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世説新語 on なろう  作者: ヘツポツ斎
西晋帝国弥栄なり

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恵帝   賈充泉下正妻論争

恵帝 司馬衷しばちゅう

既出:武帝6、武帝13、武帝14



賈充かじゅうの妻の氏は

女性の為のルールブックを作った。

それは結構流行ったらしい。


さて、賈充と言えば二人の妻がいた。

ひとりは李氏で、

その娘、賈荃かせんは斉王司馬攸(しばゆう)に嫁いだ。

ひとりはかく氏で、

その娘、賈南風かなんぷうは恵帝司馬衷に嫁いだ。


そして賈充逝去ののち、

両夫人の娘たちは、

己が母こそが賈充とともに祀られるに

ふさわしい、と言い合っていた。

が、なかなか結論が出ない。


つーかそこは恵帝さま、武帝を倣って

合祀オーケーのお触れだしてくださいよ。

まぁ、それはそれで揉めるだろうけど。


やがて賈皇后が廃され殺されると、

すかさず李氏の娘が母を

賈充の廟にぶち込む。


こうして、

賈充の泉下の奥さんが確定した。




賈充妻李氏作女訓、行於世。李氏女、齊獻王妃、郭氏女、惠帝后。充卒、李、郭女各欲令其母合葬、經年不決。賈后廢、李氏乃祔、葬遂定。


賈充が妻の李氏は女訓を作り、世に行ず。李氏が女は齊獻王が妃となり、郭氏が女は惠帝が后となる。充の卒するに、李、郭の女は各おの其の母を合せ葬らしむを欲せるも、年を經れど決さず。賈后の廢さるに、李氏は乃ち祔し、葬らるは遂に定まる。


(賢媛14)



齊獻王妃 賈荃かせん

母親の遠流が許された時、反乱軍討伐とかで忙しい父親に「お袋迎えに行けやォおン?」と凄んだ(※文学的表現)逸話の残る烈女。賈充の周りの女のひとたち強すぎて笑う。


惠帝后 賈南風かなんふう(「崔浩先生」より)

恵帝の始めの皇后。八王の乱のきっかけのところにいる恐い人。次々と政敵を抹殺し、己が権勢を築く様はかなりえげつない。但し、そうして政敵を排除した後に運営した政権は割と公平なものであり、むしろ彼女を殺した司馬倫しばりんがその後の八王の乱という愉快な事態を招いたことを考えれば、賈南風はむしろ案外まともな人間で、まともでない奴らを排除していった結果逆襲を喰らったという観点も導き出せるのやも知れぬ。

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