第22話「魔女の宴」
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王都の宮殿に王女代理として呼び出された私は、また国王グレトーと対面することになった。
「ええと、そなたは……」
「ノイエ・ファリナ・カルファードにございます。陛下」
最近は私も貴族階級の敬語を練習しているので、多少話せるようにはなっている。
王はうなずき、それからこう言った。
「リンに直接問いただしたかったのだが、本人に聞くよりも側近から聞いた方が良いかもしれぬ。ちょうどよい、そなたに問おう」
「はい、陛下」
何を聞くつもりなんだろうと思っていたら、国王の質問は意外なものだった。
「リンはなぜ、余に感謝の挨拶に来ないのだ?」
「感謝……とは?」
何を感謝しろというのだろう。
すると王はやや苛立たしげに早口になる。
「『六つ名』にしてやった上に、領地まで与えてやったのだぞ? それもかなり強引な方法で、都に近い良い土地をくれてやったのだ。感謝して当然であろう?」
「はあ」
首を傾げるしかない。
「仰せの意味がよくわかりませんわ、陛下」
「わからぬはずがあるまい。余は国王であり、リンの実父でもある。娘にこれだけの厚遇を与えておるのだ。感謝され尊敬されねば道理が通るまい」
首をひねるしかない。私の首ではなく、このおっさんの首をだ。
とはいえ、本当に国王の首を変な方向にねじ曲げる訳にもいかない。
しょうがないので、もう少し会話を続けてみる。
「まあ、『六つ名』とテオドール郡については、リン殿下も感謝しておられるでしょうね」
テザリア貴族の敬語にまだ慣れてない上に、どうしてもこのおっさんへの敬意が沸いてこない。雑な敬語でしゃべり続ける。
「ただ、王や父として尊敬しているかということになると、たぶんあまり尊敬してないのではないかと」
「なぜだ!?」
心底意外そうな顔をされた。びっくりしすぎたのか、私の言葉遣いに腹を立てた様子もない。
ただ逆に私の方は怒りを感じていた。なんて父親だ。
「リン殿下の立場でお考えになったらいかがかしら? 生まれてこのかた、父親とはほとんど会ったこともないのよ? おまけに母親と共に宮廷を追い出され、母方の実家からも追い出されて神殿暮らし。母親が死んでも父親は知らん顔。どうかしてるわ」
私の前世の基準では、あまり良い父親とは呼べないだろう。
「だいたい、してやったしてやったっていう言い草が押しつけがましいのよ。リン殿下も迷惑だわ」
「何だと?」
子供に尊敬や愛情という見返りを要求するのは、親として正しいのだろうか。私には子供がいないのでわからないが、子供だった時の立場で考えるとかなり迷惑だ。
私の今世の母、魔女イザナはひどい母親だった。私が転生者だとわかった上で、それを利用した女だ。……まあいい、もう故人だ。
国王が不快そうな顔をしているので、私は国王をギロリと睨む。
「陛下がリン殿下に臣従を求めるのなら、それは国王として当然の権利だわ。臣従の礼を尽くすよう、私から言って聞かせるわ」
「ふむ、よろしい。自分の立場がわかっておるようだな」
ダメだ、この親父。私は一国の王とやり合う覚悟を決め、非礼を承知で言い放つ。
「でも感謝しろ尊敬しろと喚いたところで、誰も陛下に感謝も尊敬もしないわ。本当の味方が欲しいのなら、御自身の行いを改めることね」
国王の額に青い光が輝いた。魔女の秘術『殺意の赤』が、私への敵意に反応している。
「この無礼者め、余を誰だと心得ておる! こやつを投獄せよ!」
「私はリン王女殿下の腹心よ? いいの?」
私に何かすればリン王女にますます嫌われ、国王は王室内部で完全に孤立してしまう。その重大性がわかっているのだろうか。
周囲には軽装の衛兵が数名いたが、国王の命令で全員が一斉に剣を抜いた。油断なく間合いを詰めてくる。いい動きだ。
一方、私は丸腰で味方は誰もいない。
勝ち目はないだろう。……普通は。
じりじりと包囲される中、私は懐から小瓶を取り出す。
「『目を覚まさせる』のに、これを使うのは変かしらね……」
魔女の秘術には使い捨ての道具を用いるものがある。貴重な品ばかりなのが困りものだが、今は目の前のバカ国王の方が困りものだ。
私は小瓶の封を切る。甘ったるい香りのする液体を一滴、指先で唇に塗った。古代の秘薬『イプティオムの霊酒』だ。
私の言葉は今から、ひとつの力を持つようになる。
「我が声に酔いなさい」
次の瞬間、屈強な衛兵たちはよろめきながら尻餅をついた。顔が真っ赤だ。
