三年後……
「和彦さん、急いでください。もう時間が……。遅れちゃう」
大きなワンボックスの車を降りるや否や、真琴が焦って古庄に声をかけた。
「分かってるよ。ほら、円香。抱っこしてあげよう」
古庄は真琴に応えながら、まだ足元がしっかりしない末娘の円香を抱え上げる。それに伴い、上の三人の子どもたちも一目散に走り出した。
「こんな時に限って、車が混んでるし、駐車場も空いてないんだから。……あっ!お祝いは?」
突然、真琴が立ち止まって車の方へと振り向いた。
「お母さん!俺が持ってるよ」
先を走っていた真和が、真琴を振り向いて叫ぶ。十一歳になった真和は体も大きくなり、可愛い花々が寄せ植えされた大きな鉢を抱えてくれていた。真琴はホッとして走り始めたが、しばらくしてまた立ち止まる。
「ああ、和彦さん。そっちは前の工房があった方で、新しいお店はこっちです」
「そっか。おい、そっちじゃないらしいぞ。こっちだ」
古庄の一声で、一緒に走っていた子どもたちもきびすを返して、再び走り始める。すると、そこからすぐに、『新しいお店』が見えてきた。
白木に縁どられた大きな窓のあるナチュラルな感じのその店は、ちょうど賑わう街の角地にあり、日当たりもよく、光と緑と花とで溢れている。交差するふたつの通りに面する店の角には、ウェディングドレスが飾られていて、真琴は思わずその美しさに目を奪われた。
「佳音ねえちゃん、おめでとうー!!」
足の速い子どもたちが、真っ先に扉を開けて店の中へと飛び込んだ。
そして、それに続いて、円香を抱いた古庄が明るい店内へと足を踏み入れる。その瞬間、店内にいた人々の意識が一斉に古庄に集まり、色めき立った。
「……あ、あの人、誰?古川さんの知り合い?それとも、佳音ちゃんの……?」
そう言ったのは、魚屋の奥さん。
「そ、それは知らないけど。すごいわぁ、あんな人がこの世にいるなんて。見てるだけで、ドキドキしてくる……!」
花屋の店主も、そう言って答えながら、目は古庄にくぎ付けだ。そんな空気を醸し、自分たちを取り巻く人々を見回して、真和が発する。
「佳音ねえちゃんは、どこ?」
「……え?」
問いかけられて、真琴は焦り始める。もしかして、店を間違えてしまったのかと。
「佳音ちゃんと古川さんは、今は奥で準備をしてますけど。あの、佳音ちゃんのお知り合いですか?」
花屋の店主から声をかけられて、真琴はホッと胸をなでおろした。
「はい。うちの主人が、佳音ちゃんが高校生のときの担任だったんです」
「はあ、……ご主人が……」
と、ため息をつきながら、もう一度まじまじと古庄を見上げる。
柔らかく口角を上げて、古庄が極上の笑みをたたえて会釈をすると、一同は息を呑んで一瞬静寂が漂った。
「ああ、古庄さん。いらっしゃいませ。お出迎えもせずに、すみません」
その時、店の奥の厨房から和寿が出てきた。すでにビジネスマンの風貌はなく、すっかりケーキ職人という雰囲気が板についている。
「おお、古川くん!開店おめでとう!!とうとう、実現したね!!」
和寿の姿を見ると、古庄は顔を歓喜でいっぱいにして、右手を差し出した。
「ありがとうございます!」
しっかりと握手を交わしながら、和寿も明るい笑みで表情を満たした。
この日は、佳音と和寿が持つ新しい店のプレオープンの日。親しい人たちを招いて、普段の感謝の意を表したいと思い、二人で計画したものだった。
三年前に、一緒に夢を叶えると誓い合ってから、二人は力を合わせて頑張ってきた。
和寿は、洋菓子店で働きながら通信教育で二年間をかけて“製菓衛生師”の資格を取り、一念発起して自分の店を開くことにした。それに伴い、和寿の提案で、佳音の工房も一新して、一つの場所でカフェと工房を兼ねた店とすることにしたのだ。
入り口は別々だけれども、中では繋がっていて、カフェのお客さんは工房の様子が覗け、工房に来たお客さんとはカフェで打ち合わせができる。佳音も和寿も、お互い別々の仕事をしていても、いつも一緒にいられる。
