第22話 『 未知の籠目 』
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「━━━━━?…ルドルフ?」
(どうしたんだ?なぜ突っ立ってる?)
血溜まりに落ちる腕や足を拾っては小脇に抱えている男が首を巡らせて、相方の名前を小さく嘆いた。様子が変で気になったのだ。
彼の相方の筋肉質な覆面男━━━ルドルフは、蟹さんポーズの立ち姿のままでワナワナと震えている。
「…ナ…ナぁ…ァ……」
(そんな…まさか)
「…おーいルドルフ……」
(やれやれ…まだ生贄が残ってるじゃないか)
ルドルフが彼の守護悪魔へ捧げる生贄のためにと最後に取っておいた少年はとっくに解体しているだろうとクラウベは思っていたのに、全裸の少年はいまだに低い天井の鈎から吊るされたままだ。
ただ、いつも彼が生贄を解体する手始めにするように、生贄の体の末端である足の指━━━少年の右足の親指だけが微かに切れて血が滴り落ちている。
「なぁあ、ナぁあ!…ナ…ナ…ナアァアーーー〜〜ッッッ!!!!」
(!!!間違いだ!!!そんな!!━━━━━)
「オイ、何やってる?早く片付けるんだ。そいつでフィナーレだろ?」
(まただ。ルドルフは1人で自分の世界に入れ込んじまうから、いちいち手間がかかる)
生贄を屠るルドルフは倒錯的になって虐殺の演出に凝ってしまう性癖がある。
共に仕事を進めるクラウベとしては淡々と儀式を進めて次の作業に進みたいのだが、ルドルフのこだわりには時々困らされるのだ。今回もルドルフが自分の気持ちを盛り上げるためにわざと生贄の処理を勿体ぶって見せているんだろう。
「……ドクター……クラウベ。見てくれ。こいつをどう思う?」
(頼む…間違いであってくれ。俺は屍肉に━━━)
「━━━ぅん?………」
(見てくれって…あぁ、そういうことか。闇医者のこの俺に…)
ルドルフはやけに焦った様子で、しかし自分を落ち着かせようと内心抗うような口調で相方のクラウベを頼った。演出にしても周りくどいやり方である。
背の高い殺人鬼クラウベはルドルフのノリにうんざりして長身をゆらゆらさせた。昼はクリーニング屋、夜は闇医者をやっているクラウベは多忙である。この生贄儀式の補助業務のためにばかり時間を費やしたくはない。
ともあれ、クラウベの触診にかかれば魔法を使わずとも人間が生きているか死んでいるかなど一眼でわかる。
様子のおかしいルドルフの訴えをそういう意味だと察したクラウベは少年の肉体に近づいて脈を取り、目蓋を開いて瞳孔を確認。
━━━━━少年は事切れており、その肉体は間違いなく死んでいた。
「ルドルフ。……ハァ…━━━━残念だが…」
(なんてことを…呆れたやつだ。気がつかなかったのか?)
「う…嘘だと言ってくれドクター!?」
(何かの間違いだ…こんな…!?)
「この少年は死んでいる。死因は、━━━お前の顔面キックだ。おそらくはあれで、この少年の脳がダメになったんだろう。お前の魔法の鋏で足の指を切ったことによるショック死ではない。なんてことだ…お前は、…主の生贄を横取りしたことになる」
(やってしまったなルドルフ。恐ろしい。このことは、俺に口を挟むことはできない。ハサミだけにな…)
「………━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━」
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『━━━……え?』
疲れた様子のクラウべ。放心状態のルドルフ。
彼らの話す異言語が日本語で聞こえ、その思考や内心が分かる現象が奇妙すぎて幽霊ワタルリは終始変な表情で部屋の隅に息を潜めていた。
殺人鬼達の言っていることはワタルリの意識下で日本語に変換されているとは言え意味不明な内容である。殺人鬼のくせに殺人しておいて困ってるとかワタルリには意味が分からない。
そして自分の死因はワタルリにとって意外だった。
呆気にとられて声が出たが、このワタルリの声は誰にも聞こえない。ここは記憶の中なのである。
幽霊ワタルリは己の死因を求めてこの記憶世界を想起した。
それで死因に至る一連の様相を見ているものの、悪夢として記憶の隅に蓋をしていた地獄の様相の只中にいつの間にか立っている自分に気がついて動けなくなってしまっていた。
生前のこの時の自分は完全に気が狂って精神が壊れたのだ。その時と全く同じ惨状の只中に立って、平気で居れるはずはなかった。
━━━精神が壊れた裏声の絶叫。
━━━血溜まりの跳ねる死の音。
━━━血と汚物が作る地獄の匂い。
━━━狂った思考、倒錯して磨耗する心。
記憶世界はリアルすぎた。ある面ではリアルを超えているほどに。
低い天井を焦がす篝火の灯りの揺らめく色は全てをセピア色に染め上げて、世界をある一つの主張に照らし出す。
そこに立つ悪魔のような凶人と、今から切り殺されることが決定している人々の間で交換される歪なギブ&テイクがなんのために在るのかという永遠への怨嗟と絶望を訴える呪いを。
