#10
偶然にも、テーブルの隣に司が佇んでいた。彼もやはり仕事帰り……いや、仕事中なのか、同僚らしきスーツ姿の男性を連れていた。
「ん……何、お知り合い?」
蓮沼は真っ赤な顔で司を見上げる。そしてとんでもないことを口にした。
「あ、このタイミング……! もしかして花岡の彼氏か?」
「は、蓮沼さん!」
嫌な汗が全身から吹き出した。泥酔してる蓮沼の口を塞ぎたいし、このタイミングで現れた司を恨めしく思う。逆恨みに違いないが、元恋人の正直な意見だ。しかし蓮沼の冗談は止まらない。
「かっこいいね~、お兄さん。花岡、お前頑張らないと逃げられちまうぞ」
やめろ。既に逃げられたんだ。これ以上傷口を抉らないでくれ。
悔しいし恥ずかしいし、恐ろしくて司の方を見れなかった。珍しくビクビクしていると、何故か目の前に置いている(れんこんの)天ぷらが宙に浮いた。それはとても自然に司の口に運ばれて。
「ごちそうさま。今日はこれが珈琲の代わりね」
サクサクと音が鳴る。美味しそうに頬張りながら、連れの男性と二階の客席へ向かってしまった。
俺の天ぷら……はどうでもいい。何なんだ。
「天ぷらが食べたかったのか。あれ、てか本当に今の誰?」
硬直する由貴とは正反対に、蓮沼はずっと頓珍漢なことを言い続けた。
飲み会は二十一時になる前にお開きとなった。司達は降りてこないからもう忘れることにした。
蓮沼は泥酔してフラフラ。会計のときだけ真面目な顔で「奢るから」と財布を取り出したけど、千円と一万円を間違えて首を傾げていたため由貴も出した。
店の前にタクシーを呼び、彼を席に突っ込む。そしておおよそのタクシー代を彼の手に握らせた。奢ってもらうどころの話じゃない。こんな大損の飲みは生まれて初めてだ。
「すいません、この方ちょっと酔ってるんですけど……よろしくお願いします」
タクシーが走り去るところまでは見送った。自分は節約の為にここから歩いて帰る。社宅が近いことはラッキーだ。スマホのマップを見る。一駅半とはいえ間隔が狭い為、歩いて二十五分、ゆっくり歩いても三十五分の計算だ。
まだ遅い時間でもないのに、薄闇の道は誰も歩いていなかった。自分の靴音だけが反響している。女性のヒールならもっと鳴るのだろうが、これだけでも近所迷惑な気がして踵を浮かせた。
空を見上げると、白い満月が浮かんでいた。世界中どこから見ても同じものなのに、この街で見る月は作り物のようだった。綺麗過ぎて怖い、あの人形と一緒だ。




