第6話 『 俺はどう生きるか 』
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煌めく水面にパラパラ浮かんで見える船船の蕩々(とうとう)たる連なり。
景色を写す水鏡に散らばる中洲の白洲や草原に茂る細やかな木立。
遥かな岸辺の大地には緩やかな起伏があり、遠く雲霞に白んだ山々の嶮々(けんけん)たる異様はどこか幽玄な怖ろしさがあって見るものを心細くさせる。
その淡い景色の中の緑の優しげな草地が扉を出た先にそよそよとささやいでおり、扉から入れずに立ち尽くす勇者達を招くかのようであった。
「ふむ。絶景であるな。どう見ても地底冥路ではないが…」
(よもやここは…)
「━━でっ、殿下お待ちください。ここは勇者たる僕が露払いしましょう」
(眷属様、ここは?入ってもよろしいですかね?チラッ!チラッ!)
『━━━あっ、お待ちを。トロリ殿、まずはこの私が』
『??』
しばし呆然としていた眷属デルリッパが我に返ったようにして門扉を潜り、草地を歩いては景色を見回してキョロキョロしだしている。
ワタルリには彼らのやりとりがよくわからない。勇者たちから殿下と呼ばれている貴族風の青年の言葉からしてこの風景は彼らの想定外のものらしいが、仲間たちは無言で目を細めて景色に見入っておりさっきまでの緊張感はない様子だ。
確かに風景が綺麗なだけで危険という感じはしないが、おかしな異常事態には違いないだろう。色々とおかしい。黒い世界でもなければ小屋の中でもない景色で、地底という風景でもない。扉を通ると別世界に行くというのはファンタジー的なお約束でワタルリには理解しやすいと言えるが、実際に目にすると違和感がすごかった。
『…こ、ここは、おそらくは幽界。…あれに見える幾筋もの大河は、八百路の八潮路の、数多ある霊川…この草地は、そのいずれかの流れの中の、中洲の一つでしょう。…なぜ扉の遷移先が冥界の地底路から逸れたのかは分かりませんが、…まあ、なんとかなります!ハハッwこの幽界を迂回して地表へ赴きましょうぞ!あっそうだ、エルフの霊神に陳情して彼らの霊里を経由させてもらえば━━━━━』
扉の向こうの草原をウロウロしていたデルリッパがこちらへ向けた顔は存外明るく、その説明もなんだか先行きの見通しが立ちそうなことを言っているのだが、その声が尻すぼみに小さくなって止まった。デルリッパの方を見ている勇者たちの異常に硬い表情から妙な雰囲気を感じ取ったのである。
「「「「「「「「「「「「━━━━━━━━━━━」」」」」」」」」」」」
異様な何かが黒々と立っている。デルリッパの真横に忽然と立ち現れたその異形に勇者達は絶句した。
黒塗りの柱がボロを纏った案山子みたいな姿の奴で、巨体のデルリッパを見下ろすほどに背が高い。それが口を動かさずに言葉を放った。
『━━冥府の眷属よ、何故に此地へ参った。死者にあらぬ人草共を連れ来るに足る名目があろうや?』
『…幽界の眷属殿ですな。早速のお出迎え、ご苦労様にございます。お控えなさって下さい。お初にお目にかかる。私、冥界ゲッヘナ、冥神ヌゥ眷属神冥王ネルガリ1柱に仕えます眷属デルリッパと申すもの。ちなみに前職は天界明神界人格神眷属神5次元3段目の眷属でして、あ、こちらに名刺を━━━━━━』
落ち着き払ったデルリッパが話す不思議な黒づくめのそいつは幽界の眷族なのだという。顔が能面のようで動きがない。内面の思考や感情が読み取れないところはデルリッパと同じである。
どうやら、この幽界という”あの世”の番人みたいな奴が冥界眷族デルリッパの侵入に気付いて現れたということだろう。2柱の眷属は何やら話し込んでいてこちらに目もくれないが、デルリッパは勇者達の事情をうまいこと説明できるのだろうか。
