共通点
食事を終えると、佳音はすぐさま立ち上がって、片づけは和寿の手を煩わせないようにした。食器をシンクに下げ、食後のコーヒーを淹れる。
そのコーヒーカップをテーブルに並べた時、和寿は壁面を覆うように設えられた薄い棚にいくつも並ぶ、フォトスタンドを一つ一つ眺めていた。
「……この写真は、全部あなたが作ったウェディングドレスですか?」
「はい。この工房を開いてからのものよりも、前の職場にいた時のものが多いかもしれません」
「前の職場…?」
和寿が佳音を顧みて、首をかしげる。
「服飾の専門学校を出てから3年ほどは、ブランドの工房で働いてて、オートクチュールのドレスも作らせてもらってました」
「そうですか。やっぱりそう言うところで技術を磨かれたんですね」
和寿は納得するように頷いたが、佳音は苦い思いでそれを聞いた。
修行をするには、3年間というのは短すぎると思う。それでも、佳音がそこを辞めてしまったのは、人間関係に疲れてしまったからだ。
別に、いじめられていたわけではない。大勢の人の中に自分を置いて良好な関係を築く…ただそれだけのことが苦痛だった。
「一口にウェディングドレスといっても、いろんなものがあるんですね……。あれ?これは森園さんですか…?」
一通り写真を眺めた和寿が、1枚の写真に目を止めた。
テーブルに着いてコーヒーを飲んでいた佳音は、首を伸ばしてその写真を確かめる。
すると、和寿はフォトスタンドを手に取って、佳音の目の前にそれを置き、佳音の向かいに腰を下ろした。
幸せそうに微笑む新郎と新婦の間に挟まれて、高校生の佳音が恥ずかしそうに肩をすくめている。
「これは、高校生の時、私が初めて作ったウェディングドレスです」
佳音の言葉を聞いた和寿は、驚いたように目を丸くし、もう一度写真をまじまじと見つめた。
「それじゃ、これは高校生の時の森園さん?…やっぱりこの頃から可愛かったんですね」
「………!?」
何気なく発せられた和寿の素直な感想に、佳音は不自然に反応した。何気なく聞き流したかったのに、自分の顔が熱を持って赤くなっていくのが分かる。
和寿の方も、佳音のこの反応を見て、自分が放ってしまった本心に気がついた。
「……そ、それに、この方は……!!」
和寿は恥ずかしさをごまかすように、フォトスタンドを手に取る。
「信じられないというか、あり得ないほどの圧倒的なイケメンですね。男の僕でも、見とれてしまうくらいに」
男の和寿でも、やはりそこに目が行ってしまうようだ。それを聞いて、佳音も同意するように頷いた。
「高校2年生の時の担任の先生です。…ご想像の通り、生徒や同僚の先生方からものすごくモテてましたけど、花嫁になったその先生と本当に心の底から愛し合っていました」
そう語る佳音の目が、少し切なくなってしまったのを、和寿は見逃さなかった。
「森園さんも、この先生を好きだった女子の一人だったんですか?」
和寿にとっては、半分くらい冗談のつもりの、軽い話題をふったつもりだった。しかし、その途端、佳音はその表情をもっと切なくさせ、唇を震わせた。
自分の冗談が図星だったどころか、切なく辛い恋を思い出させてしまったことに、和寿の心は罪悪感に侵されてチクリと痛んだ。
「……すみません。なんか僕、余計なことを言ってしまったみたいで…」
和寿が申し訳なさそうに、目を伏せて表情を消沈させたので、佳音は和寿が気にしないように振る舞う必要に駆られた。
「いいえ、古川さんの言う通りです。私も先生のことを好きな一人だったんですけど…、私は大勢の中の一人にはなりたくなくて、先生の特別なたった一人になりたくて…、ずいぶん先生を煩わせて困らせてしまいました…」
和寿は佳音が話してくれることを静かに聞いて、佳音に共鳴するように相づちを打ってくれる。
「…森園さんが?信じられないな…」
今の佳音を見る限り、控えめな印象こそあれ、困らせるほど相手に激情をぶつけるなんて想像できなかった。
「まだ子どもでしたから、想いばかりが先走ってたんですよね。そうやって迷惑をかけていただけじゃなく、不登校だったり問題行動も起こしていた私を、先生は見捨てたりはせずにずっと守ってくれました」
「不登校や、問題行動って……、森園さんが……?」
そんな過去があるなんて、今目の前にいる佳音からはなおさら想像もつかないし、和寿の感覚からすると信じられないのだろう。眉間に皺を寄せ、心配そうな面持ちで、問い直された。
佳音は少し躊躇した。これ以上この人に、自分をさらけ出してしまってもいいのだろうかと。
でも、まっすぐな視線をくれている和寿の目を見て、
――この人ならば、受け止めてくれる……。
そんな思いが無意識に働いた。
