#1
大学卒業を機に窮屈な家を飛び出して、パソコン一台を抱えてこの街へ訪れた。大したスペックじゃないけど仕事の合間にプログラムコードを作れたら充分だし、住みやすい場所で人々の暮らしを影から支えている。夢のような生活だった。やがて初めての恋人になる青年、稔と出逢うまでは。
「司さん。お疲れさまです」
ストーキング日記もやがて膨大な量になった。
司が会社から出る頃を見計らって、彼が好きな珈琲を買って待機するのが習慣。意外なことに彼も珈琲を黙って受け取るから、やめるにやめられなくなってしまった。近くのカフェは人気でいつも人で溢れかえり、レジ前は長蛇の列になっている。
「うーん、美味しい。いつもありがとう」
「いえ。あの、今までの会計3400円です」
「あぁ、ちょっと待ってね」
「すみません、冗談です」
彼が本当に財布を取り出そうとしたから慌てて制する。そして「何で飲んでくれるんですか」と訊ねた。
「そりゃあ、大好きな珈琲だし。由貴君がわざわざ持ってきてくれるなら断る理由がないし」
「もう恋人でもないのに?」
「恋人が買った珈琲しか飲んじゃいけないの?」
ああ言えばこう言う。だから饒舌な人は苦手だ。俺は自分勝手に振舞ってる子どもだから生理的に受け付けない。
やはり稔のことを差し引いても、彼と自分は合わない。そう思っていた。
「由貴君。家まで送ってくよ」
不自然な優しさとか、徐々に詰めてくる距離とか、その全てが気に入らないんだ。
やはり断る理由もないので、司の車の助手席に乗り込んだ。もう何回乗ったのか覚えてない白のスポーティセダン。リアスポまでつけてるから運転が好きなのか尋ねると案の定で、デートの際は必ず車で迎えに来ていた。
「由貴君、最近別れないでって言わなくなったね」
「だって、言ったら司さんは帰っちゃうじゃないですか」
「よく分かってるね。でも本当に別れた方がいいんだよ……俺といると不幸になるに決まってる」
ぱたっと会話が止まる。一体いつから、彼はこんなネガティブな人間になったのだろう。付き合った頃はとにかく前向きで、住む家や将来の目標を淀みなく語っていたのに。今では仕事をこなすことが精一杯に見える。既に限界を迎えているような、焦りや疲労を感じる。
「司さん、本当は何に困ってるんですか」
「何も困ってないよ?」
「じゃあ俺と一緒にいてください」
タイミングよく、言い切った後にラジオが切れた。