「━━━幽界…幽界!?」
(俺死んでないよな)
「あの世ってやつか?死後の世界、霊界の手前の?」
(まだ生きてるんだが)
「……」
(生き身であの世に至るとは、とんだ道草になったものよ)
「えぇっ…ちょ、トロリ入っていいの?行くのこのまま?」
(死んでないのに幽界に入るって…)
「アッハッハwまあまあ皆さん。僕は逆にほっとしているよ。冥路を上っていくのは危険だったからね。これまでなんの立ち回りもなかったし、1人も死んでない。まあまあ無難で順調じゃないか。また道草になったけど、なんとかなりますよ!さあ入った入った!」
(生きて幽界に入れるとかなかなかないでしょ)
勇者トロリがスタスタと青草を踏んで草原に立ち入ると仲間たちも扉を渡って”あの世”の草原へ踏み出した。眷族デルリッパと黒い眷属の話し合いの続く様子を見ていた勇者トロリがどう判断したものか、ともかく入ってしまって大丈夫と踏んだのだろう。既にワタルリも恐る恐る足を踏み入れて扉の横に立っている。
『……ここが”あの世”…』
黙っていることが多いワタルリが思わず言葉をこぼしたのは、当初の目的地の一つに図らずして辿り着けた驚きからだ。ネコミミくんや死神姉さんの助言は一応念頭にあったとはいえ、お迎えが来なくてどうしようもないと思っていたのに。
しかし、それはよかったものの問題はここからで、あの世に至ってからどうすればいいかをワタルリは誰からも聞いていない。イオラも勝手に連れ出してしまったし、どうしたものか。
そんなふうに思っていたら背中の違和感に気づくのが遅くなった。
『━━━なんで…ッ』
『っ!?あ…グェッぷ!』
耳に囁きを感じた時にはワタルリは背中を打ち捨てられて前のめりに倒れ、そのまま首を巡らした時にはイオラはもう扉から出て行って赤毛の後ろ髪が見えただけである。
なんとも呆気なかった。
ワタルリは声をかけようとした呼気を力なく吐き捨てて辞めた。彼女への気安い親しみからくる興味がスッと引いていく自分の心を感じて、肩から力が抜けていく。
これで良かったのだ。イオラはイオラの人生だし、彼女の心は彼女だけのものなのである。ワタルリは危うく大きなお世話をして取り返しのつかない恨みを買うところだったのかもしれない。
ワタルリも自分の道を行かねばならないだろう。
「道連れくん、追わなくていいのかい?」
『あ、━━━いえ、いいんです。あの人はもう。…うん。お別れっすね』
勇者トロリから声をかけられてバツが悪いワタルリは膝を払って立ち上がったが、既に勇者一行の視線を集めてしまっていた。なんだかピチピチギャルに突き飛ばされて転がった哀れな学生さんという構図で恥ずかしい。
それなのにわらわらと仲間たちが集まってきた。何も集まらんでもとワタルリは思うのだが、それは彼らにとって道連れのワタルリへの最後の選別だったのだ。
「道連れくん、僕たちと君ともここでお別れだ」
『…!…あ、はい━━━ありがとう、ございました…トロリさん。みなさん…』
「灯り、助かったよ。ありがとう」
「おつかれ」
「元気でね」
勇者達と出会わなかったらワタルリは今でも黒い世界でイオラとフラフラ歩いているだけだったろう。人との縁の巡り合わせはこれほどに人生に変化をもたらす。
ワタルリの感謝する気持ちは本物だ。だけど、そのさらに本音の裏にはもっと頼りたい気持ちがある。自分の異世界人としての境遇を明かして、元の世界へ帰るための知恵を貸してほしいという切実な思いが。
