おにいさん、…?
「あの線とは?」
不思議そうに蛟が首を傾げる。どうやら私は、言うつもりは特になかった言葉まで口に出していたらしい。蛟も村の様子ぐらいわかっているだろうし、それならば特に隠すこともないかと、今自分が推測していることを簡単に説明した。念のため、あくまでまだ証拠は無い段階なのだと前置きをして。
「まさか……雪という女は、華の持ちものを夜の森に投げたやつと一緒か?」
「そうだよ。利市様に近寄らないでっていう嫉妬で投げ捨てられたの」
「またあの男か…」
あの日を思い出したのか、朱羅の顔が嫌そうに歪む。最近は朱羅が許嫁であると嘘をついてくれたおかげか、もしくは朱羅の最後の脅しみたいなのが効いているのか、利市さんに絡まれることはなくなっていて。雪ちゃんに睨まれることも前よりなくなったので、朱羅には頭が上がらないなと思う。
「一応確認なんだけど、蛟のご飯って他の動物が食べたりはしないんだよね?」
「あたりまえだけどしないよ。野生の動物たちは本能でボクの恐ろしさがわかっているからね」
普通は神饌なんてものを食べようとは思わない。けれどそれを食べてしまうということは、よっぽど信仰心が薄いか、自分だけはバチが当たることなんてない特別と思っているか。
「お嬢さんの話を聞くと、今日が臨時でまた明日から雪という女に戻るのだろう?そこで確認しておくよ」
蛟はそういって空中でとぐろを巻く。
けれどその眼はなんだか嬉しそうにも見える。
「なんか、にやけてるよね。蛟」
「そうかな?でもそうなりもするよ。ようやっと解放の糸口が見えて来たし」
解放。お坊さんに封じられた術からの解放のことだとしたら、それはにやけてもおかしくないと思う。
「そういえば、条件は解放されたらまずいからか口篭って教えてくれなかったなあ」
「なに、知りたいの?今日は気分がいいから教えてあげる」
そうして語ってくれた解放の条件。
それは条件が揃わないとかなり厳しいもので。
曰く、蛟の加護の恩恵を過去に受けたことがある人が、蛟が祀られているこの祭壇の前で、蛟なんていないと存在を否定することだという。
「それはなかなかの条件だね…?」
「けれど、あの雪って子は赤子の頃にボクの降らせた雨で育った作物を食べたことがあるのに、ボクの存在をそこまで信じていないからか神饌を食べている可能性がある。もしかしたら君の助力が必要かもしれないけれど、ボクは解放されるかもしれないんだ!!」
わくわく、そわそわ。
蛟に効果音をつけたらそんな感じだろう。それを朱羅が見て微笑ましそうにしている。その顔を見ていたら、なぜかヨネさんの言葉が私の中で再び蘇ってきた。
朱羅とはもう会わないほうがいいという言葉が。
「あ、また考えてる」
「……え?」
蛟がまっすぐと私を見ている。また考えてる、で思い当たることは朱羅のことだけど、まさか心が読めるわけないし。
「朱羅」
「なんだ、蛟」
「その子、逃げるかもよ」
その言葉を聞いた朱羅が、一瞬視界から消えた。
どこに行ったんだろうと思った次の瞬間には、朱羅は私の手首を握っていて。
「華、いい子だから逃げようとした理由を言えるな?」
言い聞かせるように紡がれた言葉が、なぜかやけに頭に入り込んできて、ぼんやりとする。
りゆう、理由は……。
「ヨネさんがもう会わないほうがいいって」
「朱羅に言われた通りに言っただけなのに」
口が勝手に動いて言葉が落ちていく。思いついたそばから、音になって朱羅へと届けられていく。異常事態かもしれないのに、なぜかおかしいと思えない。
「華、正直に言え。華はもう俺と会う気はないか?」
エコーがかかったように、脳内で質問が繰り返される。わたし、私は。
「私は会いたいけど、でもどうしたら、黄炎村ってなに?朱羅のこと私なんにも知らない。ヨネさんなんでそんなこと言うの。雪ちゃんが神饌を食、べ…?」
思いついた言葉はバラバラで。質問に答えられたかもわからない。顎を持ち上げられて上向いた視線の先、覗きこんできた金色は、妖しく光っている。それが、嘘みたいに綺麗で。見惚れていると、顎を持ち上げた手がするりと移動して、優しく頬をつつむ。綺麗すぎて怖い。そう思って朱羅から視線を逸らそうとすると、それを咎めるように親指が目の下を柔く撫でた。
「下手くそだなあ、力みすぎだよ」
「チッ、普段使わないんだ。しょうがないだろ」
視線は朱羅から逸らせない。ただぼんやりと言い合う2人の言葉が耳から音として入ってくるだけで、何を言っているかも、よくわからない。
どろりと溶け出したした金色が、私を見つめている。
「このままじゃこの子壊れるよ」
「わかってる。華、このことは忘れて眠れ。おやすみ」
その金色を見つめていると、朱羅の言葉がまた脳内で響く。意味を理解すると、途端に眠くなかったはずなのに、睡魔がきて。
なんか、へん、だ…。
そう思ったことすら、次に目覚めたときには忘れていた。




