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工房かのん

 可愛い草花の鉢に囲まれたドアを開けると、パッヘルベルのカノンのオルゴール音が流れてくる。


 今日もまたこの工房に、結婚式を控えた幸せなカップルがやって来た。


 自分の思い描く理想のウェディングドレス――、それは花嫁の夢だ。

 一生に一度のその夢を叶えに、花嫁たちは佳音のもとにやって来る。


「100%オーダーメイドのウェディングドレス」が、この工房の謳い文句。

決まったパターンなどなく素材やディテールにまでこだわり、花嫁の小さな意見を一つ一つ汲み取って、一からウェディングドレスを作り上げる。


「いらっしゃいませ。ご予約いただいていた渡瀬様ですね?」


 作業をしていた手を止めて、佳音が玄関口に出てくる。


「はい。予約していた時間より早く来てしまって、すみません。もう気持ちが逸ってしまって…!」


 これから花嫁になる人は、頬を紅潮させている。佳音は同意するように嬉しそうに微笑んだ。


 こんなに幸せそうな花嫁を見ると、これからその幸せの手伝いができることで、佳音自身も幸せを分けてもらえるような気持ちになる。


「どうぞ」


 並べられていたスリッパを指し示して、室内へと促す。すると、花嫁はいち早く、工房の真ん中に置かれたプリンセスラインの可愛らしいドレスに目を奪われた。


「わあ!すごい!!かわいいっ!!ステキ――♡」


 思わず口に手を当てて、目を輝かせている。

 そんな素直な反応を見て、佳音は恥ずかしそうに説明する。


「来週、納品するドレスです。まだ細かい仕上げがあって、完成していないんですけど」


「これでまだ完成してないなんて、本当に丁寧に作って下さるのね!やっぱり一点物のオーダーメイドのドレスは違うわー。お店に行ってたくさん並べてあるドレスを見ても、どれも似たり寄ったりでピンと来なくて…」


 花嫁の言葉を聞きながら、佳音は別の視線を感じる。ふと振り返るといきなり視線がぶつかり、佳音の心臓がドキッと飛び跳ねて、身体がすくんだ。


 しかし、すぐにこの花嫁の相手の男性だと覚って、会釈をしながら「どうぞ」という風に腕を指し伸ばし、工房の中へと導いた。


「本日はこの工房に来て下さって、ありがとうございます。私がドレスを作らせて頂く、森園佳音もりぞのかのんです。」


「初めまして。私は渡瀬幸世わたせゆきよと申します。…それと、婚約者の…」


 幸世も丁寧に頭を下げた後、そう言いながら振り返って後ろにいた男性に目配せした。すると、佳音をまじまじと見ていた男性は、ピクリとして我に返った。


「…ああ!…僕は、古川和寿ふるかわかずとしと申します。よろしくお願いします」


 名前を聞いて、今度は佳音の方が内心ピクリと反応してしまう。「古川和寿」というその名前は、佳音の心に今でも残る初恋の人の名前とよく似ていた。


「…あら?森園さんがあんまり可愛いもんだから、見とれちゃってるの?」


 幸世が自分のフィアンセの不自然な反応に、すかさずツッコミを入れると、和寿は顔をほのかに赤くして、焦りを隠すように幸世をたしなめた。


「こ、こら。初対面なのにそんなこと言っちゃ、森園さんに失礼じゃないか」


 この和寿の言動に、幸世はますます面白そうに声を立てて笑った。


「だって、本当のことよ?森園さん。ご自分がこのドレスを着て花嫁さんになった方がいいくらい、本当に可愛いもの」


 屈託なく笑いながらそう言ってのけるところを見ると、別にやきもちを焼いているわけではないようだ。

この幸世の笑い声で、その場が一瞬にして楽しく明るいものになる。その明るい性格が現れたような晴れやかな美人、幸世はそういう感じの人だった。



 早速、ドレスを作るための打ち合わせに入る。

 応接を兼ねているダイニングのテーブルに、佳音は幸世と和寿と向かい合って着いて、白い紙を数枚手元に重ねて置いた。


「この紙に何も描いていないように、何もないところから渡瀬様のお好みの、渡瀬様のためだけのドレスを、一から作り上げていきます」


「ステキ…!ワクワクするっ!!」


 幸世がいっそう顔を輝かせて、身を乗り出した。


「それでは、絵でもキーワードでも何でも結構ですので、自由に書いてみたりお話してみてください」


 それから、幸世は自分の作ってほしいウェディングドレスについて、あれこれ話し始めた。けれども、話の内容はあっちに飛びこっちに飛び、どうやらまだ自分の中に「これ」という具体的な像は結ばれていないようだ。


 そんな取り留めもないような幸世の話を、佳音は一つ一つ聞き取り、手元の用紙に書き留めていく。そんな中で、時折質問をして、幸世のインスピレーションの手助けをした。


 そして、新しい紙の上に、鉛筆で人体のヌードポーズの画を簡単に描き、幸世に差し出す。


「だいたいのイメージが固まってきたようですから、この画の上にドレスを着せてみてください」


「…えっ?!私が描くの?」


 幸世は目を丸くして、佳音を見つめ返す。


「はい。難しく考えないでください。子どもの頃のお絵かきで、ドレスを着たお姫様を描きませんでしたか?そんな感じで大丈夫です。素敵なドレスを着せてあげて下さい」


 そう言いながら、佳音は席を立ってテーブルを離れる。この作業を佳音がじっと見つめていては、花嫁は気後れして、なかなか鉛筆を動かしてくれないからだ。


 幸世がテーブルに向かって真剣な顔で取り組み始めたのを確認して、佳音はキッチンへ向かい紅茶を淹れはじめた。



 ここは、工房とはいえ、佳音の家でもある。工房と生活の場と、別々に借りる余裕なんて当然あるはずもないので、アパートの部屋の大部分を工房に当て、佳音はその片隅でささやかに暮らしていた。