「むうっ!?」
「うあぁ~……」
「うっぷ!」
驚く者、あくびをする者、口元を押さえる者。反応はいろいろだが、泥酔しているのは一目瞭然だった。いびきをかいて寝てしまった者もいる。
国王グレトーも例外ではなかった。私の今の声を聞いた者は全員、問答無用で酩酊状態に陥る。
「にゃ……にゃによ、したぁ……?」
完全にできあがっている王を、私はチラリと見て無言で微笑む。
魔女の秘術は人間の認知や判断に影響を及ぼすものが多く、火の球を作ったり稲妻を落としたりはできない。質量を発生させるのは苦手だ。ただ、認知や判断を極端に鈍らせることはできる。
今使った『イプティオムの霊酒』はその秘術に必要なアイテムで、貴重で高価な消耗品だ。これを作れる魔女イプティオムはもういない。この瓶の中身も残りわずかだ。
王は玉座からずり落ちそうになり、焦点の定まらない目で私を見ている。
「そにゃた……にゃにものら……」
私は答えない。というのも、私が次に発する言葉は王に暗示をかけることができるからだ。名乗りをあげたら無駄になる。
私は無言で玉座に近づくと、玉座前の神聖な階段を無造作に踏み越える。そして王の髪をつかむと、魔力を帯びた声でこう命じた。
「あなたがリンに会いに行くのよ」
「よが……リンに……あいにゅく……」
「そうよ。なるべく早くね」
にっこり微笑み、髪から手を放す私。
魔女イプティオムが作った霊酒は、人の心を守る自我を希薄にさせて、心の中に侵入する効果がある。要するに酔っ払わせている間に記憶をいじくり回せる。人間の記憶というのは、自分で思っているほど強固なものではない。かなりあやふやだ。
だから記憶をいじって暗示をかけることもできる。
とはいえ、あまり変な暗示はかけられない。人間の記憶はあやふやなので、メチャクチャにいじっても再修正されてしまう。自殺させたりはできないのだ。
だから暗示をかけられるのは「ささやかなお願い」の範疇に留まる。
「そにょにぇがい、ききとどけ……」
王の目がトロンとして、あっけなく瞼が落ちる。眠りに落ちたようだ。睡眠中に記憶が改竄され、一連の記憶は都合よく書き替えられているだろう。
目が覚めたときには、魔女の秘術を見た記憶は消えている。魔女の秘術は痕跡を残さないものが多い。強者からの報復が怖いからだ。
「さて、それじゃおいとまするわね」
謁見の間にいる連中が全員酔っぱらっている間に、さっさと帰らせてもらおう。
テオドール郡に帰った私は、事の次第を適当に報告する。
「たぶん陛下の方から、あなたに会いに来るわよ」
「本当か? 信じられないな……」
リン王女は歴史書から顔を上げて、眉をしかめている。
娘の不信感がこれ以上高まらないうちに、あのバカ親父には来てもらおうと思う。
仕方ないので私は微笑む。
「説得だけじゃもちろん無理だから、ちょっと魔女の秘術をね」
「えっ、魔女の秘術!?」
歴史書を机の上に広げたまま、リン王女が目をキラキラと輝かせている。
「やっぱりノイエ殿は魔女なんだな!」
「いえあの、魔女じゃなくて魔女の子よ。私は魔女の秘術を少し知っているだけの、ただの男」
前世のヨーロッパ言語では「魔女」には男も含まれるそうだが、テザリアの「魔女」は女性限定だ。私は男なので「魔女」ではない。
「産婆、婦人病専門の薬師、女占い師、踊り子、娼婦……。旅する女性たちは誰からも守ってもらえないから、偶然発見した魔法を共有し伝承してきたの」
現代人からすれば野蛮としか言いようのない中世的な世界だ。故郷なら父親や夫という庇護者がいるが、旅に出れば容赦なく狼藉者が襲ってくる。
だから彼女たちは母親や師匠から教わった魔女の秘術を駆使して、危険を遠ざけてきた。
一般の人々が思うような、神を冒涜するような邪悪な術ではない。
と説明したのだが、リン王女はまだ興奮している。
「でもノイエ殿は魔法が使えるんだろう?」
「まあ、多少はね」
「じゃあ呪いをかけたり、疫病を流行らせたりできるのか! 農園に雹を降らせたり、男の逸物を役立たずにしたり!」
「できないわよ……」
最後のヤツだけできるけど、同じ男としては使うつもりはない。
「何でもいいから教えてくれないか、ノイエ殿?」
「王女様が魔女になってどうするのよ……」
私が呆れて言うと、リン王女は目をますます輝かせた。
「魔王女、いや魔女王になりたいんだ! 暗殺者なんかに負けない為にも!」
「そういうのは私がやるから、あなたは勉強して」
この親子は本当に私を困らせる……。




