おにいさん、気がつく
なんとか説得することができた朱羅は、それでもつぶさに私の様子をうかがいながら、人化の術を解いた。
朱羅が言った通り、陽の光の下で改めて見た朱羅の鬼姿は、夜に見るのとはまた違って。
月明かりの下だと、白く浮き上がる顔のラインや、夜の色が溶け込んだ黄金色の瞳に、静謐さを感じさせるような美しさがあったのに。
陽の光の下だと、それが一転して。
炎のように揺れる毛先だとか、煌々と好奇心に輝く瞳に、雄々しくて活動的なかっこよさがある。
「……やっぱり、すっごくかっこいいよ」
「ン」
心の底からそう思っていることが伝わるように紡いだ言葉には、安堵の滲んだ吐息のような相槌が返ってきて。それにちゃんと伝わってよかったと微笑むと、朱羅は何かを誤魔化そうとするみたいに、がしがしと乱れることも気にせず自身の髪を混ぜた。
「あー、なんだ。もっとでかい魚獲ってきてやるから、そこ動くなよ」
朱羅はぶっきらぼうにそう告げると、水深が深いところに入っていく。私よりも身長の高い朱羅が腰まで入っているとなると、私では胸まで水の中に入ることになる。そうなると、ヨネさんから借りている着物のままでは泳げずに溺れることになるだろう。
おとなしく、さっき座っていた流木に戻ってきて、ぼうっとすることにした。
ぼうっとしていると、シャボン玉の泡のようにぽわんと疑問が湧いてきて。朱羅は腰まで水に浸かっていて、服がびしょ濡れになっているけど、帰りも濡れたまま帰るのかなとか、さっきの後ろ向きな発言はどうしたんだろう、とか。
だって、昨日の夜の時点では、アンタの記憶を飛ばしてから、また術をかけ直すとか強気なことを言っていたのに。たった1日で、そこまで弱気というか、後ろ向きな発言になるのかなと疑問に思う。
考えられるのは、外的な要因があったとかだけど……
「んー?」
朱羅は今日は朝から私のところに来たわけじゃなかったから、何かがあったとしたら昨日の夜から私に会うまでの間くらいだろう。たっぷり時間があったわけではないのに、思考をそこまで変えることってできるのかな。
「華?」
私がうんうん悩んでいるところを見て戻ってきてくれたのか、朱羅が気遣わしげに声をかけてくれる。朱羅の方を見ると、いつのまに獲ったのか大きな魚を持っていて。今回は私の要望通り、魚の頭はスッパリやられることもなく、きちんとついていた。
「これでぐろいはないだろ」
「うん。グロくない!わがまま聞いてくれてありがと、朱羅」
朱羅の言い方がかわいくて、くすくすと笑ってしまう。その様子を見た朱羅は、どかっと私の座っている流木の横のスペースに座って。
「で、何を悩んでたんだ?」
「んー、なんか珍しくネガティブ……後ろ向きな感じがしたなぁと思って?朱羅とずっと一緒にいるわけじゃないから、知らない一面だけなのかもしれないけど…。昨日は記憶を飛ばせば元通りみたいなこと言ってたのになあって」
「…うしろむき?」
「?うん」
後ろ向き、というところが引っかかったのか、朱羅がそこだけを繰り返すので、不思議に思いながらも頷く。
事実、あの一連のところはネガティブな感じがしたので。繰り返した言葉を肯定された朱羅は、ひゅっと息を呑んで。
「…っ!!?だーー!くそ、やられた!蛟の野朗、やりやがった!」
突然大きな声で、そう叫んだ。
「?!?!」
「命に関わるような術ではない、が。俺の沽券には関わる!どういった理由でこんなことをしたのか問いただしてやる!」
朱羅が気がついたことでその術が解けたのか、朱羅は完璧に元通りで。付き合いはそんなにまだないはずなのに、自信がない朱羅よりも、自信に満ち溢れている朱羅の方が、これこそ朱羅って感じがする。
朱羅は勢いのまま、ずんずんとある方向に向かって歩き出す。どうしたらいいかわからないけれど、1人で戻るよりも朱羅について行った方が安全なので、着いていくことにした。それに魚も朱羅が持っているしね。
*
私が着いてきていることに気がついたのか、歩調をやや緩めてくれた朱羅を追いかける。しばらく歩いて着いたのは、まさかの目印にしていた大きい木がある場所で。その木には注連縄が巻かれていて、ところどころ白い紙がついている。おそらくこの木は御神木なのだろう。そしてその御神木の前には祭壇があって、横には底の見えない大きな池が広がっている。
「おいこら蛟!申し開きがあるなら聞いてやるが、無いなら池ごと燃やすぞ!」
朱羅の叫んだ声が、静かな森を駆け抜ける。
すぐには何も起こらなかったけれど、朱羅の反響した声が消えるころに、変化は起こった。
「ちっ、ようやくか…」
短く舌を打った朱羅は、忌々しげに盛り上がっていく水面を見つめていて。水面が激しく揺れて、今にも波になってここまで届きそうだと、少しだけ怖くなる。
「……なんだよ〜、朱羅。ボク寝てたんだけど?」
ざばぁっと音を立てて水の中から現れたのは、2メートル近い龍みたいな生き物だった。ツノは生えているけれど鬣はなく、四肢はあるものの実用的ではないくらいに体に比べて小さい。その生き物から、さっきの声がしたのだ。
「だろうな。この俺と明け方まで酒を飲んでたんだ。普段ならお前は明日まで眠っているだろう」
「知ってるならなんできたのさ」
ふわあ、と大きなあくびをする龍みたいな生き物。ガパッと開けられた口には、鋭い牙が生え揃っていて、ひえっとなった。
「わからんとは言わせんぞ、蛟。おまえ、俺に術をかけただろう?」
「術〜?」
「おおかた、自信を持てるようになるには?に対しての質問に答えるときに、後ろ向きな思考は理解できんが、と言ったのが原因だろうが」
眠そうな龍の子と違って、朱羅はそう淡々と告げる。その言葉でそのときのことを思い出したのか、龍の子——蛟がポンと手を叩く。
「ああ、それならかけたぞ!」
「よし、蛟。歯ぁ食いしばれよ」
ビキッと青筋を浮かべた朱羅が拳を握るのを見て、ようやく朱羅がどれだけ怒っているのかを理解したらしい。蛟は、必死になって言葉を重ねていく。
「待って待って!!朱羅に術かけたのは、お腹減ってむしゃくしゃしてたのもあるけど、ボクの悩みの一端でもわかってもらいたかっただけで……!」
「なるほどな、おまえのおかげでよおくわかったぜ。俺にはその思考が合わないってことはな!」
案外優しい朱羅は、そう言って振りかぶった拳を当たる直前で解いて、痛みに備えてぎゅっと目をつむる蛟に強めのデコピンを放った。




