5話 初デート
どれだけ走ったのか、もう分からない。
疲労が限界で、もう最後の方は足を引きずるように歩いていた。
そして──ようやく、目の前に見慣れた光景が広がった。
(……学校……)
扉をくぐり、メイガス魔法学園へ帰還。
正直、嫌な思い出の方が圧倒的に多い場所。けれど今はもう、この無機質な廊下がたまらなく愛おしかった。
──と、その時。
「ハル!?」
聞き慣れた声。駆け寄ってきたのはミルカだった。
「なんかもうヘロヘロじゃない!? 大丈夫!?」
心配して見に来てくれたのかな? やっぱりミルカは優しいなぁ……そう思うと同時、ハルの身体から力が抜けた。
「わっ!?」
ミルカがぽふんと受け止めてくれた。
柔らかい感触と、ほんのり甘い香りが心底愛おしい。
「……ごめん……ミルカ……ちょっと、無茶しちゃった……」
「ちょっと無茶……じゃないわよ!! 本当にもう……!」
優しく怒ってくれる声が心地いい。
(……あぁ、私、生きて帰ってこれたんだ……)
そう思った途端、視界が霞む。そのまま、意識が遠のいていった。
──気がつくと、見慣れた天井があった。
(ここ……私の寮の部屋?)
ぼんやりと意識が戻ってくる。
ベッドの上。薄い布団がかけられ、窓の外からは朝の光が差し込んでいた。
(……どれくらい眠ってたんだろう)
最後の記憶はミルカに支えられながら意識を手放したところまで。どうやらミルカがここまで運んでくれたらしい。
起き上がって、しばしぼんやりとする。
(……夢じゃないよね?)
もし夢だったら立ち直れないかもしれない。そう思いつつ、おそるおそるベッドの脇を見る。
そこには、昨日までとは違うものがあった。
黒と白の紋様が絡み合う美しい魔杖。そして、その隣に佇む銀髪の少女。
「……アリシア」
『おはようございます、マスター』
アリシアの冷静な声がすごく嬉しい。
続いて自分の手を見る。
「……光よ」
小さな声で詠唱。すると、手の中に淡い光が灯る。
最後の確認に、ハルはそっと頬をつねってみた。
(……痛い)
――夢じゃない。
今まで何度も魔法が使えるようになる夢を見た。そのたびに朝目が覚めて落胆した。
でも今回は違う。自分は、確かに魔法を使えるようになったのだ。
また涙がこぼれそうになり、ゴシゴシと拭う。
そんな時、扉の向こうから人の気配がした。
「ハルー? 起きてるー?」
ミルカの心配そうな声がする。どうやら様子を見に来てくれたようだ。
「ミルカ! ちょっとまって今開けるね」
「おじゃましまー……」
「ミルカ! 聞いて聞いてっ!」
ミルカが入ってくるなりハルはその手を両手で握った。興奮のあまりか顔が近くて、ミルカが軽く仰け反る。
「わっ!? な、なに? どうかしたの?」
「あのね! あのね! 私、魔法が使えるようになったんだよ!」
「……え?」
ミルカの顔がぽかんとなる。
「ほら、見てて!」
ハルは得意げに片手を掲げ、軽く息を吸った。
「光よ!」
力いっぱい詠唱する。すると手のひらに小さな淡い光がふわりと灯った。
「えっ……ええええええ!? 嘘!? 本当に魔法使えてる!?」
ミルカの表情がぱあっと明るくなった。今までのハルの努力を一番間近で見てきたのは彼女だ。我がことのように喜んでくれて、ハルの手を握ったままぴょんぴょん飛び跳ねている。
「ハルすごい! 本当にすごいじゃん! どうして!? 何があったの!?」
「えへへ、実はね──」
ハルは嬉しそうにベッドに駆け寄ると、脇に置かれた杖を持って戻ってくる。
「これ。この杖のおかげなの! アリシアって名前でね、すごく可愛いんだよ!」
「……アリシア?」
ミルカが首を傾げる。
「あっ、そうだ! アリシアもミルカに初めましての挨拶しないとね!」
ハルはそう言って隣に立つアリシアに声をかける。だが──
『…………』
アリシアはどこか気まずそうな顔で、視線をふいっと逸らしてしまった。
「あれ……? どうしたのアリシア? もしかして人見知りなの?」
反応がないアリシアを見てハルは少しだけ焦った。
もしかしてアリシアの存在は他の人には内緒にするべきだったのだろうか、と一瞬不安が頭をよぎる。
「アリシアのこと、他の人にはあんまり言わないほうがよかったのかな……? でも大丈夫、ミルカは私の親友だから絶対他の人には言いふらしたりしないよ?」
