8届かない想い
「こっち向いていいよ、セルジュ」
「うむ……」
セルジュの足音が近づいてきて、背後で止まる。
露わになった背中に注がれているだろう視線に、私はひどく落ち着かない気持ちになる。
「どう? おかしなことになってない?」
「問題ない。というか、変化はないな」
「そっか……」
身体にもとくに変化はないし、紋様が欠損していてもこれまで何事もなかった。きっと大丈夫だろう。
「さっきの話に戻るが……シヴィ・マハラスタンは、おまえの素性を知っていたんだな」
「うん。記憶を失くすまえの私のことをよく知っているみたいだった。詳しく聞こうとしたけど機密事項だからって」
「ふむ……逆に気になるな」
姿は見えなくても、セルジュの考えこんでいる様子が目に浮かぶ。
私のことで真剣になってくれるのが嬉しい。
大切にされているのが伝わってきて、胸のなかが温かくなる。
ああ、やっぱり私はこの人のことが好きだ。
「ねぇ、セルジュ」
「……なんだ」
「私の記憶が戻ったとしても、一緒にいてくれる?」
「急にどうした。……当たり前だろう。カヤは俺の助手なんだからな」
「セルジュなら、そう言うと思ったよ。でもね、私は助手としてセルジュのそばにいたいワケではないんだ」
「どういう意味だ」
不思議なくらい今は心が凪いでいた。
顔が見えてないからかもしれない。
告白するなら今だと、私は唐突に思う。
「私はセルジュのことが好きなの。だから恋人になりたい。セルジュが私を〝妹〟のようにしか思ってないのは知ってる。だけど……これからは一人の女性として……私のこと見てくれないかな?」
やっと言えた。
言ってしまった……。
セルジュの息を飲む音がして、私の心臓も激しく鼓動を立てはじめる。
本当に好きなの。だからお願い……。
「——すまない、カヤ」
「……っ!」
「俺はおまえの気持ちには応えられない」
目の前が真っ暗になる。
「っ……、今すぐじゃなくても、考えてからでもいいから……っ」
「おまえを家族のように好きな気持ちはある。けれど恋愛という意味なら、俺には他に想う相手がいる」
「え……」
他に想う相手……?
うそ、そんなの全然知らなかったよ。
「だから、すまないカヤ」
「……わかった」
頷くのと同時に涙が溢れてくる。止めたくても、次から次へとこぼれ落ちてきて、どうにもならない。
私の想いは、セルジュには届かない……。
それが哀しくて、どうしようもない事だと頭では分かってるはずなのに、胸がひどく痛む。
——私じゃ……駄目だったんだ……。
「っ……くっ……うっ」
「…………」
歯を食いしばり、泣きながら脱いだ服を身につける。
セルジュは私のことを一番に愛してはくれない。
私の心も世界もセルジュだけだったのに。何もかも失ってしまった……。
不意に、シヴィ様の言葉を思い出す。
『あの頃の君は誰よりも清廉で強かった。僕はそんな君のことが、ずっと前から好きだったんだ……』
記憶を失うまえの私のことを、シヴィ様は好きだと言った。
あのとき……どんな気持ちだったのかな?
ぼんやりとそんなことを考えた時、突然、眩い光が部屋のなかに溢れる。
驚いて目を凝らすと、床に巨大な転移魔法陣が浮かび上がった。そこから現れたのは、魔物討伐に行っているはずのミスリルライラで。
「——ミスリルライラ!! どうしたのっ!」
血まみれのミスリルライラが、どさりと床に倒れる。ひどい怪我だ。漂ってくる異臭は魔物の血のにおいかもしれない。
「おいっ! しっかりしろ!」
セルジュが駆け寄り、ミスリルライラを抱き起こす。
「ミスリルライラ! 目を開けて! しっかりして!」
ぐったりとしているミスリルライラに呼びかけると、うっすらと瞼をあけて、こちらを見た。
「カヤ……たす、け…………」
「なに? 私はここにいるよっ」
血に染まった手を握りしめ、ミスリルライラの声を聞こうと耳を近づける。
「ひどい数の魔物で……みんな、逃げたけど……シヴィはひとりでまだ残って……」
「っ、シヴィ様が!?」
「一緒に逃げよう……って、言ったのに、」
「そんな……っ」
いくらシヴィ様が最強の魔法使いでも、ひとりで戦うのは無謀すぎる。死ぬ気でいるとしか思えない。
「おねがい……カヤ」
「うん、私はなにをすればいいの?」
「シヴィが言ってたの。……『カヤのスキルがあれば、なんとかなったかもしれない』……って」
「私のスキルがあれば?」
私の天資はあらゆる要素を〝移す〟。
それが魔物にも通用するということだろうか。
分からない。
けれど、シヴィ様が言うなら間違いないだろう。
「わかった……。シヴィ様のところに行けばいいんだね? ミスリルライラが送ってくれる?」
「うん、カヤだけ転移させる」
「待て。そんな危険な場所にカヤを行かせるのは駄目だ。許可できない」
「セルジュ……」
私の腕を掴み、行くなとセルジュが言う。
そんな言動を嬉しいと思ってしまった自分に、虚しさを覚える。
「離してセルジュ。私はもう決めたの」
「駄目だ。危険すぎる」
「心配しなくても大丈夫だよ。必ずシヴィ様と帰ってくるから」
もし帰ってこれなくなっても、後悔しない。
私にはこれ以上、失うものなんてないんだから。
「ミスリルライラ、お願い」
「ごめんね、カヤ。シヴィはまだこの国にとって必要な人だから」
ミスリルライラの魔法陣が私の足下に浮かび上がる。
吸い込まれる瞬間、セルジュの声がした。
「カヤ! これを——!」
腕のなかに落ちてきたのは、昨日セルジュと一緒につくった法具だった。
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次回はセルジュ視点です。