「……これは、もうちょっと、こうした方がいいかな……?」


 幸世のつぶやきが聞こえてきて、そちらの方へ目をやると、婚約者の和寿は幸世の横からじっとその様子を窺っている。

 彼は、先ほどの幸世と佳音がやり取りをしている間も、意見を発することもなく、ただ黙って側に座っているだけだった。


「……どうぞ」


 和寿の前に紅茶を置くと、和寿が顔を上げて、佳音の顔をじっと見つめた。優しげな眼から注がれるその視線の深さに、佳音は戸惑ってしまう。その視線の意味を問うように、首をかしげてほのかに笑った。


 すると、佳音のその仕草を見て、和寿の方が焦ったように反応した。


「…あ、ありがとうございます」


 軽く頭を下げると、ぎこちなく視線を再び幸世の手元に移す。そんな和寿を訝しく思いながら、佳音は幸世の方に声をかけた。


「それでは、絵が出来上がりましたら、おっしゃって下さい」


 幸世が顔を上げて頷くと、佳音は途中になっていたドレスの仕上げの作業を再開させた。


 ウエストのところに、ドレスと同じ布で作った大きなバラの花を取り付ける。花の位置やバランスを考えながら慎重に…、大事な作業が終わってホッと息を吐いて顔を上げ、幸世の方の様子を窺ってみると、また和寿と目が合った。


 和寿は極まり悪そうに目を逸らすと、再び幸世の画に視線を落とした。

 どうやら、幸世の“お絵かき”よりも、佳音の作業の方が気になるようだ。そもそもウェディングドレスを制作しているところなんて、和寿に限らず男性には珍しいことなのだろう。


 和寿は、スラリと長身の清涼感のある好青年だった。身だしなみもきちんとしていて、堅い仕事をしていることが見て取れる。整った目鼻立ちは、優しげな表情でいつも保たれ、人柄も極めて良さそうだった。


 こんな和寿に想われて結婚するのだから、幸世は今とても大きな幸せに浸れているのだろう。デザイン画を描きながら見せるその表情は、明るく輝くようで一点の曇りもなかった。



「……ちょっと、確認しておきたいんだけど。さっき、費用のこと、話した?」


 幸世が画の仕上げにかかろうかという頃、頬杖をついてただ待つだけだった和寿が初めて口を出した。

 それを聞いた幸世は手を止めて、この日初めて曇りのある顔を見せて、それを和寿へと向けた。


「は?何言ってるの?そんなこと考えてたら、オーダーメードなんて、初めからできないわよ」


「いや、でも。だいたいどのくらいになるのかでも、聞いておかないと」


「…んもう。こんなところにも、ビジネス根性が出るんだから。すぐに『費用』とか『採算』とか『リスク』とか…。私のドレスを仕事と同じに考えないでよ」


 二人の怪しい雲行きに、佳音の耳が敏感になる。

 これから夫婦になる人たちの、犬も食わない言い合いなのかもしれないが、自分の作るドレスのことでケンカをしてほしくない。

 佳音は作業の手を休めて、ドレスの陰から顔を出した。


「…あの、後ほど、大体のご予算をお聞きします。生地の素材やレースの種類を変えることなどで、デザインはそのままでお安くお作りすることも可能ですから」


 最初にきちんと費用のことを伝えなかったのは、佳音のミスだ。それを申し訳なく思いながら、佳音は説明した。


 佳音の言葉が耳に入ってきて、和寿は却って申し訳ないような顔をしたが、幸世は佳音の心配を払しょくするような表情を見せた。


「大丈夫です。一生に一度のことだから、妥協はしたくないの。だから、ここで作ってもらうことにしたんだもの。お金なんかは関係なく、自分が思う一番いいものを作りたいの」


 そう言い放つ幸世に、和寿はビックリしたように眉間に皺を寄せた。


「そんなこと言って、本当に大丈夫なのか?」


「大丈夫よ。パパに頼めば、少しのお金くらい出してくれるわ」


 和寿の気がかりなど物ともせず、ニッコリと笑って見せる幸世に、和寿も呆気にとられる。


「……確かに、副社長は娘には甘いからな……」


「そう。パパも娘の幸せには妥協はしないの。だから、あなたもパパに見込まれたのよ」


 こんな二人の何気ない会話の中から、色んなことが分かってくる。

 副社長がいるとなれば、小さな会社ではないはずだ。幸世は大きな会社の副社長の娘で、溺愛され、何不自由なく贅沢に育てられてきた。

 そして、和寿はその会社の社員で、副社長に見込まれて幸世と結婚することになった。下世話な言い方をすれば、「逆玉」というやつだ。


 けれども、こうやって花嫁のドレスを作りに二人で来るところを見ても、その睦まじさが窺える。

 ……既に、和寿が幸世の尻に敷かれている感は、否めないけれども……。


 この工房に来るカップルの中でも、いつになく幸せなカップルに出会えた佳音は、息を抜き微笑みながら、


――今回のドレスは大作になりそう……。


と、心の中で喜びをつぶやいた。








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