そんな二人にとっては夢のような店、努力を積み重ねてきた二人の夢が、まさに結実した店だった。
「先生たち!いらっしゃいませ。来てくださって、ありがとうございます!」
和寿に続いて、佳音が奥から出てくる。すると、真琴が声をかけるよりも先に、子どもたちが駆け寄った。
「佳音ねえちゃん、おめでとう!」
「おめでとう〜!!」
お祝いを言われて、佳音は嬉しそうに笑顔を見せた。少女のような感じはそのままに、一児の母となった佳音は、女性としての魅力も増して、ますます透き通るように綺麗だった。
「佳音ちゃん。おめでとう。また、夢が叶ったわね!私たちも、この日が待ち遠しかったわ!」
今度は真琴が声をかけると、佳音はいっそう笑顔を輝かせる。
「ありがとうございます。真和くんも彦真くんも、琴香ちゃんも円香ちゃんも、すっかり大きくなって。みなさん、お元気そうで」
「そうなの。みんな、もう元気すぎて。毎日目が回っちゃうのよ」
「それはそうと、ここの家の『お姫様』はどこにいるんだ?」
古庄から問いかけられて、佳音と和寿は顔を見合わせる。
「ああ!うちの人がさっきから連れて歩いてたわ!外には出てないと思うけど」
すかさず、魚屋の奥さんが気がついて、そう言った。一同はカフェ中を見回して、その隅っこ、通りに向かってディスプレイされているウェディングドレスの陰に、その『お姫様』を見つける。
魚屋のおじさんに手を引かれて、そこにいたのは、二歳半になる佳音と和寿の娘、寿音。佳音が作った白いドレスを着せられている寿音は、お姫様というより、まるで天使のように可愛らしかった。
「寿音」
と、佳音が呼ぶと、寿音はおじさんの手を離れ、テーブルや椅子の間をトコトコ走ってきて、佳音の足にしがみついた。
「まあ!佳音ちゃんにそっくり!すごく可愛い!!」
佳音に抱き上げられた寿音を見て、真琴が感嘆の声をあげる。
「やあ、産まれた時に見たきりだったから、大きくなったなぁ!」
古庄も寿音を覗き込んで、その表情を和ませる。
知らない人に取り囲まれて物怖じしている寿音に、佳音の面影を見て、和寿も愛おしそうに顔をほころばせた。
「それでは、みなさんお揃いのようなので、始めさせていただきます」
招待された客たちは、和寿から声をかけられて、それぞれ用意された席に着いた。
そこには、魚屋の夫婦や花屋の店主、八百屋のおばさんやその他商店街でお世話になっている人々、ずっと佳音を見守ってくれた古庄と真琴と二人の子どもたち、佳音と和寿の新たな門出を心から喜んでくれる人たちが集まってくれていた。
「今日は、僕と佳音の新しい店のプレオープンに来てくださって、本当にありがとうございます。今日はいつもお世話になっているみなさんに、感謝の意味を込めまして、ささやかな食事と僕の“自慢”のケーキたちを用意させていただきました。どうぞ、楽しんでいってください」
和寿が改まって挨拶をするなか、自分で「自慢の」と言ったのを聞いて、隣にいて真面目な顔をしていた佳音も思わず笑いをもらした。その佳音にも挨拶するように和寿が促すと、佳音も寿音と共に、皆に向かってお辞儀をした。
「私がこの街に来て、もう五年以上が経とうとしています。その間ずっと見守ってきてくださった商店街の皆様、古庄家の皆様、今日は皆様にいつものご恩返しができたらと思っています。本当にありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いいたします」
結婚をして、一緒に夢を追い求めたこの三年間。和寿は慣れない仕事をしながら、お菓子作りの勉強と修行をして、本当に寝る暇もないほどだった。そんな和寿を、側で応援することしかできなかった佳音にとっても、本当に辛いときもあった。
けれども、二人はこの場でそのことは話さなかった。苦しいことや辛いことは、自分たちの胸の中にしまいこんで、今日はただ夢が叶えられた喜びを味わいたかった。




