↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世説新語 on なろう  作者: ヘツポツ斎
「崔浩先生」政治家編 東晋前期

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
470/846

周顗3  私は柱     

周顗《しゅうぎ》さんが東晋の柱として

辣腕を振るい始めた頃のことだ。


ある宴席で、顧栄《こえい》の息子、顧顕《こけん》と同席した。


顧顕、周顗さんに酒杯を進める。

だが周顗さん、そいつを受けない。


すると顧顕、今度は柱のほうに向かった。

しかも、柱に向けて酒を勧める。


「なぁ、柱よ。

 家を支える立場ってのは、

 ああ己惚れていて

 大丈夫なものなのかね?」


そのチクリとした一刺し、

周顗さんのツボにはまった。


こいつは面白い奴だぞ、と、

以降周顗さんと顧顕、

仲良しになったそうな。




顧孟著嘗以酒勸周伯仁,伯仁不受。顧因移勸柱,而語柱曰:「詎可便作棟梁自遇。」周得之欣然,遂為衿契。


顧孟著は嘗て酒を以て周伯仁に勸めたるも、伯仁は受けず。顧は因りて移りて柱に勸め、柱に語りて曰く:「詎んぞ便ち棟梁に作し、自ら遇さるべきや?」と。周は之を得て欣然とし、遂には衿契を為す。


(方正29)




顧顕

若死にしてしまったため、まるで事跡が残っていない。ついつい現代の感覚で考えちゃうけど、この時代の夭折率って今とは比べ物にならなかったんですよねぇ……しかし周顗さんのこの傲慢さ。おさすがである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。