朱羅の過去 1
朱羅がまだ■■と呼ばれていた頃。
豊実村ではおよそ200人程が生活をしていた。当時の村としては規模が大きく、周囲の村よりも栄えていて。村長をしていた人間は多くの村人から頼りにされており、その期待に応えるように様々な問題を解決してくれていた。
村の人々は日々の生活を、明日の心配をすることなく過ごせていた。
「■■。お母さんの代わりにお隣さんに、この薬草渡してきてくれる?」
「わかった」
母さんから手渡された薬草は、すぐに使えるように処理が終わっていて。確かこの薬草は喉が痛いときに使うやつだったな、と思いながら家を出た。
「おい、待てよ!聞きたいことがあるんだ。お前のおっかあは、おっとうに捨てられたんだって?」
「……」
「おい無視すんなよ」
家を出てすぐのこと。
近くで自分が出てくるのを待っていたのか、村のガキ大将に呼び止められて。面倒に思いながらも視線をやると、そこには意地の悪い顔をしたガキ大将と取り巻きがいた。ハァ、とバレないようにため息を吐く。母さんに頼まれたお願いごとが終わるのおそくなるな、と思った。
「…おれに構うな。お前たちに割く時間がもったいない」
「くそ、お高く止まりやがってよ!」
どうせ無理だろうなと思いながら、言葉だけで追い払おうとしたけれど。予想通り時間のむだで。むしろその言葉で怒ったガキ大将が振りかぶった腕を避ける。このガキ大将はすぐに手が出るから、相手をするのが面倒なのだ。殴り飛ばしてもいいが、そうするとこいつの親が出張ってくる。母さんに迷惑をかける事は、本意ではない。故に避けるしかないのだ。
「防戦一方かよ?!」
「…もういいか?」
「その余裕が腹立つんだよ!捨てられたくせに!!もっと不幸ですって顔して、俯いてろよ!」
お前は捨てられたと意地の悪い顔で連呼されても、特に何も思わない。確かに、物心ついたときから自分の家族は母親しかいない。父親はどうしているのか、気にならないと言えば嘘になる。だが母親が話したがらない以上、無理に聞く必要もない。自分にとって生きているかどうかすらわからない父親のことよりも、母親の方が大事だし、父親がいないからといって不幸なわけでもない。そう結論を出しているので、周囲の陰口はどうだっていい雑音なのだ。
「ちょっと、やめなさいよ!」
「げ、鬼女だ!」
「ぶっとばすわよ!?」
一人の少女が助けに入ると、ガキ大将達はわらわらと蜘蛛の子を散らすように逃げていく。それを確認した少女は腰に手を当てて、ふんっと息を吐く。
「■■も■■よ!なんでやりかえさないの?」
「助けてくれたことには礼を言うが、頼まれごとがあるんだ。おれはここで失礼する」
「ちょっと?!」
背後で叫ぶ少女を無視して歩く。だいたいお前にガキ大将が惚れているから、おれに絡めばお前が出てくるのを知っているから辞めないのだ、と言おうとして辞めた。この少女は自らの正義感に酔っているのだ。
「■■って可哀想」
そう話しているのを前に聞いたことがある。可哀想というのは、無意識に相手を見下す言葉だ。それを聞いてから、彼女に思慕の目線を向けられようとも自分の価値観とはあわないなと、そっけなく対応することを決めている。
「おばさん、こんにちは」
お隣さんが物理的にもっと隣なら良かったのに。そう思いながら目的地に到着した■■は、中にいるであろうおばさんに声をかける。続けて用件を口にすると、言い終わる前におばさんがにこにこと笑いながら出てきて。
「母さんから渡すよう頼まれたもの持ってきた」
「あら〜!■■ちゃん、ありがとうね。それにしても流石ね。さっき喉が痛いなぁって思い始めたばかりなのに!」
嬉々として薬草を受け取ったおばさんは、畑で取れたけど形が悪くて売り物にならないのだという胡瓜をお礼だと言って分けてくれた。確かに形は売り物では見ないようなものだけど、味は変わらないだろうにと思う。
だがあのおばさんは、売り物で綺麗なものと形の悪いものが同じ値段で並んでいたら、人間は綺麗な方を買うものだということを知っているので、惜しみなくわけてくれたのだろう。
胡瓜を数本手に持って家へと戻ると、母さんがにこにこ笑いながら■■から胡瓜を受け取った。
「おかえり、■■」
「うん、ただいま。母さん」
母さんは刻んでおいてあった梅肉に、受け取った胡瓜を刻んで和える。梅肉にあわせるような食材は家になかったので、胡瓜を貰ってくることをあらかじめ知っていたのだろうと思う。母さんはおそらく、未来視ができるのだ。おれには教えてくれないけれど。
それなのに、いつも物事の結果を知っているかのような立ち振る舞いをしている。うっかりなのか、わざとなのかは知らないけれど。隠し事が下手なんだなと幼心に思ったことをよく覚えている。
「他に今日おれに手伝って欲しいことはない?」
「……大丈夫よ。ただ、うん、今日から少しずつ保存が効きそうな食糧を貯蓄しましょう。嫌な予感がするわ」
いつもどこか遠いところを見ている母さんの目と、珍しく視線がしっかり合っていると感じた。それのせい、かはわからないけれど。母さんの言葉がやけに重たい現実味をもって、二人しかいない部屋に響いて消えた。




