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サルニーナ王国の五侯爵家の一つ、ダストン侯爵家は女系の家系である。
現侯爵家当主のアラン・ダストンは、元は伯爵家の三男だったが、一人娘しかいなかったダストン家に婿入りした。
その先代も同じように婿入りしている。
ダストン家を遡って調べてみると、男子が跡を継いだことはここ数世代なく、サルニーナ王国内でも女系家系として認識されていた。
現在のダストン家にも跡取りは1人しかおらず、当然のように娘である。
リーファ・ダストン。16歳。栗色の癖っ毛はフワフワとしていて、垂れ目と白い肌に散った薄いソバカスで年齢よりも幼く見えるが、その空の青さを切り取ったような美しい青の瞳は、意志の強さと知性で煌めいている。
その日、貴族の子女が通う学園の、高位貴族専用の休憩室に呼び出されたリーファは、死んだ目で呼び出した男に対応していた。
「まったく、お前は相変わらず野暮ったいな。少しはラナを見習ったらどうなんだ?」
胸元の大きく開いたドレス姿の男爵令嬢を抱き寄せたリーファの婚約者は、気怠げに前髪をかき上げた。
カーク・ラガット、金髪碧眼の王子様のような容姿の、ラガット伯爵家の次男である。
リーファのドレスは大人しめではあるが、王都で流行りの店でオーダーメイドしたものであるし、その色合いもリーファの髪色に合わせたもので、彼女の可憐で上品な雰囲気を引き立てている。
「本日はどういった御用件でしょうか?」
リーファはいつもの平坦な声でカークに問いかける。
彼に応対するときは、いつも心が石のように冷たく固くなるので、こんな声しか出ないのだ。
カークはリーファの能面のような顔を睨みつけ、目の前のテーブルにバサリと書類を投げ出した。
「いつものだ。やっておけ」
リーファはバラバラになった書類をまとめ、目を通す。『治水の工期』『雨季』『工夫の不足』…、ざっと拾い読むだけで、ダストン侯爵領で現在行われている治水工事の関係資料と分かる。
「期限は?」
「来週だ。ちゃんと仕上げろよ。いつものように気付かれるんじゃねぇぞ。バレたら、俺と結婚出来なくなるからな」
リーファは書類を最後までめくり、頭の中でスケジュールを組み立てる。問題なく仕上げられそうだった。
「お前みたいな冴えない女、侯爵家の娘じゃなきゃ、俺みたいなイイ男には相手にしてもらえないからな。ちゃんと俺に尽くせよ」
カークはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら、リーファにクシャクシャにしたナプキンを投げつけた。
リーファに付き従う侯爵家の専用護衛の顔色が怒りで青黒くなる。しかしリーファが何事もなかったようにナプキンを畳んでテーブルに置いたので、怒りをぐびりと呑み込んだ。
「カークさまぁ。まだこの人とのお話、終わらないんですか?ラナは退屈です」
シルティ男爵家の令嬢であるラナ・シルティは、上目遣いにカークを見つめ、カークの腕に縋り付いた。
美形のカークと、服装はアレだが、妖精のような可憐さと、妖艶な(特に胸元が)雰囲気を併せ持つラナが寄り添う姿は、まるで一枚の絵画のようだった。
「ああ。すまなかったな、ラナ。俺もこんな女の相手はしたくないよ。
だが、こんな女でも、俺が侯爵家を継ぐには必要なヤツなんだ」
「もぅ、カークさまひどい。やっぱり私よりそちらの方がお好きなんだわ」
そう言いながらもラナの顔には、優越感が滲み出ていた。
カークがラナよりリーファに愛情を注ぐことなど、天地がひっくり返ってもありえない!!と思っている顔だ。
「バカな、そんな事あるわけがない。こんな女、俺が侯爵家
を継いだら、領地の片隅にでも追いやってやる!
正妻にはしてやれんが、可愛いラナには第二夫人として、家のことや社交を頑張ってもらおう。
侯爵家の金で、お前が欲しいドレスも宝石も、幾らでも買ってやるからな。
あぁ、今から結婚式が楽しみだ。ラナに似た可愛い後継を、頑張って産んでくれよ」
カークは慌ててラナを抱きしめ、頬に口付けながら甘い言葉を吐き続けた。
「そうだ、おい、リーファ。明日から俺はラナとサリーナ保養地に行く。静養のためにな。宿の手配をしておけ」
「いやーん。嬉しいですカークさまぁ。ラナ、サリーナのギュンター商会でまたお買物したいですう」
甘えを含んだラナの声が、リーファの神経を逆撫でする。
いつ聞いても指のささくれを見つけた時みたいに、地味な不快感を感じる。
反対にカークは鼻の下をのばしてラナを抱き寄せ、「なんでも好きなものを買うといい」とラナの首筋に唇を這わせた。
リーファはいつも側に控えている腹心の侍女と、専属護衛に視線を向ける。それだけで幼い頃から仕える2人は、退室のために主人の支度を整えた。
「宿は最高のものにしろよ。安宿の寝具でラナの白い柔肌を傷つけたくないからな」
にやにやと笑いながら「お前の肌は跡が付きやすいからな」とどうでもいい情報を垂れ流し、「まだ明るいからダメですぅ」などと恥じらうラナにのしかかるカークを尻目に、リーファは部屋を後にした。
ポツリと、「あれは修正不可能だわ」と言うリーファの声は、盛り上る2人の耳には届かなかった。