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『三番線、通学急行シェルノア学園行。発車いたします』
鐘の音が響いて白い扉が閉まり始める。車体の先頭に刻まれた魔法陣に虹色の光が集って、全体に淡い光が集い始めた。
「あああ!待って待ってー‼」
人が閑散としたホームに少女の悲鳴が響く。三段飛ばしで階段を駆け上った少女は、一気に最後の四つを飛び越してホームに姿を現した。キュッと彼女のヒールが音を鳴らして、その自由過ぎる動きに耐えようと試みる。ホームへ身体の方向を変えると同時にひらりと靡いたスカートから真っ白な足が大胆に覗いて、その直後にはまた薄い布の中へと姿を消した。
まだわずかに開かれていた電車の扉に口角を上げた少女は低く態勢を落として、右足に力を込める。そのままいつものように走り出そうと一歩地を蹴ったところで、ぐらりと少女の体は前傾した。
「――ッは⁉」
左手に持っていたスクールバックごと盛大に転けた彼女は、呆然としてして自身の右手の甲を眺める。刻まれたまま変化のないその印章を信じられない顔で見つめていた彼女の耳に、ガシャンと扉の閉まる音が響いた。
「あ。あぁぁ~~……」
何も意味はないと分かっていながら彼女は咄嗟に手を伸ばした。実際本当に意味はなく、電車は定刻通り彼女の視界からその姿を消した。
少女はのっそりと身体を起こして、しゃがみ込んだまま左腕についていた腕輪に手を触れる。瞬間的に現れた半透明のスクリーンには、刻一刻と減る時間が映し出されていた。
「次の電車は………。……に、二十分後……」
受け入れ難い事実に彼女は深く項垂れる。いつまでも座り込んではいられないと分かっていても身体が動かず、彼女はそのままスクリーンを弄って通話履歴を押した。驚くほどの不在着信の数には全部知らぬふりをして、その下に埋もれていた一つの連絡先を選択する。
暫くのコール音の後右耳に響いた低音に、彼女は背筋を伸ばして声を張り上げた。
「――あ、もしもし。どうも今日から転入する予定のアスティル・ピュールです。……はい、はい。そうなんです。実はもう二時間遅刻してるんですよね、はは。あ、それで~……えっと、さらに遅れちゃいそうで……。はい、具体的には三十分ほど。はい、すいません。……え?入学初日から三時間も遅刻してくる奴なんて聞いたことない?はぁ、まあ私もないですけど。ははウケますね、私が始めてになっちゃうな。――あ、すいません。いえ、ふざけてないです本当に。急ぎます」
右耳に装着した機械を二回タップして少女――アスティルは腕を降ろした。「はぁ~~~~」と大きく息を吐き出した彼女は、おろしたての制服に汚れが付くことなど一切構わずホームに大の字で寝転がった。
「くっそ……あのくそジジイが私にこんな首輪さえつけなければ間に合ったのに……」
恨み言と同時に彼女は制服越しの首を掻いた。脳裏で長い髪を揺らして戦うその姿を思い浮かべそうになって、慌てて首を振っる。その男のことを考えてアスティルが幸せな気持ちになった経験など彼女の短い人生の間で一度だって無かったのだ。
「っふは。すごいスライディングする子がいると思ったら、学園で話題になっていた転入生だったのね」
優しい声音がアスティルの耳を擽って、コツリとヒールが地面を鳴らす音が響いた。
彼女に降り注いでいた六月の光を遮ったその影にアスティルは視線を投げてから固まった。
「でも駆け込み乗車はやめた方がいいと思うよ?危ないし、迷惑になる」
それは快晴が形を成したような少女であった。艶やかに流れる青髪は夏空と天の川を混ぜ合わせたように美しく、ふわりと柔らかな香りをアスティスの元まで運んでくる。理性的な印象を与える瞳は髪よりも深い青をしていて、そちらは太陽が沈んでから月が上るまでの微かな時間しか見られない儚い空の色である。
「…… どうしたの?もしかして動けない?」
「へ?あ、ごめんごめん。キミみたいな人実在するんだなぁって思って」
「思わず見惚れちゃったんだ」と笑ったアスティルは、ようやっと身体を起こして、その少女と向き合った。
「制服から察するに、キミもシェルノア学園の生徒なんだよね?」
「うん、まぁ。私は第三学年のメル・シュトゥルム。貴女は転入生のアスティルさん、で合ってる?」
「合ってる合ってる。でも同い年だしアスティでいいよ。堅苦しいのは得意じゃないし〜」
「ぽいね。じゃあアスティ、出会ったばかりで申し訳ないんだけど一つお願いがあってさ。聞いてくれない?」
真剣な雰囲気を醸し出すメルにアスティルは少しだけ怪訝な顔をしながら、首を傾げた。