『そうだよね?』と再びミルカに視線を戻す。
だがミルカの表情は先ほどより怪訝なものになっていて、その瞳には明らかな戸惑いと不安の色が浮かんでいた。
「……ハル、誰と話してるの?」
「へ? だからアリシアと──」
ハルがきょとんと目を瞬かせると、ミルカはますます困惑の色を深める。
「……アリシアって、誰?」
「いや、ほら! だからここにいるじゃん! めちゃくちゃ可愛い女の子が!」
ハルはアリシアを指差す。だがミルカは眉間にしわを寄せて沈黙していた。
『……マスター。残念ですがその方には当機が見えていないようです』
そこでようやくアリシアが、申し訳なさそうにぼそりと口を開いた。
「え?」
『当機の声や姿を認識できるのは当機に対して適性がある者だけです。……つまりマスターは虚空に向かって話しかける少々危ない人と認識された恐れがあります』
ハルは慌ててミルカの顔を見る。するとミルカは、慈愛と憐憫を混ぜ合わせたような妙に柔らかい表情でこちらを見つめていた。
「ハル……もしかして頭でも打った? あ、そういえば、おっきなたんこぶあったわね……。大丈夫、きっと疲れてるだけだからちょっと横になろ?」
「ち、違うよミルカ! アリシアはちゃんとここにいて──」
「うんうん、分かったよハル。魔法が使えるようになって嬉しくて、ちょっとテンションが上がっちゃったんだよね。大丈夫だよ、気持ちはわかるから。ね?」
「いや待って!? なんかすごく優しい目になってるんだけど!? 何その生暖かい目!?」
「大丈夫、ちょっと不思議ちゃんでも私はハルの親友だからね」
「だ、だから違うんだってば~!」
ハルは涙目でアリシアに視線を向けたが、アリシアはどこ吹く風で澄ました顔をしているだけだった。
†
──学園の外に出るのは久しぶりだった。
メイガス魔法学園の周辺には魔法使いの街が広がっている。
学園関係者や卒業生、それに魔道具を求める一般人なども集まるこの街は様々な人や物が行き交い、いつも活気に溢れていた。
そんな賑やかな街並みをハルは意気揚々と歩いていた。
手には黒と白の美しい紋様が絡み合った杖。隣には、ハルにしか見えないアリシアが並んでいる。
「さて! 今日は一日私とアリシアでデートってことで!」
『デートとは一般的に男女間で行われる交際活動を指しますが、我々に該当する要素はありません』
「せっかく仲良くなろうと思って誘ったのに、そんな堅苦しいこと言わないでよ~!」
──そもそもの始まりは今朝のこと。
アリシアはさっそくとばかりに『魔法使いとしての訓練を開始しましょう』と言ってきたのだが、ハルはそれを断った。
別に訓練が嫌だったわけじゃない。むしろハルだってようやく使えるようになった魔法を早く練習したいぐらいだった。
でも、アリシアはただの道具ではない。
自分に魔法を使えるようにしてくれた恩人であり、これから共に頑張る相棒でもある。
なら、最初はもっと仲良くなりたい。一緒に遊んで、もっと彼女のことを知りたいと思ったのだ。
歩きながらそのことを説明してみると、アリシアはしばらく考え込んで小さく頷いた
『……なるほど。理解しました。パートナーとして、いざという場面での信頼関係は生死に直結する可能性があります。最強の魔法使いを目指すのならまずは信頼関係を築くのが肝要……そういうことですね?』
「ま、まあそれでいいや。えっとつまり、一緒に遊んでくれるってことでいいんだよね?」
『肯定します』
「えへへ、やった。……お?」
アリシアと話しながら歩いていると、焼き立てのパンの匂いが鼻腔をくすぐる。
見れば通り沿いにあるパン屋の店先から、香ばしい匂いが漂ってきていた。
どうやら先ほど焼き上がったばかりのようで、店先には黄金色に輝くクロワッサンや菓子パンが並んでいた。
焼きたてのパン生地の甘い香りとバターの濃厚な香りが混ざり合い、ハルのお腹がくぅ~と音を立てる。
「……そういえばさ、アリシアは匂いって感じるの?」
ふと気になり、アリシアに聞いてみる。
『通常状態では嗅覚はありません。しかし当機は契約者の五感を共有することが可能なため、マスターが感じている匂いを当機も感知可能です』
