第4話「死体占い」
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目の前で殺し合いを見ても動じていないのは、さすが王女様というべきか。
私は苦笑しながら、王女に簡単に説明した。
「魔女の香を嗅ぐと、匂いの主に対して攻撃する気力を失うわ。嗅覚は原始的な分、本能に強く働きかけるの。でも人や獣は匂いにすぐ慣れてしまうから、効果があるのは最初だけよ」
「なるほど……。あ、それで『魔除け』なのか」
うんうんとうなずいているリン王女。
魔女の香は別にいいが、『殺意の赤』は魔女の秘伝なので他人には教えられない。
「さて、それよりも洗いざらい白状してもらわないとね」
私は死体の片方に手を伸ばし、その血溜まりに触れる。
「ノイエ殿、何をしているのだ?」
「死亡直後の新鮮な脳から記憶を読み取ってるのよ。今しかできない作業だから邪魔しないで。脳組織が壊死してからじゃ遅いの」
これも魔女の秘術『死体占い』だ。正式には『遺言』の術という。
目を閉じて意識を集中させると、刺客の記憶を断片的に拾うことができた。
これはまずい。
「殿下、あなた本気で命を狙われてるわよ」
「それはまあ、こいつらを見ればわかるが」
のんきなことを言っている王女に、私は指を拭いながら向き直る。
視線を素早く左右に巡らせると、森のかなり奥の方に青い光がひとつ見えた。暗殺の監視役か。
「見えてるわよ」
私はテザリアの仕草で「お前を見ているぞ」と示す。青い光が一瞬激しく明滅し、スッと小さくなった。逃げたようだ。
「本格的ね。今夜、もっと大勢で仕掛けてくる計画だわ」
「どこに? まさか、神殿にか?」
「もちろん。ああいう手合いはね、神罰なんか怖くも何ともないのよ」
私がそうだからわかる。
「世俗の権力闘争じゃ、神殿だの寺院だのは『試合場の外』なのよ。逆に言えば、その程度の意味合いしかないわ。殿下はどうやら、権力闘争に試合復帰することになったようね」
「私がか? 女の上に庶子なのだぞ? 継承権すら持っていないと、さっきも言っただろう」
私は首を横に振る。
「本当にそうなら、わざわざ暗殺なんかしないわよ。するとしても、私なら毒殺にするわ。こんな白昼に襲いかかってきたってことは、殿下を取り巻く情勢が急変したと見ていいでしょう」
そこまで話したとき、リン王女の表情が暗いことに気づく。
「どしたの、殿下?」
「いや……王位の継承が理由で私を殺しに来たということなら、殺されてやるしかない……」
リン王女はうつむいたまま、きゅっと拳を握る。
「私にも神殿の者たちにも、刺客と戦う力はない。かといって逃げることもできない」
王女は神殿の古ぼけた建物を指さした。
「私はあの神殿から出ないことを誓わされている。本当は荘園を歩くことも許されていないんだ。どこにも逃げられないから、覚悟を決めるしかない」
「ちょっとちょっと……?」
私が顔をしかめると、リン王女は無理に笑顔を作ってみせた。
「なに、これも王室に生まれた者の務めだ。死なねばならぬときには潔く死ぬ。王室の為に死ぬのも王女の役目だと教わった」
「あんたを追い出したクソ王室にそんな義理立てしなくていいわよ」
ちょっと感情的になってしまい、敬愛すべき我が王室のことをクソ呼ばわりしてしまったが、まあいいだろう。ついでに目の前の王女様もあんた呼ばわりしたが、そっちも大目に見てもらう。
それよりも問題なのは、彼女が生きることを放棄しかけていることだ。
「だいたいこいつら、誰かが雇った暗殺者よ。あんたを殺す正当な権限は有してないわ。こういう手合いから逃げるときに、法律や約束なんか守る必要はないの」
「そ、そうだろうか……」
私は焦れったくなり、腰を屈めてリン王女の顔を覗き込む。
「さっき会ったばかりの間柄だから、一度しか聞かないわよ。あなた、生きたくないの?」
「え? え?」
「生きたくないのなら、私とはここでおしまい。私はベナン村の代官として、自分の役割を果たすわ」
私はこの少女を助けたい。現代日本で言えば、彼女はまだ中学生ぐらいの年頃だ。
私の価値観では彼女は子供であり、大人の私には見知らぬ彼女を守る責任がある。
だがここは異世界。迷信と差別が常識とされる国、テザリア連邦王国だ。私の価値観はここでは通用しない。
だから彼女自身に決めてもらう。
「どうする? 私はあなたを助けなくてもいいの?」
「それは……」
リン王女はうつむき、沈黙を続ける。待っている時間が焦れったいぐらいに長い。
彼女の返答をドキドキしながら待っていると、やがてリン王女は真っ赤に泣き腫らした目を私に向けた。
「死にたくない……助けて……」
笑っちゃうぐらいに間抜けな声と表情。でもそれは紛れもなく、彼女が発したSOSだった。
ホッと安堵した私は、思わず彼女の手を握りしめる。
「わかった。これから私はあなたの味方よ。どんなことがあっても、あなたを守る為に全力を尽くすわ。王室だの貴族だのは関係ない。一人の大人としてね」
その言葉の意味がよくわからなかったのか、リン王女は目をぱちぱちさせる。
しかしやがて、照れくさそうに微笑んだ。
「……ありがとう、ノイエ殿」
「どういたしまして」
私は自分が途方もない危険に首を突っ込んだことを自覚していたが、同時に胸の高鳴りを感じていた。
ずっと前から気に入らなかったのだ、この世界が。
叩き壊してやる。