#3
住宅街に入って、無意識に息を潜めた。司は由貴が住んでいる社宅の駐車場に車を停める。本当はここで別れる予定だったが、わざわざ送ってくれたわけだし、このまま帰すのも忍びない。
家の鍵を取り出し、鍵穴にさして回すまで結構な時間をかけた。上がっていきませんか、の一言を言うために。
「司さん。……あの」
勇気を振り絞って提案した。彼は黙って頷いた。
拒絶されなくて良かった。
もう何度も彼をこの家に入れてるけど、“他人”としては初めてだ。冷気が充満して、普段より深閑としている。
もう恋人じゃないのに、恋人のときより親密に過ごしているかもしれない。これはかなりの皮肉というか、悪い夢がなかなか覚めないと思った。
これが、彼と過ごす最後の時間。どうせなら最後までやばい奴と認定されて別れよう。
「あ。司さん、戸棚の珈琲粉はどうぞ……。持って帰ってください」
お茶を用意しながら声を掛ける。珈琲が大好きな司の為にあちこち店を回って見つけたものだ。本当は豆から挽いてやりたいけど、あいにくウチにコーヒーミルはない。
由貴は珈琲を飲まない。司がもうこの家に来ないのなら、ここに置いていても仕方ないと思った。
「わ、ありがとう! 由貴君も飲みなよ。これ香り高いし美味しいよ」
「いやー……。どうせ飲むならブラックが良いんですけど、飲むと肩が凝るんです。大人の飲み物なんじゃないですか」
「大人の飲み物って……お酒は飲むのにねぇ。本当に面白いよね、君」
「普通に、変人って言っていいんですよ」
飲み物を飲んだら、何も言わずに洗い物をしてくれる。彼の行動の一々を、余計なお世話と一蹴するのは少し難しかった。
「司さんは良い人ですね……」




