孫皓1 アンチ司馬氏
呉 後主 孫皓 全5編
諸葛靚は魏の名士、諸葛誕の末子。
諸葛誕が司馬師に反旗を翻そうとした際、
呉に協力を要請するための使者として
派遣されていた。
呉の朝廷で、多くの者たちが居並ぶ中
諸葛靚は呉帝孫皓に謁見する。
孫皓が聞く。
「君の字は、仲思だな。
これは何を期しての字なのだ?」
「家にあっては親に孝行することを。
君主には忠心を持って仕えることを。
朋友に対しては信義を貫くことを。
これらを、思う、の一文字に
集約しております」
諸葛靚在吳,於朝堂大會。孫皓問:「卿字仲思,為何所思?」對曰:「在家思孝,事君思忠,朋友思信,如斯而已。」
諸葛靚の吳に在るに、朝堂にて大いに會す。孫皓は問うらく:「卿の字は仲思なれど、何ぞの思いたる所たらんか?」と。對えて曰く:「家に在りては孝を思い、君に事えては忠を思い、朋友とあらば信を思う、斯くの如きのみ」と。
(言語21)
孫皓
呉のラストエンペラー。孫権が晩年の耄碌で呉を傾け、最終的にこの人が止めを刺した、というのが三国志のラストエピソード。まぁ勝者側からの見解ですしその辺は、どのようにでも。五胡十六国に慣れると、この人が天寿を全うしてんのってずいぶん平和だよなーと思わないでもない。
諸葛靚
ここで盛大に徳者として扱われてるのにはそれなりの理由がある。何せこの任務を負って呉に到着した頃、諸葛誕は敗亡。一族皆殺しとなっている。なのでそのまま呉に仕え、重鎮にまで上り詰めた。やがて晋が魏を乗っ取り、更には呉も滅ぼした後、司馬炎はこの人を大司馬として招聘した。が、親も母国も滅ぼした国に忠誠など誓える筈がない。結局出仕せずじまいだった。




