朱羅、自覚する
「っと、」
がくん、と糸の切れた人形のように崩れ落ちた華を抱き止める。朱羅の呪によって意識を失った彼女は、すぅすぅと柔らかな寝息をたてて眠っていて。朱羅は先程まで華が座っていた切り株に腰かけると、華の身体を膝の上で抱え直す。顔が見えるように横抱きにすると、動いた拍子にサラサラとした髪が顔にかかってしまったので、それをそっと払いのけた。
「にしても、まさか朱羅が本気になっちゃうとは。あのときもっと全力で引き離すべきだったかな。
——それとも、あの時点で手遅れだった?」
蛟がからかうように笑うのを聞き流して、朱羅は目を伏せる。ただあのときの朱羅は、本当に華から手を離せるつもりでいたのだ。
「さあな。それは今や俺にもわからん」
最初はただの興味だった。
見たこともない渡来品のようなものを拾って、どうしようかと考えて。すぐそばに人の気配があるから、これを探しているのだろうと寄っていったのだ。
そうしたらそこにいたのは、手入れの行き届いている艶やかな髪の女で。ころころと表情がかわる物珍しさと、後から本人から勘と聞いているが、即座に鬼と見抜いていて、逃げないばかりかあまつさえ近づいてくる豪胆さが珍しくて興味が湧いたのだ。それに話しているうちに知らないとはいえ、人ならざるものに真名を名乗ったのがおもしろかった。
だからあのとき、気がつけば朱羅から交流を持ちかけていたのだ。
そして興味だけではなくなったのは、華の持つ雰囲気が心地よかったからだった。いつから興味だけではない感情を持ち合わせるようになったのかはわからない。
けれどいつだって朱羅に向けられる柔らかな声と朱羅を見つめる瞳には、怯えがひとつもなくて。怒りや悲しいきもちも感じられない。華からはひたむきな信頼とやさしさのような、あたたかな感情ばかりが向けられていて。
それが心地よくて、関係の継続に甘んじたのだ。
関わりを持つのを拒否されたら。
少しでも怯えの色があったら。
鬼の姿を忌避されて逃げられたら。
そうやって理由をつけては、今回も大丈夫だったと安心して、華といる時間を引き延ばし続けた自分が悪かったのだろう。いつかはこの世界からいなくなることを知っているのに、手放しがたくなってしまった。明日を待ち遠しく思うことなんて、もう無いと思っていた朱羅に落とされた一条の光。その明るさを知ってしまったせいで、華のいなかった頃には戻りたくないと思う。思って、しまう。
「朱羅」
そう呼ぶ彼女の声がなくなる日が来るなんて、考えたくもなかった。自分の目の届かないどこかへ消えてしまうことも、自分以外の男が彼女の横に立つことも許したくなかった。
だから蛟に華が逃げると言われて咄嗟に、慣れない呪を使ってまで華から聞き出そうとしたのだ。自分から逃げようとする理由を。
「ヨネさんって呼ばれてるの、君の知り合いでしょ」
「どうだかな。昔のことなんざ忘れたさ」
だが、華のこともあるし、一度は顔を突き合わせて話す必要があるだろう。朱羅にはそれが少しだけおっくうに感じて。いっそのこと、このまま自分の住処に連れて帰ろうか、華が目覚めるまで悩むことになった。
*
スッと目が開く。起きたというよりは、瞬きをしたに近い感覚。けれど直前のことはよく覚えていないので、不思議に思いながら瞬きを繰り返す。眠気でぼやけていた視界は徐々に明瞭になるのだけれど、自分が座っているものがほどよくあったかくて、また眠りそうになったところで、かるく頬をつままれて。
「いい加減起きろ、華」
「だって、ねむい……」
身近にあった何かにぐりぐりと額をこすりつけて眠気を飛ばそうとしてもむだで。って、あれ。眠気でフラフラしているのに構わず立ち上がる。
「なんで私朱羅の膝の上で寝てたの?!」
何度確認しても、先程までいたのは朱羅の膝の上。けれど、私を乗せていたはずの朱羅は特に驚いた様子もなく。
「お前がもうむりねるって言ったからだろ?」
そういえばそう言って寝落ちしたな、と言うところまでセットで思い出した。だけど、なぜか本当に眠いのだ。まだまだ眠れそうなくらいに。
「もうちょっと寝たいから、今日のとこは帰ろうと思います」
「そうか。送っていく。それから蛟が飯を盗み食いしている可能性がある人間を見張るって言ってたから、しばらく池には近づくなよ」
「わかった」
簡単に言葉を交わすと、あとはもう眠ることでいっぱいの頭のまま、ふらふらと朱羅と並んで歩いていく。自分ではまっすぐ歩いているつもりなんだけど、眠くて目を閉じた一瞬で意識が飛ぶのか、斜めに進路を歩いてたりしていて。
「……フラフラすぎて見てられん」
ぼそりと呟いた朱羅は、そう言って私を横抱きにした。一度は離れた心地の良いあたたかさと、私を支える腕の安定感が眠気を増長させて。
「俺がいないと困るんだもんな?」
「……うん、そうだよ」
繰り返されたのはいつかの問いかけ。タイムラグをおいて理解した言葉たちへ同意するのは少しだけ恥ずかしかったけれど、事実なので頷く。すると朱羅の口角が少しだけ持ち上がるのが、下からのアングルだからか良くわかって。どうしてそんなこと聞くんだろう、と思考が動いたのもそこまでで。振り切れなかった睡魔に、腕を掴まれて眠りに落ちた。




