#5
普通あんな体験をしたら、困惑するか取り乱すかのどちらかだろう。親しい人に相談する、警察に行く、精神科へ行く……いずれにしても、過剰に身の回りを警戒するはず。オーバーにいくならこの街を出るという選択肢もありだ。しかし翌日、由貴はいつもどおり出勤した。
いつもと同じ時間に目覚め、同じコンビニで同じ弁当を買った。
廃人に襲われたことを誰にも言うつもりはなかった。言ってどうにかなることじゃない。大変だったね。ここら辺は物騒だからね。じゃあ帰りは気をつけて、って言われて終わりに決まってるから。か弱い女性でもなし、男を心配する人間なんてそうはいない。性差別なんてこの街にはないが、やはり多少は反応が違う。自衛は義務だと、無言の圧力が掛かる。
俺は子どもだけど、大人だ。誰にも頼らないで生きていかないと。
先日酔い潰れていた蓮沼に平謝りされ、仕事を終えた由貴は会社を出た。暑くて長い一日は脳がふやけてしまいそうだ。気分を切り替えようと深呼吸する。無心で前を歩くと、見覚えのある青年が広場のベンチに腰掛けていた。慌てて駆け寄ると、彼は笑顔で片手を上げて。
「お疲れさま、由貴君。ちょっと待ったよ」
「司さん! お疲れさまです、一体どうしたんですか……!」
司と由貴の職場は駅をまたいで離れている。彼がここに来るのは大事な用があるときだけだ。しかし、彼が口にしたのは重要度の低いものだった。
「一緒に帰ろう」
「は!?」
驚き過ぎて叫んでしまった。何度か瞬きして黙ってしまう。すると彼は手に持っていた珈琲を顔の目の前に差し出した。
「司さん、俺珈琲の香りもそんなに好きじゃないんですよ……」
「頑張って慣れな。今度お勧めのコーヒーショップに連れてってあげるから」
「えぇ……」
司のおかげで以前より慣れたものの、まだ抵抗がある。思わず後ろへ下がるけど、彼は楽しそうに笑っていた。
「もう、司さんて意外に意地悪ですよね」
「そうだね。可愛い子に対しては特に?」
可愛い子。瞬時に理解できなくて首を傾げた。
「あ、お酒は好きなんだからブランデーコーヒーでも作ろうか」
「そんなぁ……ほんとに大丈夫です!」
冗談ではなく苦手なので声が上擦る。そこでようやく司はゴメンゴメンと手を合わせた。
「さてと。それじゃ家までついていくね」
「え!? 何でです?」
「また襲われたら大変だから、しばらく帰りはボディガードとして迎えに来るよ」
どう反応したらいいか分からなかった。とりあえずネクタイを締め直し、誰かに聞かれてないか辺りを見回した。




