鎮妖府①
暗闇の中で、目を覚ました。
蝋燭の灯りが頼りの薄暗い空間。
揺れる炎の向こうから、人影が近づいてくる。
「よお、起きたか」
——さっき、ぶん殴ってきた奴だ。
「ッ……なんなんだよ……」
思わず身を起こそうとして、身体が引き戻された。
——動かない。
両腕が、縄で完全に縛られている。
「落ち着けよ。話が始まらんねえ」
話?
さっきは問答無用で殴ってきたくせに。
だが、この状況で抵抗しても意味はない。
一度、話を聞くしかなかった。
「お前、名前は」
「……九条……斎」
一瞬、間を置いてから答える。
「……なるほどな。俺は平塚國光だ。呼び方は好きにしろ」
……なんだ。
さっきより、明らかに口調が柔らかい。
「九条。現在、お前は——処分の対象になっている」
……は?
あまりに唐突な言葉に、頭が追いつかなかった。
「……なんで、」
声が荒れる。
「落ち着け。だから、その理由を順番に話す」
平塚は、ため息交じりに言った。
「お前、あの場所で何をしていた」
あの場所……池の近く。
散歩、なんて言えるわけがない。
「……」
言葉に詰まる。
「……返事」
——思わず、そう口にしていた。
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
確信はない。
だが、確証がある。
あの瞬間。
あの声に答えた時、何かが決定的に変わった。
「そうだ」
平塚が、低く頷く。
「ただな。お前がしたのは“返事”じゃねえ」
「……はぁ?」
何が違う。
返事も約束も、似たようなもんだろ。
「契りだ」
短く、断言する。
「——しかも、最悪のな」
身構える。
あの時の声――その正体が、今ここで明かされるかもしれない。
「酒呑童子。三大妖怪の一角だ」
平塚の声は、淡々としていた。
「畏れられ、妬まれ、恨まれ続けた鬼。その酒呑童子が――お前に憑依している」
あまりに現実離れした言葉に、思考が一瞬、浮いた。
……酒呑童子。
聞いたことはある。
「なんで、それが俺の中にあるってわかるんだ」
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
平塚は、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「さっき言っただろ。それが“契り”だ」
契り。
返事と、何が違う。
理解は追いつかない。
だが、否定する根拠もなかった。
「……で、処分って何だよ」
視線を逸らさずに言う。
「このまま、俺を殺すのか?」
今できる精一杯の強がりだった。
――酒呑童子は、黙ったままだ。
さっきまで喚いていたくせに。
「いや。殺さねえ」
即答だった。
「正確には、殺せねえ」
平塚は頭を掻きながら続ける。
「三大妖怪が人間に取り憑いた前例はない。お前が死ねば、酒呑童子が暴走するか、最悪復活する」
……なるほど。
「だから、お前を殺すって処分は取れなかった」
「じゃあ……処分って、なんだよ」
平塚は少しだけ、面倒そうに息を吐く。
「選択肢は二つだ」
「一つ。お前を完全に封印する。光も音もなく、何もできず、何も感じないまま一生終わる」
喉が鳴った。
「もう一つは――」
一拍置いて。
「俺たちの“武器”として生きる」
……結局、地獄じゃねえか。
「武器一択だろ」
口が、勝手に動いた。
平塚は少し目を細める。
「そう言うと思った。ただし――」
視線が鋭くなる。
「使えねえと判断したら、即封印だ。情は挟まねえ」
それだけ言って、立ち上がった。
次の瞬間。
腕に巻き付いていたはずの縄が、音もなく解け落ちる。
「来い」
背を向けたまま、平塚が言う。
「お前に、会わせたい奴がいる」




