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世説新語 on なろう  作者: ヘツポツ斎
「崔浩先生」反逆者編

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566/846

桓玄1  鬥生の無慍   

桓玄《かんげん》 全20編

既出:司馬昭1、桓温6、桓温37

   桓温42、謝安41、謝安43

   桓沖4、劉牢之、王恭4、顧愷之5



ポスト淝水《ひすい》の荊州《けいしゅう》情勢は混沌としている。


淝水直後に桓沖《かんちゅう》が死に、王忱《おうしん》を経て、

殷仲堪《いんちゅうかん》が荊州刺史に赴任。


しかし殷仲堪の求心力は低く、

桓温《かんおん》の息子の桓玄、

忖度マン楊脩《ようしゅう》の一族の楊廣《ようこう》などが、

荊州の主導権を握ろうと蠢いていた。


その一環で、桓玄と楊廣、

殷仲堪をそそのかす。

かれの同族である殷覬《いんぎ》から

南蛮校尉の地位を奪い取り、

荊州で独立政権を樹立してしまえ、と。


さて殷覬は殷覬で、

彼らの動きを察知していた。

そこで五石散《ごせきさん》の服用による酔いを

醒ますという名目でもって、

ふらりと詰めていた官舎を離れ、

そのまま戻ってこなかった。


殷覬の意図など知る者は誰もおらず、

ましてや本人も平然とした装いが、

例えるならば、古の鬥生《とうせい》が

どんなに粗雑な人事辞令に対しても

まるで怒りを示さなかったことに

似ていた。


時の人びとは、

殷顗のこの振る舞いに感心した。




初桓南郡、楊廣共說殷荊州,宜奪殷覬南蠻以自樹。覬亦即曉其旨,嘗因行散,率爾去下舍,便不復還。內外無預知者,意色蕭然,遠同鬥生之無慍。時論以此多之。


初、桓南郡と楊廣は共に殷荊州を說き、宜しく殷覬の南蠻を奪いて以て自ら樹つるべしとす。覬は亦た即ち其の旨を曉り、嘗て因りて行散し、率爾として舍よりに去下し、便ち復た還らず。內外に預り知りたる者無し。意色は蕭然とし、遠きの鬥生の慍り無きたるに同じ。時論は此を以て之を多とす。


(德行41)




桓玄(「崔浩先生」より)

桓温の息子。簒奪を為そうとして果たせなかった父の志を果たした。ただし父親ほど体制を盤石にしない中での強行であったため、半年もせぬうちに劉裕《りゅうゆう》によるクーデターを喰らい、没落した。それにしても、宋書《そうしょ》を読むと必要以上に劉裕の桓玄打倒が重要な皇統継承ファクターとして示されている。その割にあっさり桓玄が滅ぼされているので、桓玄を悪の大物に据えるには物凄く違和感がある。まぁ別に「劉裕様が強すぎたので仕方がないんです☆」でも構わぬのだが。


楊廣

隋《ずい》の煬帝《ようだい》と同姓同名だが赤の他人である(もっとも隋の楊氏は弘農《こうのう》楊氏、つまりこの楊廣と同族だと自称しているのでややこしい)。弟の楊栓期《ようせんき》と共に戦闘民族で、粗暴な振る舞いがいろいろあげつらわれている。が、最終的には桓玄に攻め滅ぼされている。


殷仲堪・殷覬

陳郡《ちんぐん》殷氏、つまり殷浩《いんこう》さんと同族。そして二人ははとこ同士。殷仲堪のほうが立場は上だったようだが、このエピソードを読むからに殷顗さんのほうが有能っぽい。なお殷顗、ここではさらっと身を引いたことになっているが、晋書では憂憤のうちに死んだとされている。まぁ、殷仲堪サゲの一環かな……。


鬥生

鬥さん、みたいな意味。尹《いん》という職種に三回つけられて、三回罷免されたのだが、それでも全く怒りを表に出さなかったのだそうだ。人ができているというか、感情が枯渇していたんじゃないのと言うか。

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