第2話「不遇の王女」
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私はリュナンに手短に事の次第を説明する。
「うちの村、隣に清従教の荘園があるでしょ。ほら、騒動の種になってる」
「あー……」
リュナンが顔をしかめる。
私は苦笑し、説明を続けた。
「変な男がうちの農地を歩いてるって、村人から通報があったのよ。で、また荘園絡みかと思って確認したら、それが王女様だって訳」
「なるほど。じゃあ、暗殺っていうのは?」
「それがね……」
少しややこしいが、説明することにしよう。
* * *
ベナン村は森を切り開いた平野部にあり、周囲は森に囲まれている。
この平野部の半分にベナン村の畑が広がっているのだが、残り半分に清従教の荘園があった。荘園管理の為に神殿も建てられており、敷地一帯は関係者以外立ち入り禁止になっている。
だから清従教団の荘園で雇用されている小作人たちは、ベナン村の村人ではない。彼らは村の決まり事を守る必要がないので、しょっちゅうトラブルを起こす。
用水路になっている小川が一応の境界線なのだが、この小川の取水をめぐっても争いが起きていて、そのたびに私と神官たちの間で揉めていた。
馬を走らせて農地を巡回していると、すぐにその「変な男」を見つけた。かなり小柄で華奢だ。あの身長なら十代前半の子供だろう。
着ているのは貴族男子の正装で、私も冠婚葬祭ぐらいでしか着ない。
さて、どう考えても面倒の種だが、知らん顔もできない。
「止まりなさい」
私はいつでも抜剣できるよう警戒しながら、一応の礼儀として下馬した。相手がどんな貴族かわからない以上、あまり非礼もできない。
幸い、相手はすぐに立ち止まった。怯えている。
「だ、誰だ!?」
やはり子供だ。ただ、声は明らかに女の子だった。男装の少女か。
黒髪ショートで眉が凛々しい。顔立ちはびっくりするほど整っていて、なかなかハンサムな美少女だった。
言葉遣いは貴族階級の男性のもので、少し厳めしい。男なのに女言葉を使っている私とは逆になる。
「それはこっちの台詞よ。ここはベナン村の農地よ。村人以外がうろうろしてたら、代官が飛んでくるのは当たり前でしょう?」
「では、あなたは?」
「ノイエ・カルファード。この村の代官よ」
すると少女はすぐに背筋を伸ばし、私に敬礼した。
「し、失礼した! 私はリン・テザリア! 聖サノー神殿を住まいとする者だ!」
ちょっと待て。
「……今、なんて?」
「え? だから、聖サノー神殿の者だ。ほら、このへんの荘園を所有している……」
不思議そうに首を傾げながら少女が神殿の建物を指さしたが、私は少女に詰め寄る。
「そっちじゃなくて、あなた……いえ、あなた様は本当にテザリア家に連なる方なの? ですか?」
育ちの関係で平民の女言葉しか使えないので、こういうときは困る。テザリアの敬語は何段階にも分かれていて非常にややこしく、日本語の比ではない。
リンと名乗った少女は私の変な敬語を気にする様子もなく、得意げに大きくうなずいた。
「もちろん! 私は現国王、グレトー・フォマンジュ・バル・ヴェスカ・ウルグ・バルザール・テザリアの実子だ! 見てくれこのサーベルの紋章!」
テザリア連邦王国の紋章が刻印されている。偽造や違法所持したら問答無用で死刑になるヤツだ。
それに国王の正式な名前を間違えずにスラスラ言えたことといい、これは本物っぽい。
ひとまず本物として扱うことにして、私は即座に地面に膝をつく。
「大変失礼いたしました。これも任務ゆえ、どうかお許しを」
「いや、私が悪いのだ。あ、いや……私が悪いのです。顔を上げてください」
リン王女は口調を和らげ、私の肩に手を置いた。
「夕飯に使うハーブを摘みに来たら、知らないうちに越境してしまっていたようだ。貴家の領地を侵すつもりはなかった。許してくれ」