「えっと……つまり、私がいい匂いを嗅いだらアリシアもいい匂いを感じる……ってことでいいのかな?」
『肯定します』
それなら──と、ハルは胸いっぱいにパンの匂いを吸い込んでみる。
「……どう?」
『……好ましい匂いだと感じます』
そう答えるアリシアの表情が、ほんの僅かに緩んでいる気がした。
(……なんか、嬉しいな)
そんなに大きな変化ではないが、それでも今まで淡々としていたアリシアが「いい匂い」と言ってくれたのが嬉しい。
なんとなくだけど、無愛想だけど可愛い親戚の子供の世話でもしてるみたい。
何はともあれ、ハルはたくさんのパンを買い込むのだった。
†
「んん~♪ おいし~~い♪」
公園のベンチに腰掛け、買ったばかりのクロワッサンを口いっぱいに頬張る。
サクッと軽やかな食感。生地が口の中でほろほろとほどけ、芳醇なバターの香りがふわりと鼻に抜けていく。思わずハルは表情を緩める。
「ねえねえ、アリシアも美味しい?」
『味覚情報の伝達を確認。……美味しい、と表現して問題ないと判断します』
「ほんと? やった♪」
ハルは嬉しそうに足をぷらぷらさせている。
『……マスター、なぜそのように喜ぶのですか?』
「だって友達が喜んでくれたら嬉しいじゃん。……ん? 待てよ? 味覚を共有してるってことは私が美味しいもの食べないと、アリシアも美味しいもの食べられないんだよね?」
『理論上はそうなります』
「……これは責任重大だね! よーしいっぱい食べるぞ~!」
『懸念。食べ過ぎは肥満に繋がります』
「うっ」
『肥満状態になった場合、身体能力が低下し、最強の魔法使いを目指す上で悪影響が出ます。栄養は必要ですがほどほどの接種を推奨します』
「う~……わかってるよ~。女の子に『肥満』とか『太る』とか言わないでよ~」
そんな他愛のない会話を交わしながらパンを頬張る。
チラリと横目で見て、アリシアの表情を伺う。
アリシアはベンチに腰掛けたまま、静かに目を閉じていた。
お人形みたいに整った顔立ちに神秘的な銀の髪、じっとしているだけなのにまるで芸術品みたいに綺麗だと思う。けれど……。
(せっかくなら、にっこり笑ってくれたらもっと可愛いのになぁ)
アリシアは相変わらず表情が薄いし、口調も淡々としている。
仲良くなりたくて連れ出したけど、楽しんでるのは自分だけでアリシアはそうでもないんじゃ……なんてちょっぴり不安になってしまう。
そんなことを考えながら、ハルは手の中のクロワッサンをもっきゅもっきゅ頬張る。
(……ん?)
隣で目を閉じているアリシアの顔を覗き込んでみると、唇がまるでハルの咀嚼に合わせるようにもごもご動いている。
ハルがパンを飲み込むとそれにあわせてアリシアの喉も、こくんと動いた。
クロワッサンをもう一口。するとまた咀嚼するようにアリシアの唇ももごもご動く。
(……もしかして目を閉じてるのって、パンを味わうためだったりする……?)
そうしてパンを食べながらしばらくアリシアの顔を見ていると、アリシアの目が薄く開いた。
『? マスター? 当機の顔に何か?』
「あ、いや、ううん。なんでもないよ」
自分が食べるのに合わせて口をもきゅもきゅしてる姿が可愛くてつい見入っていた……なんて言えなくて適当に誤魔化した。
『そうですか。……ところでマスター』
「ん? なぁに?」
『……もう食べないのですか?』
相変わらずの淡々とした口調。
けれどその声音にはどこか、小さな子供が大好きなおやつを前に『もっと食べたい!』とねだるような雰囲気が滲んでいて……不覚にも胸がキュンとしてしまった。
「……ふふっ」
大丈夫、ちゃんと喜んでくれてる。
パンをもう一口頬張りつつ、アリシアとはきっと仲良くなれるとハルは思うのだった。
──それから、ハルはアリシアをいろんな場所に連れ回した。
街の露店を冷やかしたり、魔道具屋で面白い商品を見つけて試してみたり。
珍妙な造形の置物を見た時には『異教の邪神像でしょうか……?』と大真面目な顔で呟いてて思わず吹き出してしまった。
アリシアは相変わらず淡々とした感じ。けれどその表情は、遊びに出掛ける前よりほんの少し柔らかい気がした。
その変化を感じられただけで、ハルは来てよかったなと思うのだった。