短い道中だったが勇者トロリと仲間達から感じた思念や感情は本当に普通のいい人達だったからワタルリはそう思えたし、かと言って頼るわけにもいかず、ワタルリはまた1人になるしかない。それが視線を下げたワタルリの表情に出てしまっていた。
「━━ン゛ゥン゛ッ。あれなるを見よ、道連れ。この幽界に至る死霊達は皆あの船船に乗ってこの大河を渡り霊界へと赴く。死者の魂とはあのようなものよ」
(余も初めて見るが、これが有名な幽界の渡し舟である。ああして魂達は行くべきところへと行くのだ)
『━━━…あ…』
不安げなワタルリを見かねたかのような咳払いをしたのは勇者達が殿下と呼ぶ貴族っぽい服装の若者だ。背筋が伸びて品のある表情の殿下はワタルリの肩へ扇をピシャリと当てて注意を促した。
顔を上げたワタルリは、殿下が扇で指し示している扉の背後の景色を見た。この中洲から遠く離れた対岸の岸辺に膨大な人数の人々が河原を蠢いているのが米粒並みに小さく見えている。いくつもの大船小舟が河岸へ着いては離れ、人々を乗せて運んでいく。
つまりツェッペル殿下はワタルリにもあの船に乗れというのだろうか。何ともわかりやすく道筋を示してくれたもので、ワタルリもそれは悪くないなと思った。てゆうかお船乗ってみたいし。小舟はどれも風情ある木造船で船頭が櫂を手漕ぎしていて面白い。大きな船は沢山の帆を貼った帆船で、外見だけでもう冒険感があって見るだにワクワクする。
だが人霊を乗せて去って行く船はどれも乗客満載である。ワタルリ達の居る中洲の近くを通る船などは乗客達の顔がよく見えた。乗るならば人々を乗せる前の空の船に声をかけねばなるまい。
そんなふうにワタルリが考えていると、それらの船に乗る顔ぶれを見た勇者の仲間達からどよめきが起こった。
「あれは…嘘だろ」
「おい、…チンジャオ将軍…剣豪のミフトラ様…魔法士マヌーサ…みんな居るぞ。死んだのか皆んな」
「んん?空賊の首領ゲガール…海賊王のウェイダオもいるな…。軍団の長が軒並み幽界に顔を連ねてるなんて異常事態だろ。海上でも空でも大戦になってるってことか?」
「━━━━━うむ。河岸をざっと見たが、知った顔があまりにも多い。…魔王戦での死者達に相違あるまい」
「地上は、帝国はどうなったんだ?」
「考えられる被害の規模は……途方もない。我らの連合国はもうだめだろうよ…大陸自体が壊滅状態ではないかな」
『……』
魔王戦というと、戦争のことだろう。ワタルリが生前に巻き込まれたあの戦争のことを言っているのだろうか。魔王ベニベニの嫌な顔が脳裏によぎったワタルリは顔を顰めた。
だが勇者の仲間達が目を細めて死者達を見送り、口々に深刻そうな声で話すのを聞いて、本当にここは”あの世”の河なんだとワタルリは腑に落ちている。あの戦場で死んだ膨大な人数が今こうして魂を船に乗せられて、あの世の向こう岸の”霊界”へ渡ろうとしているのだと。
『━━━━━』
一同がそんな景観を眺める気持ちがどんなものかワタルリには分からない。
だが、あの船で運ばれる魔王戦の死霊達はこれから霊界というところへ行って、それでどうなるんだろう。今度は別人に生まれ変わるのだろうか。
他の死霊達のことはいい。
ワタルリ自身は自分以外の別人に生まれ変わるなんて考えられない。
だって転生とかしてたら、いつになったら帰れるのそれ。このまま元の世界へ帰らしてくれと。
死神姉さんから教示を得て考えたように、霊界へ行って霊界で情報収集をするとか、なんとかGODとかに取り次いでもらって頼んでみて、どうにか元の世界へ帰れる保証をしてくれないだろうかと。
その安全保障さえあれば冒険してもいい。
