#2
「怖かっただろ。大丈夫?」
司は煙草を取り出した。喫煙者ということは知っていたが、自分の前で吸ってる所を見るのは初めての為少し驚いた。今までは吸いたくても我慢していたのかもしれない。今までは恋人だったから……今は、赤の他人だから。
「どこか触られた?」
「いえ、どこも」
「シャツ。ボタン二個外れてるよ」
指をさされ慌てて前を見た。ジッパー優先で、上衣の乱れはすっかり抜け落ちていた。
「……大丈夫です! これは争ったあとです」
寝静まっていた羞恥心が顔を出した。顔をそらして吐き捨てると、煙草の匂いが強まる。見れば司は距離を詰めて、由貴の両サイドに手をついていた。
嘘は簡単に見抜かれたようだ。しかしそれとは別のなにかを……感じている。ものものしい雰囲気が漂う。久しぶりに息を飲んだ。目の前の男が何を考えているか分からず、無意識につま先に力が入る。
「さっき、俺が来るまで逃げもせず男を待ってたよね。……何しようとしてたの?」
とても直球な質問だった。確かに、後ろから見ていた司からすれば奇妙な光景だっただろう。逃げもせず上で男を待ち構える。……下に突き落としてやろうという気が満々だったから。
そんなこと司なら簡単に見破っているはず。分かった上でわざと訊いているのだ。こちらの反応を試す為に。
分からない。
分からない……。
何で試されてんだ? ……俺は。
「不思議だったんです。何で追いかけてくるのか、訊こうと思って。話し合えば分かってくれるんじゃないか、と思って。……っていうのは嘘で、殺してやろうと思いました」
だから前に出た。余裕綽々の彼の反応を見る為に。
喉が焼けそうな文句だ。わざと過激な言葉を選ぶと、司は高い声で笑った。
「何が可笑しいんですか?」
驚かれるのも怒られるのも御免だが、その反応は些か癇に障る。いきなり組み敷かれて襲われたのだ。殺したいぐらい怒りを覚えるのは、まぁ自然な気持ちだと思う。
しかし彼の口から飛び出したのは、自分が用意していたどの回答とも違った。
「殺すって、階段から突き落とすつもりだった?」
「え? えぇ……まぁ」
「その後は? 君もここから飛び降りるつもりだった?」
「何で」
……と訊いたものの。人を殺したら自分も死ぬ、という流れもあるか、と思い直す。
だが実際は誇張だ。罪を感じても自殺ではなく自首を選ぶ者がほとんど。
自分だって、きっと自首を思いつく。……はずだ。
司は依然として笑っている。彼がたまに吐く煙草の煙が思考にふりかかる。霞がたなびく。匂いがつく。
何だろう、この気持ち。
「司さんが飛び降りろって言うなら……飛び降ります」
正常に機能してない頭が、誰も知らない小さなボールの中で攪拌されている。あの男を殺したいと思った自分もいれば、自殺しても構わないと思ってる自分がいる。矛盾した想いは手に負えない。歪んだ意識の底で、自分の声が聞こえた。
……飛び降りても、別にいい。




