第21話:心地良さに抱く想いに
「行かなきゃ、よかったぁ……」
夜中、ヨハンは自室のベッドに突っ伏しながら泣き言を吐いた。なんとか湯浴みまではできたけれど、恐怖で眠れなくなってしまったのだ。
目を閉じれば、女のにたりと笑った顔が浮かび、笑い声の幻聴が聞こえてくる。
自分がこれほどまでに怖がりなのだというのを忘れていた。嫌いなものはとことん避けていた弊害がここで出ている。
こうなった時は兄を叩き起こして眠くなるまで話に付き合ってもらっていたが、今は自分一人だ。
リューリアを起こして遊びに付き合ってもらおうにも、爆睡しているところを起こせば返り討ちにあってしまう。
なんとか寝ようとうつ伏せになったり、仰向けになったりして目をつぶってみるも、女の顔が浮かんで駄目だった。
とにかく、怖い。これをどう説明すればいいのか、ヨハンの語彙力では言葉が見つからず。
どうしようと悩みに悩んだ結果、ヨハンは自室を出た。恥も何も捨ててジークフリートに付き合ってもらおうと覚悟を決める。
それぐらいで覚悟とはと誰かに見られていれば、突っ込まれそではあるが、ヨハンにも恥かしさやプライドがあるのだ。
足早に三階の階段を上ってジークフリートの自室へ向かう。ノックするべきなのは頭ではわかっていたが、身体が追い付いていなかった。
がちゃっと音を立てて扉が開く。壁を埋める本棚に、窓際にあるベッドと内装は簡素なもので、散らかってはいない。
「どうした、少年」
物音に気付いてか、ジークフリートが身体を起こした。くわっと大きな欠伸をして、眠そうな眼を向けてくる。
覚悟を決めたとて、なんと言えばいいのかまでは考えていなかった。ヨハンは「えっと……」と視線を逸らす。
起こしてしまったのだから、説明するべきだ。覚悟を決めただろうとヨハンが自分に言い聞かせていると、ジークフリートは「あー、なるほど」と小さく呟く。
「少年、おいで」
ベッドのシーツをめくってジークフリートが呼ぶ。えっとヨハンが困惑していれば、「寝るんだろ」と言われた。
「眠れないから来たんだろう?」
一緒に寝ようか。ジークフリートの声が優しい。心情を察してくれたのだとヨハンは理解して、恥ずかしさを抱くも怖さには敵わず。彼のベッドへと潜り込んだ。
腕枕をしてくれるジークフリートにそっと抱きしめられる。ぽんぽんっと背中を叩かれて、子供を寝かすあやし方をされた。
それが嫌だとか、恥ずかしいとは感じなくて、不思議と落ち着ける。
子供の頃、兄に寝るまで付き合ってもらった時を思い出した。兄はいろんな話をしてくれて、こうやってあやしてくれていた。
「こういう時はいつもどうして乗り切っていたんだ?」
「兄が付き合ってくれてましたね」
ジークフリートは怖いのだろうとは口にしなかった。怖いという言葉だけでも恐怖を掻き立ててしまう場合がある。
その配慮からなのかもしれないが、ヨハンにとってありがたかった。
兄とくだらない話をしながら眠るまで。ヨハンはいろんな話をしたけれど、どれも兄が一方的だった気がすると小さく笑う。
「俺は兄の代わりかぁ」
「いや、その……」
「あぁ、別に気にしてはないから謝らんでいい。……話か、少年は何か知りたいことはあるか?」
俺の事でもいいし、王都の事でもいい。召喚士としてでも、大したことじゃなくても、なんでも。
ジークフリートに「今なら答えてもいい」と言われて、ヨハンはうーんと考えてみる。
「便利屋やってるのって、やっぱり専属は面倒くさいからですか?」
「それもあるが、性に合わなかったんだ」
誰かの指示に従うことも、部下を率いることも。自分にはそういった役回りが合わなかった。
こういった事は周囲に迷惑をかけてしまう。そうなる前に身を引いて、自分のペースでやれる職に就いた。
ジークフリートは「惜しい事をするとよく言われる」と笑う。辞めたことを全く気にしていないといったふうに。
「便利屋をやってるといろんな人と出会える。文句を言われることもあるが、感謝されることもある。王国勤務では見えないものだって目にすることができるから後悔はない」
見ることができないこと。ふと、母親を助けてくれたお礼をしようとした幼子の事を思い出した。あの子の「ありがとう」という笑顔はきっと王国勤務では見れない。
