ぬか漬け
ぬらりひょんが目立たない妖怪だと聞いてから、数年後、「ひっそり隣の晩ごはん」という言葉が思い浮かびました。なんとなく好きな妖怪です。
ぬらりひょんは妖怪です。どこからともなく現れて家の中に入り込みますが、まるでその家の主人か、目立たない存在として扱われます。この特技を生かして、あらゆる家や飲食店に紛れ込み、しっかりご飯を食べてグルメガイドを作っています。三ツ星シェフのレストランから老舗の料亭、山奥深くに村に残る郷土料理。レンジでチンの冷凍食品やカップラーメンまで、ありとあらゆる人間の食生活にお邪魔して、そっと書き記しています。ぬらりひょんがやって来たことには誰も気づきません。古くから棲む妖怪や神様が、ぬらりひょんの来訪に気がついても見て見ぬふりをします。
「ぬらりひょん、うちに来たのかい?」
ぬらりひょんが洋風のテーブルの前で、大人しく食事の支度が整うのを待っていますと、化け物じみた声が聞こえました。でっぷりと太った黒い猫。腹のあたりと前足が白く、ふてぶてしく笑います。
「化け猫か」
猫はにたっと笑いますが、家の者には愛想よく、ナアンと言って甘えています。ぬらりひょんは目の前に並んだ食事を楽しみながら、適当に相づちを打ち、その家の料理の腕前を褒めています。奇妙な顔立ちのぬらりひょんを、家の者たちはそれはそれは丁寧に扱っていました。
「お前さんが、グルメガイドを作っていること知ってるよ」
テーブルの上に並んでいない美味しいものを紹介すると言うので、ぬらりひょんは席を立ち、のたのた歩く猫の後ろをついていきます。辿りついたのは台所の奥まった場所、大小様な甕がいくつか置いてありました。
「一番、大きい甕がいい。うまいぞ」
ぬらりひょんは言われたまま、甕の上に置いてある重石を持ち上げ、ふたを開けて覗き込みました。ぷんとしたニオイに顔をしかめ、台所に置いてある長い箸で一本の漬物をつまみ上げます。表面についたぬかを水で流し、そのまま口の中に放り込みました。
「うん。よく漬かっておるな」
「だろ?この家の亭主が、ずーっと面倒見てんのよ。このぬか床は」
「亭主殿が?」
「そういう伝統なんだ。他のも食べたかったら、食べてみたらいい」
猫はにやっと笑ってのっそりと台所の闇の中に消えました。それからぬらりひょんは、ぬか漬けを食べくらべると、床下にできかけている蜂の巣を始末してどこへともなく行ってしまいました。
ぬらりひょんは食事をした家で、その家の面倒ごとを片づけるようにしていました。
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