「…高校2年生のこの年、小学生だった私の弟が…交通事故で亡くなりました……」
思い切って佳音が口を開くと、その事実は和寿にとって相当に衝撃だったのだろう。ハッと息を呑んで、いっそう食い入るように佳音を見つめた。
「…それがきっかけになって両親は離婚して、母親に引き取られても私は放っておかれて…、この時の私は、心も生活も本当に荒れていました……」
「……そうだったんですか……」
和寿は納得するように相づちを打ったが、それから何と言って言葉をかけていいのか分からないようだ。
すると、佳音は自分だけでなく、和寿をも励ますように静かに笑ってみせる。
「寂しさを埋めるように先生に恋をしても、先生には心から愛する人がいて、当然受け入れてもらえなくて…。でも、先生の奥さんも同じ学校の先生だったんですけど、この二人は本当に親身になって私のことを支えてくれました。…それで、私は立ち直れたんです」
佳音は自分が淹れたコーヒーのカップを手の中に包み込んで、それを見つめながら淡々と過去を語る。和寿も、コーヒーを一口含んでその時の佳音の境遇に思いを馳せた。
「そんな気持ちがあったから、好きな人の花嫁になる人なのに、その先生のために森園さんはドレスを作ることができたんですね…。それから、今はこうやってご自分で工房までお持ちになって…、ずいぶん頑張られたんでしょうね」
和寿がそう言って労いの言葉をかけてくれたので、佳音は苦くほのかに笑って、首を横に振った。
「好きなことをしているわけですから、頑張るとかそういうこと以前に楽しいですし、これができるだけで嬉しいんです。…でも、高校を出て、一度は大学に行ったんですけど、その時は苦しかったですね…」
「あ…、大学にも?どこか服飾関係の大学に行かれたんですか?」
佳音の意外な過去をまた発見して、和寿が興味を示す。
「いいえ、K大学の英文科に…」
「え…っ?!K大学?」
和寿が反応したので、佳音も和寿に目を合わせた。
「古川さんもK大学出身なんですか?」
「いえ、僕はK大学を受験したんですが、合格できなかったんです…」
恥ずかしそうに和寿かそう告白しても、佳音はそれをフォローできるほど気を回せず、
「森園さんは、不登校だった経験があってもK大に合格できるんですから、ずいぶん優秀だったんですね」
と、逆に和寿の方から持ち上げられた。
確かに、特に学習塾に行くこともなく、不登校のブランクもいつの間にか感じなくなり、K大学に合格できた。勉強はできたのかもしれないが、それは人間としてあまり役に立つことではなかった。
「…でも、私は大学に馴染めなくて…。友達もできなかったし、周りに薦められて入ったということもあって、英語に興味がないというより、この仕事への夢が捨てられなくて…、1年も経たずに大学を辞めてしまいました」
「…それでも、せっかくK大に入ったのに…周りの人に反対はされませんでしたか?」
和寿の指摘は当然だった。普通の人間の感覚では、いわゆる難関大学といわれる大学を中退してしまうなんて、「もったいない」と思ってしまうのだろう。
…佳音の母親は、そんな極めて普通の感覚を示しただけだった…。
「……母親からは、ものすごく反対されました。それでも、私は母の意見を無視して、大学を辞めました。……それから、母からは勘当されてしまいました。私は家を出て、今でも母とは絶縁状態です」
「それから生活はどうしたんですか?働きながら専門学校に通われたんですか?」
普通ではない佳音の生き様が気になるようで、和寿は身を乗り出すように質問を投げかける。
そんな和寿に佳音は寂しい笑顔を見せて、先を続けた。
「古川さんがご心配なさってるように、私は路頭に迷ってしまいました。そんな私を助けてくれたのも、この写真の古庄先生です。先生は私の父親を探して、連絡を取ってくれました。それで、父親の方が専門学校に行かせてくれたんです」
「それじゃ、お父さんとは今も行き来があるんですね?」
納得したように頷いてから、和寿は確認する。
その問いにも、佳音はいっそう寂しそうに笑って首を横に振った。
「いいえ、父も今はもう新しい家族もいて、相手の方の連れ子を育てているそうです。連絡も取り合っていません。…でも、あの時『養育費代わりだ』と言ってお金を出してくれました…それだけで感謝してるんです」
和寿はただ黙って、佳音の語ったことを噛みしめていた。今の佳音の境遇を思いやると、かけてあげる言葉が出て来なかった。
そして、和寿自身の中にある一つの出来事を、どうしても佳音に話しておきたくなった。
「……実は僕も、高校1年生の時に、事故で兄を亡くしています」
何気なく持ち出されたその事実は、佳音の耳から全身を貫いた。息を呑んで、佳音も和寿の顔を凝視する。
