10一緒に帰りましょう
カヤ視点にもどります。
「えっ、カヤ!? どうして……っ」
転移魔法で降り立った場所にはシヴィ様がいた。
突然現れた私を見てひどく驚いている。
強い風に煽られて蹌踉めくと、倒れないように腰を支えてくれる。
顔を上げ、そこに広がっていた景色に私は言葉を失う。
海洋を埋め尽くす魔物の大群——さらには太陽の光を遮るように飛行する魔物もいて、羽撃きひとつで竜巻をおこしている。
恐怖で竦みそうになる足を、なんとか奮い立たせる。
シヴィ様は海洋をのぞむ断崖絶壁に立っていて、魔物の上陸を防ぐため、たった一人で応戦しているようだった。いくらなんでも無茶すぎる。
「ここは危険だから今すぐ逃げて。住人たちが避難している神殿に転移させるから、」
「嫌です! 逃げませんっ!」
逃げてしまったら、ここに来た意味がない。
私はきっぱりと言う。
「シヴィ様、私の天資を使ってください!」
「えっ」
シヴィ様の瑠璃色の瞳が、困惑したように大きく揺れた。
そんなに驚くことかと首を傾げたその時、頭上を飛行していた魔物の一匹が、大きな口を開け私たちに向かって火を噴く。
シヴィ様が私を見つめたまま片手を振り上げた。すると魔物は一瞬にして氷漬けになり、そのまま落下していく。
「す……すごいっ!」
シヴィ様の魔法の威力にただただ驚く。
こんなに強いなんて……。最強の魔法使いと謳われるのも納得だ。
「ねぇカヤ……なにがあったの?」
「へっ?」
「目が赤くなってる。泣いていたの? なにか悲しいことでもあった?」
襲ってくる魔物を次から次へと氷漬けにしながら、シヴィ様が心配そうな顔で私を問い詰めてくる。
「えぇと、それはですね……ついさっき失恋したばかりだったので……」
「っ! そうか……それは辛かったね……」
何故か悲壮感を漂わせたシヴィ様の長い指先が、私の頬に伸びてくる。
「?」
「ごめん、触ったら汚れちゃうね」
そう言って物悲しそうに微笑んだシヴィ様の指先が離れていく。
見れば、シヴィ様の手は血のようなものが付着し、黒く汚れていた。それが魔物の血なのか、シヴィ様の血なのかは分からない。
けれど……街の人たちを守るために、命懸けで戦っていたことだけは想像がついて、胸の奥が締めつけられるように苦しくなる。
「シヴィ様、一緒に帰りましょう……?」
こんなところで終わってしまうなんて、絶対に駄目だ。
失恋して、半ば自暴自棄になって、此処にやってきたけれど、私の感傷なんてこの状況にくらべたら取るに足らないものだった。
シヴィ様は何の見返りも求めず、仲間たちを逃し、たった一人ですべてを背負おうとしている。その勇気や優しさに甘えて何もしなかったら、多分、一生悔やむと思う。
「……使わせてもらうね、セルジュ」
両腕に抱えていた法具を地面に置く。
——セルジュの夢の結晶……。
実地実験はまだだったから丁度良かった。
「ほんの少し、時間稼ぎくらいにしかならないかもしれないけど……」
法具の表面に刻印された紋様に、指先を滑らせる。
力無い者たちが少ない魔力で発動させられるように、精霊へ加護を希い、あらゆる魔法を跳ね返し、どんな鋭い切先をも通さない、絶対防御効果の法具。
触れた箇所から、パァッと眩い光が広がり、私とシヴィ様はドーム状の輝く光膜に覆われた。
飛行する魔物が火を噴いたが、膜に触れると同時に霧散する。その完璧すぎる効果に驚いてしまう。
「これは……、防御の結界?」
「はい、成功して良かったです。本当に良かった……」
思わず笑顔になってしまう。
早くセルジュにも教えてあげたい。
好きな人の喜ぶ顔が見れたら、すごく嬉しい。たとえ私のことを好きじゃなくても、セルジュが幸せでいてくれるのが一番だって心から思う。
セルジュの哀しむ顔なんて見たくない。それはきっと失恋するよりも何倍も心が痛くなる気がする。
これは、シヴィ様に会えたから気付けた気持ちだ。
だから——
「シヴィ様、私はどうすればいいか分かりません。けれど私の〝移す〟スキルを使えば魔物をどうにかして、一緒に帰れますか?」
「……可能だよ。でも、カヤは後悔するかも」
「なぜです?」
「それは…………」
「もし私が後悔するとしたら、このままシヴィ様を置いていくことだけです」
「カヤ……」
どこか泣きそうな顔で私を見つめるシヴィ様が、やがて決心したように頷いた。
「本当はもっと準備をしてからが良いんだけど……」
「準備?」
「心のね。でも僕が生きているうちは、絶対にカヤのことは守るから」
「ありがとうございます!」
「カヤ、手を」
今度は躊躇いなく、シヴィ様に手を握られて、その強い力に鼓動がひとつ大きくなる。
「目を閉じて」
「は、はい……」
これから何が起こるのか想像もつかないけど、私はシヴィ様のことを信じている。
重なった掌が溶け合うような不思議な感覚。まるでシヴィ様とひとつになっているみたい。
「カヤ、次に目を開けたら、今まで見えなかったものが視えるようになるけど、怖がらないで。カヤは誰よりも愛された存在だから——」
ゆっくりと瞼を開ける。
一変した景色に、私は息をのんだ。
お読みいただき、有難うございます!