2学期〈1〉
それから夕食を食べ終わり少しお話をしたところで、そろそろお暇させてもらうことになった。
健さんも早紀さんも夏樹くんも、家族全員で玄関まで見送りに出てくれる。
「じゃあね円くん。良かったらまた遊びに来ておくれ」
「はい、その時はよろしくお願いします」
「まだ夏休みも残ってるし楓と遊んであげてね」
「はい、こちらこそ」
「円先輩、またお話聞かせてくださいね」
「うん、もちろんいいよ」
とそれぞれと会話を交わすと、楓がドアを開けたまま外から声をかけてきた。
「あんまり引き止めたら円が困るでしょう。行くよ、円」
「あ、待って!今日は本当にありがとうございました!」
「あぁ、気をつけてね」
手を振ってくれる健さんたち3人にペコリと頭を下げて、ドアをくぐる。それを見て楓がガチャリとドアを閉めるのを見届けて、僕はほう、と息を一つついた。
少し先まで見送ってくれるということで一緒に外に出た楓が、先に歩き出しながらそんな僕を見てニヤリと笑う。
「緊張した?」
「したよー!するに決まってるじゃん。失礼のないようにってさ」
「別に大丈夫だったでしょ」
「それはそうだけどさ……」
今日は特に失礼はなかったはず、と思い返して頷く。それに再び楓が笑うのを見て、僕もつられて微笑んだ。
「今日は楽しかったなぁ。まだ夏休みも残ってるし、また僕と遊んでね」
「もちろん。今度はどこか遠出でもしてみようか」
「それいいね!」
「じゃあまた連絡する」
「うん!」
路肩に並ぶ電柱をいくつか越えたところで、2人で立ち止まる。僕は振り返って手を振りながら歩き出した。
「じゃあね、ここまでありがとう!またね!」
「あぁ。また」
控えめに手を振りかえしてくれる楓に笑って、僕は前を向いた。そして家まで着くと、予想通り両親からの質問責めにあった。それに一つ一つ今日を思い返して返事をしながら、1日が過ぎていった。
◇◇◇
それからというもの、楓や樹と遊んだり、生徒会の仕事で学校に行ったりしているうちに夏休みは過ぎ、あっという間に2学期がやってきた。
2学期が始まる当日、僕は生徒会の用事で早めに学校に来ていた。用事を済ませ教室に戻ると、多くの生徒たちが夏休みの思い出を語り合っている。僕は彼らにおはよー、と挨拶を返しながら自分の席へと向かった。
その時、ふと顔を上げると僕の眼鏡越しに窓際1番後ろの席で頬杖をついたままの楓と目が合った。一瞬ドキッとしたものの、僕は一つ息をついて口を開いた。
「楓、おはよう!」
「……おはよう、円」
ザワッ。
楓が微笑みながら挨拶を返すと、教室内がザワつき出した。楓はそれを気にしていないのか、僕を数秒見つめた後ふいっと視線を逸らし窓の外へと視線を向ける。僕も自分の席へと着くと、バッグを机の横にかけて腰掛けた。
すると近くで友達と話していた委員長が恐る恐る、といった様子でこちらに近づいてきた。
「あ、あのー……」
「ん?何?」
「鷹司は二条院さんとどういうご関係でいらっしゃる……?」
動揺しているのか不自然な敬語になってしまっている委員長に笑う。そして僕は楓の方を再び向きながら、
「楓とは友達になったんだ。ね、楓」
「あぁ……」
ガタッ、と席を立った楓がこちらに来て、僕の左肩にぽん、と右手を置く。その間教室内は楓の一挙一動を固唾を飲んで見つめ、不思議とシン……と静まり返っている。
「円は友達。……何か不都合でもある?」
「いえいえ!ただちょーっと気になって聞いてみただけですんで!」
「そう」
そう慌てたように両手を振って後退りする委員長に、楓がいつも通り冷静に返事を返す。それを内心やっぱりこうなったか、と考えていると、
「ーー何これ?どういう状況なの?」
「樹!」
斜め後ろを振り返ると、樹が机の上にバッグを置いて立ったまま不思議そうにこちらを見つめていた。
「ちょっと楓とおはようって挨拶したら騒ぎになっちゃって。友達になったって説明してたところ」
「あぁ、なるほどね」
樹はバッグを置くと、僕の横に立って固まったままの委員長を一瞥した後、くすりと笑った。
「おはよ、円。おはよ、二条院」
「おはよ」
「おはよう」
「二条院、後で話あるんだけどいい?」
「もちろんいいよ」
「じゃあ後でね」
「あぁ」
おそらく前に言っていた楓に言いたいこととやらを話すのだろう。座ったままの僕の頭上で交わされる会話をぼんやり聞いていると、楓から話しかけられた。
「円。今日放課後生徒会はあるの」
「今日はないよー」
「なら一緒に帰らない?」
「もちろんいいよ!」
「わかった。じゃあまた帰りに」
「うん」
最後に微笑みを一つ残して自分の席に楓が戻っていく。それに徐々に騒めきを取り戻していく教室を眺めながら、僕は樹の方を向いた。