「だ、大丈夫!大したことじゃない。危なくもないし、アスティに何か危険が起きることでもない!ただ……これを、持っていて欲しくて」
「これ、は……」
手渡された青色のブローチをアスティルはまじまじと見つめた。精緻なデザインのそれを少し手中で弄んだあとで、ブローチ越しに彼女を見つめて「それで?」と口角を上げた。
「これは制服にでもつけて置けばいい?それともバッグで大切に保管する?」
「制服に、着けておいてくれないかな。頑丈な作りだし、転んだ程度じゃ壊れないと思うから」
「ふーん、了解〜!いいよ。そのお願い聞いてあげる」
「!ありがとう」
至極安心した顔で眉を下げたメルの姿にアスティルは二、三度瞬きをして、それから心得た!とばかりに瞳を細めた。
「でもでも。その代わり、私の『お願い』も聞いてくれるよね?」
「そうじゃないとコレどこかで無くしちゃうかも~」とアスティルは青い石を掲げて、業とらしく悲しそうな顔をした。
「……分かった」
メルは一瞬眉を顰めた後で、渋々とその提案を受け入れる。その言葉を聞いた途端アスティルは「やり~!」と表情を一転させて、不快そうな色を瞳に宿したメルに気遣うこともなく、意気揚々とその魔法石を自身の制服の左胸に飾りつけた。
「じゃあ私はもう行くね。ありがとうアスティ」
「あれ?授業は?」
「自主休講。ちょっと用事があって」
「へえ思ったより自由なタイプなんだね、キミ」
堅苦しいよりずっといいじゃん、とアスティルは笑ってバッグを抱え直している少女を見つめた。
「じゃあまた学園で」
「うん、まったね~!」
階段下へ消えていく少女の背中を眺めながら、アスティルは左胸に輝くブローチを握りしめた。
「――本当に、不思議な子」
甲高い音が響いて電車の到着を告げる。
「……なんであんな大けがしてたんだろ」
アスティルの声を掻き消すように緑の巨体が姿を現した。
ぞろぞろと降りてくる乗客の後でそれに乗り込んだアスティルは、ずんずんと奥へ進んで一番前の景色が綺麗に見える席を陣取った。二人分の椅子の片方にスクールバッグを投げ置いた彼女は、周りの視線から隠すように魔法石を取り外した。
同じ轍はもう二度と踏むまいと慎重に魔法を発動させた彼女は、そこに数多浮かび上がった魔法陣を複雑そうな顔をして見つめる。
「……解析魔法を使っても読めないとか、なにこれ」
空中に映し出された文字は0と1の集合体であった。暫くは何かの暗号ではないかと思考を凝らしていた彼女は、その後ふと思い至って頭を抱えた。
「そうだ……ヒューマンの魔法ってデータ化されているんだった……」
そりゃ読めない。
アスティルは苦虫を嚙み潰したような顔をして暫く数値配列を眺めた後で、大きく嘆息して左腕に触れた。瞬間的に浮かび上がる半透明の板をスクロールしてメッセージ画面を開いた彼女は、一番会話量が多い相手をタップして、対話画面を映した。
「えーっと……『出来るだけ至急で、この魔法データを解析してくれない?』っと」
アスティルは右耳に着けられた機会に触れながら、大きく一度瞬きをした。魔力の変動で多少瞼の裏が熱くなるのを感じながら、無事データ化された視界を送り付ける。
全ての数字がしっかり含まれているかを確認しようと目を細めたところで、ぽこんと新しく届いたメッセージに気づく。
「返信はやっ。さっすがネル!……えーっと」
『このくらいなら別にわざわざ時間取るほどの物でもないよ。もうシステムは作ってあったから解析結果だけ送る。一番上の数列は物理保護魔法。二番目から五番目は同じ精神保護魔法のリピート。六番目は――』
「――洗脳、魔法?」
は、と小さく息を吐いてアスティルは己の掌で輝くそれを眺めた。
「あっはは、もしかして私、ちょっとヤバい子と知り合っちゃった?」
少女は至極嬉しそうに笑って、先程と同じ場所にブローチを付けなおした。今にも鼻歌を歌い出しそなほどご機嫌になった彼女は、『ありがとう』と一言送信してそのチャット画面を閉じた。
それと同時にブーと車内全体に響くような音が鳴り響いて、彼女の目の前の魔法陣に魔力が集められ始めた。
(……にしても、彼女と話していたからか随分早く感じたかも。二十分も話していたかなぁ)
出会って、話して、貰って、分析をして。
確かに短くはない時間であっただろうが、どこか疑念が残る。アスティルは電車の出発時刻が分かるサイトをそのままタップして、思わず目を見開いた。
『3番線、急行ホルハ公園行。出発いたします』
「エッ乗る電車間違えてる⁉」
三分を残したカウントダウンに、少女の叫び声が響いた。