はじまり
「――うん、だから後は潜入先に簡単な事情説明と挨拶を済ませたら任務は終わり~。――分かっている分かってる。次の任務までの二週間はちゃんと休むって~。はいはい、じゃあまたね、ネフィ!」
通話越しに騒ぐ声を遮るように少女はボタンを押す。ピッと高いめの機械音が真っ暗な森に木霊して、数多の雑音の中に消えていく。右耳を覆う機械から手を離した彼女は、そのままずっと手に持っていた剣を柄に戻した。その際ふと視界に入った右手の甲を目線の先に掲げて、彼女はポツリと呟いた。
「……今回の任務で結構魔力使っちゃったけど二週間あればいけるかなぁ。……ヤ、ヒューマンの国は魔力じゃなくて仮想データらしいから関係ないっぽい?」
甲に刻まれた灰色に煌めく紋章は、今は四分の一ほどその輝きを潜めている。
「休暇は神殿に行かないといけないかな~……。――ッッ⁉」
地面が強く揺れる。真っ黒な木々が揺れ動き、鳥が数多に漆黒の空へ飛び去って行った。
彼女は素早く顔を上げ右手を柄に添えた後、鋭く舌を打つ。
「地震……ッ!発生源は西!恐らく近い‼」
彼女の足が強く地を踏む。グッと強く踏み込む右足に風魔法を同時発動して、少女は爆発的に走り出した。そして木々の間を縫うように少女は駆ける、駆ける、駆ける――。
そのまま暗い森の中で微かに光る穴に飛び込んんだ少女は、一気に開けたその景色に思わず顔を顰めた。
「聖塔にトリヴィが……!よりにもよって、なんでそんな面倒な場所に…⁉」
真っ白く輝く塔の麓で巨大な羽を広げる黒い怪物。どろどろとした肉体と吐き気を催す腐った香りに、本能的な嫌悪が沸き立った。一秒でもこの怪物と対峙したくないという反射的な心情のままに彼女は剣を構える。
「神様、聖域に立ち入ることお許しください。掃除の時間のようです!」
彼女の魔力が膨れ上がると同時に辺りが一気に燃え上がる。塔を中心に真っ赤な炎に包まれた野原に、怪物も顔を上げた。
「グルァアアア」
「はァッ!」
先と同じように少女は駆け出した。そのまま目にも止まらぬ速さで怪物の元まで辿り着いた彼女は、聖塔の壁を上ってその巨大の顔近くまで駆け上がる。一瞬で消えた少女の姿に身体を揺らす怪物の首を見とめた少女は、そのまま聖塔の壁を蹴って少女は怪物の顔下に潜り込んだ。その後振り上げた少女の剣が怪物の首に触れ、しかしそれ以上怪物を貫くことなく剣は黒い鱗に留まる。
「ッ!」
剣を持つ腕が痺れるほどの強固さに少女は目を見開く。これ以上は望めないと分かった直後、彼女は空を蹴って怪物から身体を離した。一拍置いて彼女のいた場所を切り裂いた怪物の爪を、少女は無感情に眺める。
「首は無理。胴体も同様の鱗があるから無理。――なら」
腰を低く落とし少女は柄に戻した剣を握りしめた。
闇を切り裂くような鮮烈な炎が彼女の周りに生み出され、そのまま剣に纏わりついた。
「アスティちゃん、いっちょ決めちゃうよ!」
弾けるような笑顔で少女は笑う。炎と同じ赤をした瞳にはもう目の前の怪物以外何も映ってはいなかった。
爆発を起こして駆けた少女は、次の瞬間に怪物の目先にいた。怪物が彼女を認知するよりも早く、少女は剣を突き刺して左目を潰し、同時に炎を纏った左拳を突き出して右目も潰す。ねっちょりとした液体が彼女の拳に纏わりつき、怪物の鼻先へと垂れ出した。大きな塊が落ちたその直後、怪物は強く飛び上がり、己の鼻先に立つバケモノを振り落とそうと全力で暴れ出す。
「ちょ、揺れないで揺れないで⁉落ちちゃうじゃん!」
大きな翼が生み出した風が少女の身を強く押す。先ほど落ちた液体に足を滑らせた少女は、そのまま塔の方へと身体を投げ捨てられた。
「アアア」
怪物が爪を振り上げる。盲目故に感覚で振り上げられたそれが真っ白な塔の腹を砕き、一瞬にしてその大きな塔を半分ほどの大きさに変えて見せた。
少女は足場にしようとしていた壁が唐突に崩壊したころに驚きながら、近くに在った大きな破片を蹴って態勢を整えた。
「はぁ―――――っ」
一層大きく炎を纏った剣が振り上げられる。魔法で怪物の遥か上まで飛び上がった少女は、怪物の顔面中央に焦点を合わせてそれを振り下ろした。
ドゴォォォォォォオオオオオオン
辺りを爆風が満たす。多少の距離を保っていた木々でさえその爆風により大きく揺さぶられ、手前の木々は数本折れてしまっている。
「ふぅ」
爆発の中央にいた少女はすっかり何もなくなった草原の中央で徐に顔を上げた。金糸の髪がサラリと揺れて、数多に輝く星の光を反射している。
「あーー、やらかした」
痛む頭を抑えるように瞳を閉じた少女の横には――何もない。彼女が激戦を繰り広げた相手も、秘かに咲いていた花も……つい数十分前までそこに存在していた神聖な塔も。
「最悪だぁ……聖塔を壊しちゃうとかあとでジジイに怒られるの間違いなしだよ~……。いやジジイだけじゃない【アイツ】にも絶対馬鹿にされる……」
怪物と対峙した時よりも顔を顰めた少女は、終にしゃがみ込んで頭を掻く。「もういっそジジイじゃなくて直接アイツに頼めばバレずに……。いや会話したくないしそれならジジイにバレる方マシ……?」などどブツブツ独り言ちた。そうして最後に「はぁ~~~~」と大きく息を吐いた少女は一つ舌打ちして身を起こした。
近くにぽっかりと空いてしまった巨大な穴を見下ろして少女はもう一度嘆息する。「これじゃあ誤魔化せない」と小さく呟いた後で、その身を穴の底へ投げ込んだ。
真っ黒な穴の底は案外直ぐに見えた。
少女は風魔法で自身の落下速度を低下させた後で、物珍しそうに機械で囲まれたその空間を眺めていた。
「……神聖拠点の奥なんて初めて入ったけど、思ったより面白みがないというか機械的というか」
少女の視界には、ひたすら大きな鉄のような銀色の物体と、その周りを取り囲む数多の機械、歯車が映っていた。彼女の視力をもってしても向こう側の壁が霞んでみるほど大きな空間の中央に埋め込まれた銀色のそれに彼女は至極詰まらなさそうな顔をした。
「この地域って世界的に見ても地震が多いとは聞いているけど、聖塔の下にまで対策システムを作るんだねぇ。魔法で良いと思うんだけど」
翼人の考えることってよくわかんない。と呟いた少女の声が唐突に響いた音に掻き消される。ギ、ギギギィィと高く不快に鳴り響く音が、その空間全体を揺らし、更には少女の脳をも揺さぶるほどの感覚を与えた。彼女は咄嗟に耳を魔法で保護し、柄に手を添えた。
「……は?」
少女の赤い瞳が大きく見開かれる。
ぐびり、と無理やり呼吸を飲み干した音が、いやに彼女の身体に響いていた。