この振る舞い、やはり高貴な身分の出身のようだ。貴族でも本当に偉い連中は無駄に威張らない。こんな田舎の代官とは身分が違いすぎるからだ。
王族にとって、下級貴族の末席の者など虫と大差ない。平民に至っては草と一緒、背景の一部だ。
さて、事情はわからないがこのお姫様を神殿に送り返そう。どうせこんな辺境で暮らしている以上、王室の厄介者に決まっている。
「お送りするわ、いえ、お送りしますわ、リン殿下」
「ありがとう。改まった口調は結構だ。私は敬われるような立場ではない」
そうだろうなと思ったが、こちらも立場がある。
しかしリン王女が真剣な表情だったので、ここは王女殿下の意向を尊重することにした。
「わかったわ、リン殿下。さ、馬に乗ってね。私が轡を取るわ」
私が馬を差し出すと、リン王女は微かにたじろいだ。
「うっ……馬は乗ったことがないんだ……」
「あらそう? 大丈夫よ?」
「いやいや、ノイエ殿の馬だし……私は歩くよ」
「それを誰かに見られたら、私の首が飛ぶわよ」
馬があるのに王女を歩かせていたら、私にどんな嫌疑が降りかかるかわかったものではない。
しかしリン王女はずりずり後退しつつ、必死に馬から逃れようとしていた。
「ほんと、歩くの慣れてるから。ここまで歩いてきたし、ね?」
「いいから乗って。おとなしい馬だし、何も怖くないわよ」
「いいいいやだ! 絶対落ちる! うちの王室には、落馬して死んだ者が何人もいるんだ!」
落馬で命を落とすことがあるのは事実だが、乗馬中に死んで結果的に落馬した者も結構いると思う。
私が無言でグイグイ迫ると、リン王女はとうとう根負けして叫んだ。
「じゃ、じゃあノイエ殿も乗って! 手綱持ってくれるのなら乗る!」
「う、うーん……」
これは不敬に当たるのだろうか?
私も王室法を全部知っている訳ではないので、ちょっと判断がつかない。異世界出身の私には、テザリアの慣習は理解しがたいものが多かった。
まあいいか。
私は馬にまたがると、王女殿下に恭しく手を差し伸べた。
「ではお手を拝借よ、殿下」
「あ、うん。わかった」
リン王女は真剣な表情で何度か深呼吸をして、それから私の手をしっかりと握った。
確かに乗馬は素人のようだが、身のこなしは悪くない。平衡感覚と瞬発力がいい。これは鍛えている人間の動作だ。
「なかなかのお手前ね。何かなさってる?」
「剣術と畑仕事を少々」
ニコッと笑うリン王女。素直ないい笑顔だった。
私は王女を前に乗せたまま、農道をぽっくぽっくと馬で歩いていく。
「ノイエ殿は良い匂いがするな」
「あら、ありがとう。これは魔除けの香よ。『お守り』なの」
適当にごまかすつもりだったのに、つい本当のことを言ってしまった。
案の定、リン王女が興味津々な様子でこちらを見上げてくる。
「魔除け? 魔術師なのか、ノイエ殿は?」
「私じゃなくて、亡くなった母がね。旅の占い師だったの。母は薬師もしていたから、香の調合も母の直伝よ」
また口を滑らせて、本当のことを言ってしまった。この調子だと全部白状させられてしまう。
でも不思議と、悪い気分ではなかった。
「ノイエ殿の母君は平民か。ということは、ノイエ殿は庶子か?」
「聞きにくいこと聞いてくるわね、殿下。その通りよ」
貴族の嫡子は、貴族同士の正式な婚姻の間に生まれた子でなければならない。
私は生まれたときから母と旅を続けていて、上流階級の言葉を知らない。
おまけに私の母語は日本語のままだから、新たにテザリア語を覚えるのは一苦労だった。母の使う、平民の女言葉を覚えるのが精一杯。
貴族の男言葉など、父に引き取られた後でしか聞いたことがない。だからまだうまく使いこなせない。
するとリン王女は、またニコッと笑った。
「奇遇だな、私も庶子だ!」