第3話「殺意の赤」
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リン王女は屈託のない表情を私に見せた後、前を向く。
「私は妾の子でな。母は王室の侍女だ」
「あらまあ」
とんだ王室ゴシップを聞いてしまった。うっかり他人に漏らそうものなら、比喩ではなく私の首が飛ぶ。
「王宮からは追い出されたが、テザリア姓を名乗ることは許されたんだ。それに母の実家は領主だったから、祖父に養ってもらった。祖父が亡くなって、伯父に代替わりするまではな」
「……また追い出されたのね」
「ああ! 今はあの神殿で暮らしている。あそこには母の墓もあるから、私が守らないとな。何も不満はない」
不満がない? そんなはずはないだろうと思ったが、リン王女の表情が見えないのでわからない。
「そんなことよりノイエ殿は髪が長いし、宝石もつけてるな?」
「母の教えでね。どっちも魔除けよ」
なるべくそっけなく返したのだが、リン王女は振り返って目を輝かせた。
「もしかしてノイエ殿は魔法が使えるのか? 呪文とか?」
「呪文は知らないわねえ……」
これは本当だ。私は呪文なんか知らない。
しかし魔法は使えた。
「殿下、あなた狙われてるわよ」
「え?」
「きょろきょろしないで。相手に気づかれるわ」
私の視界には、さっきからチラチラと青紫色の光が明滅している。
この男尊女卑の封建社会で、私がこんな奇妙な身なりをしている最大の理由。それが魔女の秘術だった。
これはそのひとつ、魔女たちが『殺意の赤』と呼んでいる術だ。
私に対して敵意を抱いている者は、隠れていても青い光が輝く。攻撃的な気持ちが高まると次第に赤みを帯びてくる。攻撃を決意した瞬間、完全な赤い光になる。
赤い光は軌跡を描き、それが攻撃の軌道を示す。目を閉じていても敵意の光は見えるし、背後の光も感知できる。
奇襲を回避するにはうってつけの術だが、村の中で紫色の光を向けられるのは初めてだ。理由はもちろん、この王女にあるとみていい。
青紫の光は二つ。農地の向こうの森に隠れている。弓なら届く距離だが、青紫色ならまだ攻撃してこないだろう。
察するに、私が邪魔で王女を誘拐あるいは暗殺できない。そんなところではないだろうか。
「殿下、命を狙われるような心当たりはある?」
「私には王位継承権もないし、狙われる理由が思い当たらない。狙われたこともないぞ」
「あらそう」
背後関係は不明だが、ここは私の管轄地だ。王室に対する重大事件を起こされても困る。
おまけに王女はまだ十代の子供だ。こんな子供を殺すなんて、人として許せない。
何より私は、このさばさばしたお姫様が嫌いではなかった。
私は微笑む。
「だったら、連中には少しお仕置きしないとね」
私たちの馬が神殿に近づくにつれ、青紫の光は次第に強くなっていく。近づいている証拠だ。
鍛え抜かれた軍馬ならこの距離で先制攻撃を仕掛けるところだが、あいにくとこの馬はただの乗用馬だ。騎乗戦闘の調教をしていない。
だから私はのんびりと馬を歩ませる。
「冷えるわね、殿下。私のマントを使って」
「あ、ああ。うん」
別に寒くはないと思うが、リン王女は察してくれたようでマントをまとう。すっぽり覆うとリン王女のシルエットはほぼ完全に隠れ、敵はますます彼女を狙いにくくなった。
青紫の光が紫になり、次第に赤紫へと変わる。襲撃は断念しないらしい。それも私ごと巻き添えにするつもりだ。あの光が示しているのは、あくまでも私個人に対する敵意だからだ。
降りかかる火の粉は払わねばならない。前世でそう教わったし、今世もそれで生き延びてきた。
次第に赤紫の光が赤みを増してくる。だがまだ赤紫だ。攻撃開始の合図ではない。
敵は私の術に気づいていない。不意打ちできると思っているだろう。
ギリギリまでは、そう思わせておかねば。何せ私は一人、敵は二人だ。
距離は約二十メートル。今なら襲撃者がどこに隠れているのか、はっきりわかる。あの大木の後ろ、低木の茂みだ。
次の瞬間、赤紫の光が完全な赤に変わった。光の軌跡が走る。
来る!
私は無言で王女を抱き抱え、馬から転がり落ちる。バンッという弦音が弾けたときには、私は受け身を取って着地の衝撃から王女を守っていた。外れた太矢が近くの木に刺さる。
近距離だと狙いをつけやすい反面、標的が一歩動くだけで狙いが外れる。
続けてもう一回弦音が鳴り響いたが、『殺意の赤』で軌道もタイミングも全てお見通しだ。私は転がりながら避ける。矢は地面に突き刺さった。
至近距離からの狙撃に続けて失敗し、襲撃者は茂みから飛び出してくる。行商人の出で立ちをした二人組の男は、短剣を構えていた。
即座に私は剣を抜き、王女をかばいながら立ち上がる。
「私はノイエ・カルファード! ベナン村の代官よ! 私を貴族と知っての狼藉かしら!?」
その一瞬、襲撃者は明らかに怯んだ。まさかこんな変な身なりの男が、隣村の代官だとは思わなかったのだろう。
平民が貴族の殺害を企てれば、未遂でも死刑になる。それがテザリアの法律だ。普通なら逃げるか、それとも弁明して助命を乞うかの二択だ。
しかし私の予想通り、相手はどちらでもなかった。短剣で私に襲いかかってくる。彼らに瞬くのは赤い輝きだ。
「覚悟はできてるわね?」
私は剣を構え、一歩踏み込む。
リン王女が背後で叫ぶ。
「待て、私も助太刀を!」
危ないから下がってて。
私が踏み込んだ瞬間、敵は二人とも動きが鈍った。
ほんの一瞬だが無防備になった襲撃者を、私は問答無用で袈裟掛けに斬り捨てる。
「はっ!」
返す太刀でもう一人を片づけようと思ったが、それより早く敵が動き出してきた。
鋭い動きで突き出される短剣を、私はヒョイとかわす。短剣より一瞬早く赤い輝きが動き、みぞおちを突いてくるのがわかったからだ。
相手の殺意が見える私には、殺し合いも約束稽古や演武と同じだ。むしろ相手に遠慮しなくていいので稽古よりやりやすい。
私はすり抜けざまに刃を滑らせ、刺客の首を撫でるように斬る。
「ぐぅっ!?」
赤く染まった喉を押さえて男がのけぞり、赤い輝きがフッと消える。すかさず剣で斬りつけ、刃で頭を叩き割った。
ここまでほぼ一瞬。
どうなることかと思ったが、今回は二人だったので割と楽だった。剣の血を払って、ついでに死体のマントで刀身を拭ってから、剣を鞘に納める。
ふと振り返ると、リン王女が目をキラキラさせていた。
「す……すごい! ノイエ殿は達人か! ぜひ私に剣の指南を!」
「あー……。あのね、これは魔女のおまじないのおかげなの」
「でも今の動き、まるで騎士物語の英雄のようだった! ノイエ殿はすごいな!」
何をのんきなことを。