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再会



「あら、私ったら、ごめんなさいね。お茶も出さずに」


 魚屋の奥さんが、しんみりとしてしまった空気を変えようと、明るい声を出した。


「いえいえ、私はこれで失礼するわ。お店、あんまり留守にできないから」


「まあ、そう?」


 挨拶を交わしながら、魚屋を出ていく花屋の店主が、佳音の方へと振り向く。


「佳音ちゃんは、ゆっくりしていって。それじゃ」


「そうよ、佳音ちゃん。お茶、飲んでいって。赤ちゃんのこと、いつ産まれるのかとか、いろいろ教えてほしいわ」


 奥さんからもそう引き止められて、佳音も遠慮がちにうなずいた。


「なんだか、孫ができるみたいで、楽しみだなぁ!」


 おじさんも気を取り直して、ニッコリと佳音に笑いかけると、その隣にもう一度腰を下ろした。


「ちょっと、アンタ。お店は?女同士の話をするんだから、アンタはお店番してなさいよ」


 お茶を入れながら、奥さんが振り返って言う。すると、おじさんも眉間にしわを寄せて、口をとんがらせた。


「な、なんだと!俺だって、佳音ちゃんと話がしたいんだよ!お前の方が店番やってろよ!」


 夫婦喧嘩が始まってしまいそうな雲行きに、佳音はただ息をひそめて、おじさんと奥さんの顔色を交互に窺った。


 そのとき、先ほど出て行ったばかりの花屋の店主が魚屋に駆け込んできた。懸命に駆けてきたのだろうか、肩を上下させて息を切らしている。


「……ちょ……、ちょっと!あ、あの……、あの人!!」


 喘ぎながら言葉が声にならない店主に、おじさんの方が声をかけた。


「どうしたんだい?そんなに焦って」

 

「あの人よ。あの人!!」

 

「あの人じゃ、分かんねーよ。誰のことだよ?」


「あの、さっきの雑誌に載ってた……ふ、古川さん!!古川さんがいた!!佳音ちゃんの工房へ行くところじゃない?!」


「ええっ!?」


 おじさんは驚きの声を上げると同時に、店の外に飛び出した。佳音は、花屋の店主の言っていることがとても信じられず、あまりにも突然のことに体がこわばって動けなかった。

 すると、おじさんがすぐさま戻ってきて、佳音の腕を取った。



「佳音ちゃん。来てみてごらん」



 佳音は、急かされるように腕を曳かれて通りまで出てきた。そして、おじさんが腕を伸ばして指し示している方へと、視線を向ける。


 昼下がりの商店街、人が行き交う通りには、こちらに向かって歩いてくるスーツ姿の一人の男性がいる。大きな海外旅行用のスーツケースを引っ張り、もう一方の腕には何やら“白いもの”をぶら下げて。


 往来に佳音がいることに気がついて、ニッコリと微笑んだその笑顔は、先ほどの雑誌のスナップで見たのと同じ、和寿その人に違いなかった。


 和寿は、まっすぐ佳音の方へと歩いて、目の前で立ち止まる。佳音は、ここにに和寿がいることが、どういうことなのか頭の中で処理ができず、ただ黙って和寿を見上げた。

 向かい合う和寿は、久しぶりに対面する佳音を、愛おしそうに目を細めて見つめている。



「……たった今、会社を辞めてきたんだ。僕の家は社宅だったから、住むところがなくなってしまって……。君のところに泊めてもらえるかな?」



 和寿のこの告白に、佳音をはじめ、魚屋の夫婦と花屋の店主も驚いて息を呑んだ。


「あの大企業を、本当に辞めてしまったのかい?……それじゃ、副社長の娘との結婚も……?」


 目を見開いたまま、魚屋のおじさんが思わず和寿に問いかける。和寿はおじさんと目を合わせると、柔らかく表情を緩め、それからもう一度、何も発せられない佳音を見つめた。



「これは、あの人が式で着るはずだったドレスだよ。……あの人が捨ててしまおうとしてたところを、僕が買い取ってきた。君がこのドレスを作るのに、どれだけ心を込めていたか、僕は知ってるから……」