そして、この異世界へ自分を召喚した何者かが美少女であり、その何らかの理由が可愛げのあることならば協力を考えないでもないのだワタルリは。その辺もGODに会えば何でも教えてくれるだろう。いるでしょうGOD。なんか眷属がどうとかいう世界なんだから。全知全能のGODを探そう。
━━━━━よし、霊界へ行くか
と、1人心に決めたワタルリは目の前に広がる船船の風景の中から乗れそうな船を探すことにした。
するとそこへ丁度良いことに、ワタルリ達のいる中洲へと迫る数隻の小舟があるではないか。
小舟らはそれぞれ形状の異なる船で、船頭らしい編み笠を被った船乗りが舳先に立って櫂を漕いでいる様子が見える。
岸に着いた船からはぞろぞろと乗員が降り立ってこちらへと歩いてくるのだが、彼らもまた編笠のようなものを目深に被っていて顔が見えない。
「何だ?」
「お迎えか?」
「━━…」
『…!……』
こういう時には少し不穏な空気がするものである。得体の知れぬ集団が現れて近づいてくる時のプレッシャーはこの場の全員の顔色を変えていた。勇者一行はすでに得物に手をかけている。
ワタルリは勇者達の警戒する空気を感じ取ってビビリ、キョドキョドしながら様子を見つつ身を守る為に勇者達の後方へ下がり、それでいて何事もなければ船頭さんに交渉して船に乗せてほしいから言い出すタイミングを図ろうという器用な心構えを作り上げた。だが、もし何かことが起こった場合には━━━━━
『いや〜お待たせしました皆さん。今ほど手配が済みましたので、あの小船に乗ってエルフの霊里へ参りましょう。そこからエルフの里へ。そして地表世界へと戻る段取りです。ですからその為に━━━━━』
「これが貴様ら眷属の答えか」
背後に立った眷属デルリッパを見もせず後ろ手に斬りつけた勇者トロリの一太刀を合図に全員が動き出した。
黒づくめの集団が編笠を高々と放り捨て白面の顔を露わにし音もなく駆け出すと、それらの足を薙ぐような光の刃が横一文字に撃ちつけて行く手を遮った。━━━魔法である。勇者が「冥界では使えない」と話していた魔法らしき輝きを放つ小杖を掲げる仲間の女性が放った牽制だったが黒づくめ達は尚も向かってくる。白面の彼らからその表情は読み取れないが手に手に凶器を掲げているのがそのまま殺意を表していた。
その戦意を見てとった勇者の仲間達がすぐさま迎え撃つ。すでに手印や呪文の所作を終えていた僧侶の人が礫のような無数の火の玉を空中に燃やし凄まじい速さで撃ち込むと散弾のように散らばり、駆けてくる黒づくめ達はまともに魔法を被って煙に包まれた。その間にも仲間達は詠唱や反閇の所作を済ませた者から地面を溶かしたり吹雪で敵陣を凍てつかせたりと魔法の継ぎ目がないくらいに散々にやってのけた。仲間達の容赦の無い迎撃は中洲の草地をボロボロに変形させたほどである。
だが立ち込める戦塵から走り出た黒づくめ達は全ての魔法を身に受けたにも関わらずそのまま一挙に距離を詰めてしまい、苦い表情の勇者達は鉾を合わせる撃剣の激戦となってしまった。
誰かの魔法によるものか爆煙や霧で景色が曖昧になり、勇者やデルリッパ達がどうなったかワタルリには分からない。空間を破るような剣戟の音だけがやたら響いて聞こえる。それなのに声が聞こえて来ないのが不気味だった。
『━━━ぁぁ…そんな……そんな━━━なんで━━━━━』
いつの間にか、足元に真っ赤な何かが迫っている。大量の血液━━━それと気付いた瞬間、自分の顔がくしゃくしゃに歪むのを耐えられなかった。それらが生きた人間の死を表すであろうことはワタルリにも分かって。
流れ落ちた命は掬いようがなくて、どうしようもなくて、ワタルリは一歩も動けなかった。