それらを部屋の隅へ離れて見ている視界の中に、生前の自分の全裸で吊るされた姿がなければ、幽霊ワタルリも気が狂っていたかもしれない。だが自分自身の生前の姿を見ていることで、これは現実じゃ無いんだとギリギリのところで死霊としての自覚を保てた。
やがて人々の解体が進むとともに声は聞こえなくなり、床の血の海が四肢累々となった頃。
最後の生贄にととっておかれたワタルリはその裁断を待たずして心肺機能が停止し、息を引き取った。それは記憶状の自分の肉体を見ている幽霊ワタルリには如実にわかる。命の光が消えるように体から離れて消えるのが。
それは、ただその場に押し黙って記憶世界に同調しないよう己の意識にしがみ付くワタルリを驚かせる意外な事実だった。
意外というか、ワタルリが自分で思い込んでいただけだったのである。解体されて死んだのだと。
『ちょっと、…まった。そうか…そうだったか』
記憶を見ているワタルリは崩れるようにその場に膝を折って屈んだ。
別に死因がどちらでも最悪なことに変わりはないが、でも少しマシかもしれない気がした。なんだかどっと疲れが出た。
『…見たくない。もう見なくていいだろ』
もう死因をみた。
記憶というものは強力な引力でワタルリの意識に縋り付いて来て煩わしいが、この上は自分が解体される姿なんて見る必要もないだろう。
ワタルリがこの記憶世界に求めたのはこんな雑多な情報ではないのだ。
”お迎え”を見つけるために死因を見にきたのだし、ここで死んだのならこの記憶で間違い無いはずだろう。
前回の高所からの滑落死の時点には”お迎え”は来ていなかった。だから、それならワタルリに縁のある”お迎え”とかいう存在が来るとすればこの瞬間では無いのか。
しかし今のところそれらしい存在の姿は無い。死神姉さんのような美女によるお迎えを期待していたがまだである。
『だいたい、ここにいた他の人たちの魂とかそういうのも…━━━』
地下室を見回すワタルリだが、バラバラに殺された人々の魂が見当たらない。幽霊になったのが自分だけというわけでもあるまいに。
ワタルリは疲れた。もうこの記憶は見なくていいのではないか。
お迎えもこないし、過去の出来事を繰り返すだけの記憶世界を見ていても意味がなかった。
そうなるともう、それ以外に目を向けるしかないだろう。
自分の記憶の外の記憶世界。異世界の中の異世界へと━━━━━
『━━━…んん?』
バラバラにされた自分の死体の運ばれる先を見に━━━━━と思って気がついた。
今既に見た記憶こそが自分の記憶世界から逸脱していると。
『な、なんで…いつから━━━』
殺人鬼達の会話も自分は知らないはずである。それをなぜ見てしまっている。
今ワタルリがいる記憶世界はワタルリの記憶に無いでは無いか。
さっきは扉の向こうで垣間見た”異世界の中の異世界”ともいうべき自分の記憶の外の未知を恐れてワタルリは立ち入れなかったというのに、いつの間にか踏み込んでしまっている。
未知というバケモノの領界。その途方もない永遠の引力にワタルリは抗えていなかった。
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恐ろしいと思うが故に見入ってしまうのだ。
怖いはずの未知の記憶はワタルリを魅入らせ、その引力で意識を捉えている。
未知とは禁断の果実だろう。
知ってはいけないかもしれないことを既にちょっと知ってしまっているとしたら、それはもう知ろうとしてしまうに違いない。
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━━━━━━━━━━━背の高い殺人鬼クラウベが、相方の殺人鬼ルドルフの前にある少年の体を天井の鈎から降ろした。そして斧と大きな掛矢を使って少年の体を器用に解体してゆく。
人体の関節などに斧を入れてから掛矢で斧の背を打って断ち切るようだが、闇医者クラウべはなかなかに手こずっている様子だ。それなら相方に手伝わせれば良さそうなものだが、しかしクラウベはルドルフに手伝いを促すでもなく自分の作業に集中している。
クラウベは関わりたくないのだ。ルドルフは今から大変な目に合う。
既にルドルフの筋肉質な全身に掘られたグロテスクな刺青が蠢くように脈動して黒煙を放ち、その異形を顕そうとしていた。
『ルドルフ・イパーイ。契約者。我が僕よ。お前はこの蟹魔神界5次元4段目カガニーとの契約である”屍肉に鋏魔法を入れてはいけない”を破った。あまつさえ、諸神に捧げ奉る生贄をも横取りするという暴挙を犯した。その上こともあろうに私的に殺人を犯した。これは天津罪、国津罪、許許太久の罪である━━━━━』
形容し難い奇怪な声とも取れぬ異音にダブって日本語吹き替え版がワタルリに聞こえ、耳障りなガサガサする音が辺りに反響し、生臭い匂いが立ち込めた。
地下室の低い天井に収まりきらぬ巨躯を屈める巨大な暗い存在が無数に手足を広げ、暗い部屋を陰鬱に覆う。
その何本あるのか分からないくらい多すぎる腕の先には鉤針に貫かれて苦しむ魂達の姿がある。
猟奇的に虐殺されて死んだ彼らのお迎えは醜悪な悪魔の姿をしていた。