夏休み〈6〉
パタン、と言う音にふと顔を上げる。すると楓が本を閉じ、疲れたのか目を揉み解しているところだった。
「ふー……」
「もう読み終わったの?早いね」
「俺本とか文章読むの速いんだ」
「そうなんだ、それって速読ってやつ?」
「そう」
「すごいなぁ」
「テスト勉強が楽でいいよ」
「なるほどね」
あらためて知った楓の特技に楓は本当に多才なんだな、という感想を抱く。ふと外を見るともう夕方で暗くなり始めていていた。するとちょうどコンコン、とドアがノックされる音がする。はーい、と僕が返事をするとガチャリとドアを開けて母さんがドアから顔を覗かせ、
「ごめんなさいね、邪魔しちゃって。二条院君、今日夕食食べて行かない?」
「え、でも……迷惑になりますから」
「迷惑なんかじゃないわ。ぜひ食べていって」
「え、と……」
そこで困ったように楓が僕をチラリと見る。僕は笑顔で頷いた。
「……わかりました。迷惑でないのなら、ご馳走になります」
「あら、良かった!じゃあ準備するからそれまでこれでも飲んで待っててね」
すでに食べさせる気は満々だったのか、ティーポッドとティーカップのセットを持っている母さんに苦笑する。僕が立ち上がってそれを受け取ると、母さんは意気揚々と1階に降りて行った。
「ごめんね、強引に食べさせるようなことになっちゃって。お家で準備とかされてるんじゃない?」
「うん。だからちょっと連絡してもいい?」
「もちろんいいよ」
「ありがとう」
そこまで言って、楓がスマホを持って一度部屋を出ていく。家族と電話している声がドア越しに微かに聞こえてきた。
「……はい。なので、今日は友達の家でご馳走になります。帰りも遅くなりますのでよろしくお願いします」
(敬語で話してる……電話してるの家族じゃないのかな)
僕がそんな疑問を浮かべていると、話し終わったのか楓が部屋に戻ってきた。
「待たせた」
「大丈夫だよ。ご家族は大丈夫だった?」
「あぁ。ちゃんとお礼を言うように念押しされた」
「あはは」
先ほど感じた違和感は気のせいか、と脇に置いた。
それから紅茶を飲みながら読んでいた本の感想を言い合っていると、階下から母さんの呼ぶ声が聞こえた。
「円ー、二条院くーん、ご飯よー!降りてきてちょうだーい」
「はーい!」
返事をして、2人で立ち上がる。手を洗ってリビングに向かうと、カレーのいい匂いがした。
「カレーかぁ。美味しそう」
「そうでしょ?今日は二条院君がいるから特別張り切っちゃった!おかわりもあるから遠慮なく食べてね」
「ありがとうございます」
握り拳を作って力強く言う母さん。楓はそんな母さんに微笑しながらお礼を言っていた。
「お父さんもそろそろ帰ってくるでしょうし、先に食べちゃいましょ。さぁ座って座って」
麦茶も冷蔵庫から出して並べ、全員席に着いたところで、手を合わせた。
「じゃあいただきます!」
「「いただきます」」
我が家特有の野菜がゴロゴロ入っているカレーを口いっぱいに頬張る。そして飲み込むと、楓の方に視線を向けた。
「どう?楓、美味しい?」
「あぁ、とても美味しい」
「良かったわー」
楓に美味しいと言ってもらえて母さんも嬉しそうだ。僕もカレーを次々に口に入れていく楓を見ていると自然と幸せな気持ちになった。それから黙々と食べ進め、皿が空になるとすかさず母さんが聞き返す。
「おかわりはいる?」
「お願いします」
楓がそっと差し出した皿をニコニコ顔で受け取る母さん。僕も、空になった皿を同じく差し出した。
「僕もおかわり」
「わかったわー」
そしておかわりののった皿を持ってテーブルに戻ってきた母さんが、それぞれに皿を手渡す。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「ありがとう」
本日2杯目のカレーになるが、身内の贔屓目なしに美味しいカレーだ。再び黙々と食べ終わると、スプーンを置いた時には満腹感で満たされていた。
「はぁ、食べたー」
「美味しかったです、ご馳走様でした」
「まぁ、いいのよこれくらい」
そんな会話をしていると、ガチャリと玄関ドアの開く音がして誰かが家の中に入ってくる足音が近づいてきた。
ーーガチャ。
「ただいまー……っと、円の友達が来てるのか」
入ってきたのは仕事帰りでスーツ姿の父さんだった。テーブルに座る楓のことを見て目を丸くしている。楓もすぐに立ち上がって父さんに向き直る。
「父さん、おかえり。こっちは僕の友達の二条院楓って言うんだ」
「二条院楓といいます。いつも円さんにはお世話になってます、今日もお邪魔させていただいてます」
「おぉ……これまたずいぶんキラキラした子だね。私は円の父で隆二です。よろしくね」
「よろしくお願いします」
お互い頭を下げあう2人を見守る。挨拶が終わると、父さんは手を洗いに行ってすぐに戻ってきたと思うとテーブルの空いた席についた。
「あぁ、お腹が空いたな。今日はカレーか」
「そうよー」
すかさずカレーを目の前に出した母さんに父さんが微笑む。スプーンを手に持って、いただきます、と手を合わせた。カチャ、と音を立てながら食べ進めていく父さん。そして食べながら楓に母さんと同じような質問をしていた。
クラスは僕と一緒なのかとか、仲良くなったきっかけはどうなのか、家はどこなのかとか、たくさん質問されていたけれど楓は一つ一つに丁寧に答えていた。
「お父さん、その話はもう私としたのよ」
「えっ、そうだったのかい。2回も同じことを聞いてしまって悪かったね」
「いいえ」
静かに首を横に振る楓に好感を持ったらしい、普段は物静かな父さんには珍しくテンションが上がっていた。
「樹君以外にも円にこんなにいい友達がいたなんて知らなかったよ。良ければこれからも息子と仲良くしてやってね」
「もちろんです、僕の方こそ円さんと仲良くしてほしいです」
「楓……」
感動に言葉を詰まらせると、それを察したのか楓が僕の方を向いてそっと微笑む。その笑みがあまりに綺麗で、父さんと母さんも思わず見惚れているのがわかった。
「嬉しいよ、楓」
「こちらこそ」
ふふっ、と2人で笑い合う。それを見て父さんと母さんが嬉しげに顔を見合わせているのを僕は気づかなかった。