4話 レイス
ハルは瓦礫の影からそっと様子を伺う。
そこに、白い影が漂っていた。
(……人……じゃないよね……?)
ハルの額にじわりと冷たい汗が浮かぶ。
その姿は白いローブを着た人間の魔法使いを模していたが、輪郭があやふやだし足がない。
顔があるべき場所には暗い穴がぽっかりと開き、虚ろな闇が広がっている。
『レイスです。死亡した魔法使いの魂が悪霊化したもの。高度な魔法を扱うため、非常に危険な存在です』
アリシアの淡々とした解説が余計にハルの恐怖を煽った。
「ちょっと!? あんなのが出るなんて聞いてないんだけど!?」
ハルが調べた限りではこのダンジョンに出るのはせいぜいスケルトンやゴブリンぐらいまで。
それなら倒せはしなくても逃げることはできるだろうと踏んだからこそ、このダンジョンに潜ったのだ。あんなのがいるなんて知ってたら流石に来ない。
『おそらく調査した方もこの地下の存在は知らなかったのでしょう。地下へ続く階段も幻影で隠されていたようなので』
「うう……でもあんなのに遭遇しちゃうなんて……」
『……さっきマスターが大泣きしていた声を聞きつけて寄ってきたのでは?』
「正論で殴るのやめて!?」
ゆらゆらと漂うレイスは、ゆっくりと部屋の入り口で動きを止める。
──レイス。この世に強い執着や未練を残した魔法使いの魂がモンスター化したものである。
スケルトンやゴブリンなら、はっきり言って魔力を持たない一般人でもどうにかなる。
だがあれは格が違う。それなりに経験を積んだ魔法使いでも『危険』と口を揃えるような相手だ。
ハルの額に嫌な汗が滲む。
(や、やばい……完全にアウトなやつじゃん……!)
そうしていると、レイスの手に巨大な火球が現れる
『退避を推奨。次は瓦礫ごと吹き飛ばされます』
「ひいいいいいい!?」
アリシアの冷静な忠告を聞いた瞬間、ハルは全力でダッシュした。
直後、轟音とともにさっきまで隠れていた瓦礫が木っ端微塵に吹き飛ぶ。
「きゃああああ!? 助けてええええええ!?」
『マスター、あちらです』
必死に逃げるハルの隣でアリシアは宙に浮かんでついてくる。
アリシアの指した方を見ると、壁の一部が開いて新たな通路が現れる。そこに入ると同時にすぐ後ろで火球が炸裂する。
「こ、こっち来ないでぇぇぇ!!」
レイスが魔法を連発しながら追ってくる。爆風で背中を押されて転びそうになった。
『魔力による身体強化を推奨。このままでは逃げ切れません』
「いや、いきなりそんなこと言われても!? 私ついさっき初めて魔法使えるようになったばっかりだよ!?」
『できなければ死にます。細かい調整はこちらでしますので実行してください』
「うわああああん!!」
泣きながら必死に頭を回転させる。
使ったことはないがやり方は知っている。この時ほど真面目に勉強していてよかったと思ったことはない。
──イメージは魔力で身体を膜のように覆い、その膜と身体を一緒に動かす感覚。
「こ、こんな感じ……わきゃあ!?」
魔力を込めた瞬間、勢い余って大ジャンプ。天井にゴンッ!! と頭をぶつけ、視界に星が散った。
「いったぁ……!」
それでもなんとか着地し、そのまま走り続ける。
『今ので転倒しなかったのは素晴らしいバランス感覚です。転倒していたら死んでました』
「ひいぃぃぃ!?」
直後、背後で爆発。ハルはさらに必死に足を動かした。
『初めての身体強化で不格好ながらも走れている点も評価に値します。……なるほど、マスターは日常的にトレーニングを積んでいたのですね。運動神経は平均的な女性魔法使いを大きく越えています』
「褒めてくれるのはいいけど後にしてえええええ!!!」
レイスは追撃の手を緩めない。火球が連続で撃ち込まれ、爆風が吹き荒れる。
足を止めたら死ぬ。それだけは理解できた。
そんな中、アリシアが冷静に告げる。
『マスター、次の分かれ道は右に……』
「え? なんて?」
通路が大きく二手に分かれていて、瓦礫が少なかったのでハルは反射的に左に曲がった。
『……左に曲がってしまいましたね』
「え? え? 左だとまずいの?」
『この先、行き止まりです』
「……ぎゃあああああ!?」
程なくして、アリシアの言った通り天井が崩れて通れないところに来てしまった。
咄嗟に近くの瓦礫の影に隠れて息を潜める。
そっと後ろを振り返ると、レイスが暗闇の奥からゆっくりと近づいてくるのが見えた。
(どうしようどうしよう!)