佳音の驚いた表情を確かめてから、和寿は静かに話し始めた。
「両親も自慢の、とても優秀な兄でした。先ほど話に出たK大学にも合格して、入学式を待つばかりの頃でした。交通事故で…。もちろん僕も悲しかったですが、両親は立ち直れないほど悲嘆にくれていました。それで僕は思ったんです。両親を悲しみから救うためには、自分が頑張るしかないと…」
佳音は和寿をじっと見つめたまま話を聞いて、呑んでいた息を少し抜いた。
「……古川さんは、立派ですね。そんな風にご両親を思いやってあげられて…。私も少しはそう出来ていたら、私の家族もバラバラにならずに済んだのかもしれません…」
和寿は目を閉じて佳音の言葉を聞き、何度もそれを噛みしめて胸の奥深くにしまい込む。
それから、瞳を開くと共に再び語り始めた。
「………確かに、家族はバラバラにはなりませんでしたが、…僕はその日から、兄と二人分の期待を背負わなくてはならなくなりました。『兄さんのように』それが両親の口癖でした。兄がやっていたテニスを始めて、一生懸命勉強もしました。兄のようになりたいけれど、それが僕にはいささか荷が重くて…、K大学を受験しても結局は不合格でしたし。でも…、その期待を裏切ることも出来ずに、今まで頑張ってきました」
同じように兄弟を亡くした哀しみを経験して、和寿は和寿なりの苦しみを抱えて生きてきたのだ…。そのことが、佳音の胸にじんわりと染み通った。
「期待に応えるのは、周りが思っている以上に大変なことなんですよね。でも、その努力が報われましたよね?…近い将来、社長さんになることを約束されてるんですから、ご両親も喜んでいらっしゃるんじゃないですか?」
佳音が今の自分の境遇を知っていることに、和寿は少し驚いて言葉を逸する。けれども、自分自身を改めて省みて自虐的に薄く笑った。
「……むしろ、僕は森園さんが羨ましいです。こうやって、ご自分の夢を実現させて…。僕は目の前にあることに一生懸命向き合ってきた結果、傍目には幸運を掴んだように見えるかもしれませんが、でも本当は、言いたいことやりたいことの一つも満足に主張できないまま、流されて生きてきただけなんです」
和寿が淡々と語る話を聞きながら、佳音はいろいろと考えてしまって何も言葉を返せなくなった。
結婚を目前にして絵に描いたような幸せの中にいるというのに…、相手の幸世はあんなに幸せそうに笑っているのに…、この和寿は満足していないのだろうか…。和寿の求める本当の幸せは、別のところにあるのだろうか…。
そんなことを考えている佳音の心を映して、その表情が複雑に曇っていくのを見て、和寿はそれを散らすように息を抜いてみせた。
「さあ、すっかり長居をしてしまいましたね。森園さんはお仕事でお疲れのところ、申し訳ありませんでした。今日はこの辺で、帰ります」
打って変わった和寿の明るい声に、佳音も少し気が紛れてほのかな笑顔が戻ってくる。席を立って玄関に向かい、靴を履く和寿の後姿に、佳音は勇気を振り絞って声をかけた。
「あの、お食事をご馳走して下さって、ありがとうございました。…本当に美味しかったです」
和寿は振り返って佳音の言葉を素直に受け止めて、嬉しそうに微笑んでみせた。そして、その微笑みのまま唇を湿らせて、佳音と同じように勇気を振り絞って切り出した。
「…また、ここに来てもいいですか…?」
その言葉の真意を測りかねて、佳音が何も答えずに大きな目で和寿を見つめ返すと、和寿は言い訳をするように言葉を続けた。
「その…、ウェディングドレスの出来具合を確かめに…」
そう言われてしまうと、先ほどと同じように、佳音には断る理由を見つけられなかった。
「また、…いつでもお待ちしてます」
仕事用の笑顔ではなく、佳音は静かに微笑んでそう答えた。
その可憐な笑顔を見て、和寿も安堵したような表情を返す。そして、唇の端から漏れ出てくる嬉しさのようなものを押し止めながら、挨拶代わりに頭を下げると、軽快にドアの外へと出て行った。
通路灯に照らされた階段を駆け下りていく和寿を見送って、佳音は一抹の寂しさと心地の良い温かさをその胸に感じていた。
かつて好きだった古庄やその妻である真琴も、佳音に温かく接してくれるけれども、それとは少し異質のもっと大きな温かさ…。
和寿は、“兄弟の死”という佳音と同じ境遇を抱えて生きてきた。経験した者でしか解らない、哀しみや苦しみを分かち合える存在…。
もっと和寿のことが知りたいし、もっと自分のことを話したい。…佳音の中に、意識もしないうちにそんな気持ちが働いていた。
この時からもう佳音は和寿に対して、「依頼主の婚約者」という以前と同じ感覚で捉えることが出来なくなった。




