月夜に轟く鬼神の声
月光が木々の隙間から差し込む。それは、どこはかとなく導くように照らされている。
「綺麗だな、」
思わず呟いてしまう。
誰もいないここでなら詩を刻む昔の日本人の気持ちはわからなくもない。ただ、俺に詩を作る才能がないから一人でも詠むことができない。
最近は地震だ火災だと騒がれているが、この山だけは別世界のように静かだった。
写真や絵画でしか見れないような光を頼りに奥に進んでいく。これまで、なんどこの道を通ってきたかわからない。ただ、これからも通ることは変わらない。
あれ、こんなとこに池なんてあったか?
池には月が描き写されたように映っていて、現実から切り取られた場所のような違和感があった。
――ぐ、ぐるる……
低く湿った唸りが、四方の闇から滲み出てくる。
視線を動かした瞬間、山そのものがこちらを見ているような感覚に背筋が粟立った。
―――ズ、……ズル……ッ
岩場の向こうで、何かが地を擦る。
風で木々が揺れているのかと思った。
だが、次の瞬間。
―――ギ、……ギィ……
喉の奥で潰したような、
生き物とも言い切れない呻きが重なって聞こえる。
「誰か、いるのか」
思わず声を出すが、なにも答えは返ってこない。
代わりに、気配が増えていく。
恐怖で足がすくみそうになっている。
その瞬間、周囲の呻きが一斉に止んだ。
「……おい、助けろ。」
声が聞こえたが、それは後ろでも前でもない。
頭に直接入るように声が聞こえた。
「誰だよ…」
精一杯の強がりを見せる。
ただ、声の主はなにも感じないようにまた語り出す。
「選べ
受け入れるか、見捨てるか。」
周囲の呻きが、一斉に強くなる。
―――ズ、ズ……
―――ギィィ……
逃げ場はない。
本能が理解していた。
どうせなら、だ。
「わかった、助ける…」
答えた瞬間、体の中に何かが入り込んだような感覚が走る。
「いい返事だ」
ただ、周囲の気配が確実に距離を詰めてきた。
ゆっくりと目の前に影が現れた。
そして、月光に照らされて影から姿を現す。
「なんだよ……これ」
さっき助けるって言ったのは、失敗だったか。
いや、そもそも――
これは、現実なのか。
思考だけが先に走って、足が動かない。
それらは、這いずるように近づいてくる。
四肢の形は曖昧で、肉と影が混ざった塊。
——終わった。
静かな夜に、唐突に声が落ちた。
「……助けてやる」
さっきの声だ。
そう認識した瞬間、腕が勝手に振り上げられる。
次の瞬間。
化け物どもの体が燃える。
いや、燃えているように見えただけだ。
実際には、赤黒い何かが内側から噴き上がり、形を保てなくなっただけ。
悲鳴はない。
断末魔すら上がらず、肉の塊は崩れ落ち、地面に黒い染みを残して消えた。
……静かだ。
さっきまで満ちていた気配が、嘘のように消えている。
耳鳴りだけが残り、心臓の音がやけに大きく聞こえた。
「……終わったのか?」
声が震えているのが、自分でもわかった。
そのとき、違和感に気づく。
右腕が――重い。
いや、重いというより、感覚がずれている。
自分の腕なのに、自分のものじゃない。
恐る恐る視線を落とす。
そこにあったのは、
人の腕の形をしていながら、人のものとは思えないものだった。
皮膚の下で、赤黒い筋が脈打っている。
まるで、別の生き物が中にいるみたいに。
「……おい」
喉がひくりと鳴る。
「これ、なんだよ」
『ふん。随分と腰の引けた声だな』
笑っている。
確実に、頭の中で。
『安心しろ。今のは雑魚だ。
あんな出来損ない、酒の肴にもならん』
ぞっとした。
助けてくれた存在が、人間じゃない化け物だと本能で理解した。
風が吹く。
足元には、何かがいた痕跡だけが残っている。
夢じゃない。
俺の腕は、まだ熱を帯びている。
『さて、人間、助けると言ったな』
逃げられない。
そう直感した瞬間だった。