この事をジークフリートは言っていたのだな。ヨハンは納得した。次に「一人の方が気楽じゃないですか?」と聞いてみた。
自由気ままに自分のペースでやっていくならば、一人のほうがいいのではないか。人手がほしいと思う事はあるだろうけれど。
ヨハンの疑問にジークフリートは「一人でいたかったわけじゃない」と答える。
「一人だと手が足りないと思う事が多々あった。仕事ばかりに集中して自分の身の回りのことができていなかったからだ」
「自覚あったんですね」
「流石にあそこまで散らかせば自覚はする」
自覚したとしても便利屋というのは意外と仕事が来るもので、なかなか暇ができない。一人で片付けなど生活能力皆無な自分にはハードルが高かった。
一人でも従業員を雇えば仕事に余裕は出るはずだ。そうなれば、多少は身の回りのことができるかもしれないと、前々から考えていたのだとジークフリートは話す。
「でも、ちゃんとした人間じゃなくてはならない」
自分自身が名高い召喚士なのだから、人は見極めなければならない。媚びを売ってくるものは論外だ。実力がない人間も雇うことはできないので諦めてもらう。
そんな時にヨハンがやってきた。妖精種と契約を交わし、信頼関係を築いている様子に実力があるのは見て取れる。
自分の名前を知って驚きはするけれど、態度を変えることはしなくて。
「だから、雇うことにしたんだ」
「どうですか?」
「雇ったことを幸運に感じている」
仕事の負担を減らすだけでよかったというのに、ヨハンは世話を焼いてくれた。小言は言うけれど怒るほどではなくて、優しくて。自分のできる範囲のことをやってくれている。
仕事で役に立とうと無茶をすることはしないが、やる気は見せてくれるので安心できた。これほどまでによくできた人間に出会えることはそうそうないだろう。
ヨハンはジークフリートに「俺は運が良いみたいだな」と頭を撫でられる。
「おまけに好みのタイプですもんね」
「そうだ。だから、一つ言いたいことがある」
言いたいこととは。ヨハンは顔を上げてジークフリートを見た。彼はなんとも言えない表情をしていた。困っているような、悩ましいような。
「好みのタイプだと公言している男の部屋に夜、たずねるのは危ない」
「……そうですね」
ごもっともな注意だった。好みのタイプだと公言し、嫁を否定しない男の部屋を夜にたずねるのもだが、ベッドに入るのも本当は良くないことだ。
これで襲われても自業自得でしかなく、逆に叱られてしまう。
忘れていたわけではないのだが、ジークフリートはそんな事をするとは思わなかったのだ。と、言ってみれば、「その信頼が重い」と返される。
「いや、その信頼は嬉しい。嬉しい事だが、裏切れないことが重い」
「なんですか、その言い方は」
「俺は少年が嫌がることはしない。しないが、危機感だけは持ってくれ」
危機感を持つというのはその通り過ぎて言い返せない。次からは気を付けていこうと思うけれど、怖くて眠れないとなる日はいつ訪れるか分からないわけで。
「眠れなくなったらどうするんですか」
「……あー、うん。分かった」
じとりとヨハンが見つめれば、ジークフリートが「いつでも来い」と抱きしめてくる。優しくそっと。
心地が良い。温かくて、ほっと安心できる。兄の時とは違った感覚が胸を満たしたいく。
(なんだろう、この感覚)
この感覚に意味がある。けれど、言葉にできなくて。ヨハンは考えてみるけれど、背中を擦られてあやされていくうちに頭がぼやりとしてきてしまった。
ジークフリートなりの恐怖を和らげて寝かしつける方法にヨハンはだんだんと睡魔がやってくる。
瞼が重くなって。あぁ、まだ他にも聞きたいことがあるのに。
「あと、どうして、名前を呼んでくれないんですか?」
最後に一つ。そう思って問えば、ジークフリートは「どうしてだろうな」と呟いた。
今なら答えてもいいんじゃないのか。むぅっとヨハンは頬を膨らますも、意識が薄れていく。睡魔にあらがえそうになくて――
「おやすみ、ヨハン」
微かに呼ばれた名前に、夢か現か。ヨハンは眠りについた。




