない。
「ごめんください」
入り口で声を張り上げると、家の中から驚いたようなおじさんが顔を出して。嫁さんであろう女性は、奥で小さくなっていて、首を傾げる。
「どうしたの、おじさん」
「坊主……いや、いい。寒かったろう?要件は中で聞いてやろうな」
そう言って、囲炉裏の火で温かい空気の中に招き入れてくれる。
――次の瞬間。
ガタン、と音を立ててつっかえ棒が戸に挟まれて、自分の身体が羽交い締めにされた。
「おじさん!!!?」
「悪いな、坊主。お前のためだ」
こんなことをしでかしておいて、自分のため…?何を言っているんだ?そう疑問に思いかけたとき、遠くから雄叫びが聞こえてくる。
「……まさか!!!?」
村長の家の襲撃。その話を思い出す。あのときはいずれそうなるかもしれないけれど、自分には関係ないとすぐに忘れてしまっていたのだ。そして、今日に至るまで村長の家は無事だった。それからおのずと導かれる答えはこれしかなかった。
「待ってくれ!かあさん、母さんがまだあの家に!!」
「ダメだ。あいつらはもう狂っている。僅かな食糧だろうと、根こそぎ奪うつもりだ。自分たちが生きるためにな」
それなら、貯蓄していた米を差し出せば母さんは助かるのではないか。なにしろそこそこの量がある。来年を迎えることも苦でないくらいに。壺に隠した分は封をして床下に埋めてある。置いてあるものが持っていかれたとしても、冬ぐらいは越せる。そうしたら、春になれば。そう考えている自分の耳に、信じられない言葉が飛んでくる。
「皆殺しさ。あの村はもう終わりだ」
その言葉を理解した瞬間、火事場の馬鹿力が出たのだろう。おじさんを突き飛ばすと、厳重な鍵をされているわけでもない窓から飛び出して、村へと走った。
たどり着いた村の様相はまさに地獄だった。あちらこちらで血を流した人間が呻いているのだ。かたわらには血のついた農具が転がっていて。おじさんの言う通り暴徒と化したのは村人なのだろうと知る。慌てて家に帰ると、母さんが頭から血を流して倒れていて。ひゅっと息を呑んで、よろよろと近づくと、母さんはおれの存在に気がついたらしい。
「わるいこ、ね……」
「母さん、でも、でもおれ、母さんが心配で」
「かあさんはね、貴方が生きていればそれでいいのよ」
母さんの血に塗れた手が、頬を優しく撫ぜる。引き寄せられた体から聞こえる心音は、酷く弱々しい。母さんの頭から滴る血が、首筋を辿っておれの髪につく。
「朝が……くる、まで、は。かあさんの、っ…、したにいなさい」
冷えた体に、母さんの体温がのしかかる。抱きしめられた状態で地面に転がっているのだ。既に床に落ちていた血溜まりに突っ込んだらしく背中側が、ひんやりとつめたい。動揺する自分の耳元で、母さんの震えた声がする。
「■■……ここ、から、……でたら、む…には………かえ…こな…で」
「わかった、わかったから。母さん、ちゃんとおれ、村の外に出たら帰らない。だから、」
母さんの話している声が、どんどんと弱くなる。頑張って聞き取った吐息のようなそれに、おれが小声で必死に返事をしている途中で、耳元でふーっと長く息を吐く音がした。そうして、上にある母さんの体が重くなる。
話すのをやめて耳を澄ませても、呼吸の音は。
もう、聞こえない。
――ぎゅっと目をつむる。
この悲劇が夢であれと願うように。
――そっと耳を塞ぐ。
母さんを殺した人間たちの喜びの声を遮断するように。
――くちびるを噛み締める。
泣き声が少したりとも漏れないように。
そうして、母さんの遺体の下で■■は息を殺した。
獲物を狙う獣のように。
「……」
明け方の日も昇り切らない時間、薄闇に紛れて■■は外に向かって駆け出した。母さんの血に染まった髪は既に乾いているから、血痕の痕跡を残す心配もない。ただ、この格好で彷徨くわけにはいかない。ある程度距離を置いたら川に入って身を清める必要があるだろう。
そうして、身を清めたら。
「殺してやる…!」
すべてを殺めて、奪い尽くしてやるのだ。自分がされたように、食料を奪い、親を殺し、そうして、すべてを。
「ハハ、ハハハハハハハ!」
走りながら狂笑する。駆け出して足を傷つけていた小石の些細な痛みすら、今はもう気にならない。
殺す、ころす、殺すコロスころす殺す…!
ころしてやる……!!
脳内は村人に対する殺意で満ちあふれていて。自身がどうなろうとも、必ずや母さんの仇を討つのだ。母さんとの約束は、このとき既に彼を縛りつける鎖として機能するには弱すぎた。
――殺してやりたいだろう?憎いだろう?この世のすべてが。ならば、堕ちろ。どこまでも、どこまでもどこまでも。修羅の道へと堕ちろ。倫理など取るに足らない。すべてを捨てて、殺戮に興じろ。さすれば、お前はすべてを叶えられる。だろう、■■?
そのときの自分は正気ではなかった。自分の中の声なのか、外から聞こえてくる声なのかもうまく判別できていなかった。ただただすべてが許せなかった。自分が持っているものなんて、たいしたものではない。
けれど、そのすべて。それこそ命までをも差し出して、復讐が叶うのだとしたらそれで良かったのだ。
「おやぁ?吾以外に鬼を見るのは久しぶりだなあ!」
「…誰だ?」
「吾かい?吾の名前は、蘇芳。これでも鬼神さ」
「鬼神……?」
「そ。きみの髪色が吾の名前の色と似てるから、声をかけたんだ。きみ、よく見ると霊鬼だね。ならついてくるといい。何もわからない鬼を導いてみるのも一興さ。
でもまあ、ひとまず。一緒にきみの恨みのもとをぐっちゃぐちゃに壊しにいこっか♡」
楽しいからさ!そう言って蘇芳と名乗った鬼がニタリと笑った顔は、確かに邪悪そのものだった。