「久しぶりだね、樹」
「そうだね!元気してた?」
「見ての通りだよ。樹は少し日に焼けたね」
「和泉と海に行ってきたからねー。それでだと思うよ」
「そっか」
樹はどうやら彼氏とも相変わらず仲良くやっているようだ。それから樹と会話を交わしていると、担任の会津先生が教室に入ってきたのでそれぞれ会話を中断してみんな席に着く。
「おぉ、みんなおはよー」
「「「おはようございまーす」」」
「今日から新学期だな、みんな夏休み気分が抜けないかもしれないがもう学校は始まったんだ、気張っていけよ!……じゃあ朝礼始まるから体育館に移動しろー」
毎学期始まりの日には全校朝礼がある。ぞろぞろと体育館に行くため廊下を歩き出す生徒たちに混ざりながら歩いた。体育館に着くと、みんなはクラスごとに名前順に1列に並ぶ中、僕はその列を抜けて体育館の端の生徒会役員が集まっている方へと向かう。
「おはようございます」
「おはよー。あ、円くん!元気にしてたかい?」
「はい、おかげさまで」
「それは良かった良かった」
役員の輪の中から笑顔で話しかけてきたのは生徒会会長の橘先輩だった。今日は生徒会が朝礼の司会をすることになっているので、こうして集まっているというわけだ。
他の生徒会役員がマイクの準備をしているのを見ながら橘先輩と話をしていると、朝礼の始まる時間がやって来た。橘先輩が司会者台の前に立ち、僕たち他の役員は後ろに立って控える。
「……それでは、本日の朝礼を始めます」
橘先輩の落ち着いた声の司会のもと粛々(しゅくしゅく)と進んでいく朝礼の中、2-3の生徒たちの列を見つける。なんとなく楓に目を移すと、楓は眠そうにぼんやりと前を見つめたまま胡座をかいている。その無防備ともいえる姿に内心笑いを堪えながら、朝礼が終わるのを待った。
「……これで朝礼を終わりとします。それぞれ教室に戻ってください」
ザワザワと騒めきだす生徒たちを尻目に、橘先輩がマイクのスイッチをオフにするなりこちらに駆け寄ってくる。
「はぁ〜やっと終わったよ円くん〜!」
「一応生徒の前なんですから、自重してください」
「むぅ」
頬をわざとぷくっと膨らませる仕草をする天真爛漫な会長ではあるが、そういうところが人気を博しこの学校では絶大な支持を得ているのだ。もちろんそこには尊敬というだけでなく恋愛的な意味も含まれ、今も橘先輩と話す僕にそこかしこから嫉妬の視線が向けられているのを感じた。
「ほら、早く片付けて帰りますよ」
「そうやって会長の僕に対しておざなりな態度をとって!何が起きても知らないんだからね!」
「はいはい」
くすくすと笑う他の生徒会役員たちを横目に、橘先輩からマイクを受け取って歩き始める。後ろから着いてくる橘先輩に適当な返事を返して、僕はマイクを片付けた。こんなやり取りを許してくれるのも橘先輩の人柄故だ。
生徒たちも教室に戻り静けさを取り戻した体育館の中で、僕たち役員も教室へと戻ることにする。体育館を出ると、橘先輩が僕の横に並んだ。先輩は身長が169㎝と僕よりも低いため、見下げる形になってしまうのが気になるところだ。
「夏休みは二条院くんと遊んだのかな?」
「はい、何回か」
「そっかそっか。仲が良くて何よりだよ」
「先輩は誰かと遊んだりしたんですか?」
「クラスメイトと何回か遊んだよ」
「へぇ……」
「その聞いておいて興味のなさそうな態度はなんなのさぁ」
ただ単純にそうなのか、と思っただけなのだが先輩には興味のなさそうな態度に見えたらしい。またぷくぅと頬を膨らませる先輩の頬をつついてぷす、と空気を抜いてから僕は笑った。
「ははっ」
「こら、先輩に対して無礼だぞっ?」
「すみません」
「全く……」
やれやれ、と首を振りながらも笑顔の先輩とそれからも会話を交わしていると、2階の階段入り口へと辿り着いた。3年生は3階なので先輩とはここでお別れだ。
「じゃあまた生徒会でね」
「はい」
ばいばーい、と手を振る先輩に手を振り返して、2-3の教室に向かう。朝礼後で人1人いない廊下を進み教室の中へ入ると、まだ1時限目の担当である会津先生は来ていなかった。
「円、おかえりー」
「ただいま」
ガラッと後ろのドアを開けると樹がそう声を掛けてくれる。それに返事をして席に着くと同時に、教室の前のドアが開いて会津先生が入ってきた。
「よーしお前ら朝礼も終わったことだし授業始めるぞー」
すると教室のあちこちからえー、と反対の声が上がる。それに笑った会津先生は教科書を開いて教卓に手をついた。
「文句は一切受け付けんぞー。さ、72ページを開けー」
始まった授業にいよいよ夏休みが終わったのだなという実感が湧く。僕はノートと教科書を開きながら、2学期の始まりに胸を踊らせていた。