 そう言いながら、和寿は腕に抱えていた真っ白なドレスを少しだけ開いて見せた。

 魚屋の奥さんと花屋の店主が、そのドレスの美しさに感嘆の声を上げる。


 それは、つい数か月前まで、佳音が毎日手掛けていたドレスだった。佳音は両手でそれを受け取って、懐かしい手触りを感じて、硬直していたすべての感覚が目を覚ました。

 きちんと目を開いて和寿に視線を合わせ、今起こっていることはどうやら現実らしいと、佳音はやっと認識できた。

 


「……あの日、君の工房から追い出されて、僕は思い知ったんだ。きちんと身辺を整理しないと、君には受け入れてもらえないって……。だけど、君を巻き込まないためにも、君がこのドレスを作り上げて、納めてくれるのを待つしかなかった。それから、あの人との結婚のことや会社のことを何とかして……。だから、戻ってくるのが遅くなってしまって……」



 和寿は簡単だったことのように言っているが、婚約を破棄して結婚式を取りやめることも、将来社長になるべき役を任されている会社を辞めることも、佳音が想像もできないほど相当な苦難があったに違いない。

 それでもそれを成し遂げて、今、佳音の目の前に立ってくれている。


 だけど、佳音はなんと言えばいいのか分からなかった。いろんな感情が交錯して、胸が詰まって、どのように反応したらいいのかさえも分からない。佳音は泣くこともできずに、ただ唇が震わせるだけだった。



「佳音ちゃん。あれだけ覚悟を決めてたけど、古川さんが戻ってきてくれて、本当によかったなあ!」


 何も言葉が出てこない佳音に代わって、おじさんが言葉をかけてくれた。


「こんなところで立ち話なんてしてないで、工房に帰って二人でゆっくり話をした方がいいわね」


 花屋の店主も、そう口添えしてくれたので、佳音は辛うじてうなずいて、和寿を見上げる。和寿も柔らかく微笑んで、佳音を見つめてうなずいた。


 佳音がドレスを丁寧に折りたたんで、腕にかけ直すのを、和寿は隣でじっと見守り、それから二人で歩き出す。



「ちょっと、待って!!」


 そのとき、魚屋の奥さんが声を上げた。そして、店の奥へと駆け込んでいくと、手に先ほどの花束を持って戻ってきた。


「これ、佳音ちゃんにあげる。持っていって」


 これは奥さんの友達にあげるはずだった花束だ。その花束を手渡されて、佳音は戸惑ったように奥さんを見返した。


「私はまた別の花束を作ってもらうから。これは『お祝い』の印。幸せになるのよ!」


 そう耳元で囁かれて、佳音は泣きそうな顔になりながら、やっとのことで言葉を絞り出した。



「……ありがとうございます」



 花束を携えて、折しも白いワンピースを着ている佳音が、上質なスーツを着こなす和寿と並ぶと、二人はまるで結婚式を挙げている花嫁と花婿のようだった。


 写真に残されることもない、はかなく美しいその光景に、その場にいた三人は言葉もなく、ただ魅了された。


 会釈をして再び歩き出した二人を見送って、花屋の店主が思わずポツリとこぼす。


「佳音ちゃんって、本当に可愛い……」


「俺が目をかけてんだから、当然だ」


 そう応える魚屋のおじさんの目には、涙が光っている。


「……うちには娘はいないけど……、娘を嫁に出すって、こんな気持ちになるものなのかしらね」


 魚屋の奥さんは、おじさんに寄り添って微笑んだ。

 三人は、並んで歩く佳音と和寿の背中が見えなくなるまで、その場にたたずみ、再会の感動の余韻に浸っていた。




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