謝鯤 息子の口車
中原名士 謝鯤
既出:明帝6、王導33、謝安24
庾亮14、周顗9、周顗11
王敦2、王敦6
謝鯤の息子、謝尚が八歳の頃のこと。
謝鯤が客を見送ろうか、という時、
父の側で、謝尚、実にはきはきと答え、
この年で大人顔負けの言論を発する。
人々は口々に、謝尚の賢さを褒め称えた。
「この幼さでこれか!
孔子一門に顔回がいたのは、
きっとこのような感じだったのだろう」
すると謝尚、さらっと返す。
「この場に孔子はおりません。
顔回が、その側を離れるでしょうか?」
謝仁祖年八歲,謝豫章將送客,爾時語已神悟,自參上流。諸人咸共歎之曰:「年少一坐之顏回。」仁祖曰:「坐無尼父,焉別顏回?」
謝仁祖の年八歲なるに、謝豫章は將に客を送らんとす。爾の時の語の已に神悟なれば、自ら上流に參ず。諸人は咸な共に之に歎じて曰く:「年少ならば一坐の顏回たらん」と。仁祖は曰く:「坐に尼父無かるに、焉んぞ顏回が別せんか?」と。
(言語46)
謝尚君マジレスイクナイ。
謝鯤
王敦系の人材として仕えて名を上げたが、王敦が反乱を志すようになってからは別行動するようになった。この人が名を上げたから後々の謝氏が台頭できた、と言ってもいいくらいの人。そんな感じなので、魏晋以来の名族の人たちにとって謝氏ってのは新参のぽっと出とならざるを得なかった。
顔回
孔子の高弟、いわゆる孔門十哲の中でもダントツに若い。の、にもかかわらず、ナンバーワンとも呼ばれていた。