『落ち着いてください、マスター』
アリシアの冷静な声が響く。
『マスターは光と闇、二つの属性を持っています。特に光属性はレイスのような霊体に対して効果が絶大です』
「で、でも私、光の攻撃魔法なんて使えないよ?」
一応勉強はしていたけれど、ぶっつけ本番で魔法を発動できるほど自分が優秀だとは思えない。
『では、魔力放射を使用しましょう』
「……魔力放射?」
『詠唱や術式を編まず、魔力をそのままぶつける技です。通常の魔法使いなら牽制程度にしかなりませんが、当機が魔力の増幅と収束を行えば十分な威力になります。こちらなら今のマスターでも問題なく使用できるかと』
「ほ、本当に?」
『肯定。ただし、問題があります』
「……問題?」
『マスターの魔力路は正常に機能し始めたばかりです。その関係上、全力の魔力放射は撃てても一発。その後は肉体強化を維持するのも難しくなると思われます』
「えぇ……」
『さらに、直線的にしか狙えないので遠距離で撃っても避けられる可能性が高いです』
「じゃ、じゃあどうすれば……?」
『接近して撃つことを推奨します』
「……まじで?」
『まじです』
ハルは絶望的な気分になりながらレイスを見た。
相変わらずゆっくりと進んでいるが、確実にこちらに迫っている。
「あれに……接近……」
ハルはゴクリと息を呑んだ。
もう相手が撃つ魔法の威力は嫌というほど見ている。
直撃したら良くて即死、悪ければ全身大火傷で長く苦しんで死ぬ……といったところだろうか。
怖い。足が震えている。そんなの無理! と泣き言を言いたくなる。
だが──。
(落ち着け、私)
ぴしゃりと両頬を打つ。
自分はこれまで、ずっと魔法を使えなかった。
実技試験の相手はいつも魔法が使える人たち。馬鹿にされて、笑われて、それでも自分は一度も逃げなかった。
痛くても、怖くても、涙を流しても、諦めずに前を向いて進もうとしてきた。それだけが自分の誇りだった。
そしてそんな自分が、ようやく魔法を手にできた。やっと掴んだ可能性。
――こんなところで、あっさり死んでたまるもんか。
「……やる」
『……マスター?』
気付くと足の震えが消えていた。覚悟を決めて杖を握りしめる。
「こんなところで、終われない」
『……肯定。当機もこんなところで終わるつもりはありません』
「私はどうすればいい?」
『三メートル以内まで接近し、対象に杖を向けて魔力を込めてください。以降は当機が担当します』
「……わかった」
そう言って息を整え、杖を握りしめるとハルは瓦礫の影から踏み出した。
†
レイスの前に立ったハルの姿に、アリシアはわずかに目を見張った。
少なくともアリシアの見る限り、ハルはただの少女だった。
魔法を手に入れたばかりで、技術に関しては悲惨もいいとこ。
実戦経験もなくて泣きながら逃げ回るていたらく。
けれど、その勇気と思い切りの良さだけは――。
(……当機は、思ったよりも良いマスターに出会っていたのかもしれません)
少しだけ、ハルに対する評価を引き上げる。
だがまずはここを切り抜けることだ。
アリシアもハルの隣に並び、魔力制御へと意識を集中する。
†
物陰から出てきたハルに対し、レイスは霊体の腕を振り上げる。魔力が迸り、巨大な火球が生成されていく。
それに対し、ハルは事もあろうに真正面から突っ込んだ。
「やっと……やっと魔法が使えるようになったんだから……!」
レイスが火球を放つ。岩をも解かす豪炎がハルの小柄な身体に迫る。
「こんなところで……死んでたまるもんかあああああ!!!」
──足に魔力を集中。身体強化を限界まで引き上げる。
唸りを上げて迫る火球。それを目の前にして、ハルは渾身の力で地面を蹴った。
ドンッ、と衝撃と共に身体が宙を舞う。
一瞬の浮遊感の後、灼熱の火球がハルのすぐ下を通り過ぎていった。背後で爆発音が轟き、瓦礫が四方八方へと飛び散る。
「避け──あいたぁあああ!?」
思わず歓声を上げたのも束の間、飛びすぎたせいで思い切り頭を天井にぶつけた。
先ほどできたたんこぶが二段重ねになり涙が滲む。
しかしハルは空中で体勢を崩しながらも、杖の先端は正しくレイスの方に向けていた。
『今です! マスター!』
「いっけえええええええ!!」
魔力路を通して、全身の魔力を一気に解放する。
──閃光。
ハルの杖から放たれた純白の光は一直線に、レイスの胸を貫いた。
「──────────ッ!」
ハルはお尻から床に着地して痛みにまた悲鳴を上げた。
それでも歯を食いしばって杖をレイスに向ける。
(し、仕留め切れてない!?)
レイスの胸には大穴が空いていた。だがそれで消滅する気配がない。
ただ自分の胸に空いた穴を見つめるように首を傾げ、次いでハルを見る。
(……?)
もうダメだ!
……と思っていたハルだが、違和感に気付いた。
レイスが襲ってくる気配が消えたのだ。
ジッと、こちらを見つめるように顔のない頭を向けている。
その頭部が僅かに上下した。
――どうか■を、よろしくお願いします。
次の瞬間には、レイスの白い幽体は闇に解けるように消えてしまった。
静寂が落ちる。
ハルは尻餅をついたまま、荒い息を吐いている。
『戦闘終了を確認しました』
アリシアの淡々とした報告。それを聞いた途端、ハルの体から一気に力が抜けた。
「はぁっ、はぁっ……」
今さら思い出したように膝が震え始めた。
頭がズキズキ痛い。触ってみると見事な二段たんこぶを指に感じた。
戦いの興奮が冷めるにつれ、全身を疲労が襲う。
──だけど。
「た……助かったーー!」
言い知れない達成感。今までどれだけ努力しても使えなかった魔法で、あんなに強いモンスターを追い払ったのだ。
その実感が、ハルの胸に確かな熱を灯していた。
『マスター、お疲れさまでした』
「あ、アリシアもありがとう。……あのレイス、最後に何か言ってなかった?」
『? 当機の方では何も。……ところでマスター』
「うん?」
『今すぐ逃げてください』
「……はい?」
『先ほどの騒ぎで付近のモンスターが接近してきています。次に襲われたら間違いなく死にます』
「……え? いや私今めちゃくちゃ疲れてて……」
『死にたくなければ急いでください』
「……うわああああああああん」
勝利の余韻に浸る暇もなく、ハルは泣きそうになりながら再び走り出すのだった。




