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断罪された悪役令嬢は、氷竜の騎士と新たな建国譚を紡ぐ

作者: kuni
掲載日:2025/10/11

シャンデリアの無数の雫が降り注ぐ、王立学園の大広間。卒業を祝うワルツの甘い調べと、貴族たちの華やかな談笑が溶け合う夜。その幸福な空間を、氷の刃のような一言が切り裂いた。


「イザベラ・フォン・ヴァイスハイト公爵令嬢! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」


声の主は、私の婚約者、アルフォンス・ルキウス・フォン・エルダリア王太子。この国の太陽と謳われる彼の金色の髪は怒りに逆立ち、空色の瞳は私――彼の隣に立つべきはずの女を、まるで汚物でも見るかのように射抜いていた。彼の腕の中には、聖女と崇められる男爵令嬢リリアンが、嵐の中の小鳥のようにか弱く寄り添っている。


ああ、ついに始まってしまった。運命の幕が、残酷なまでにシナリオ通りに上がってしまったのだ。


一週間前、高熱に浮かされた私は、唐突にすべてを思い出した。ここは、前世で私が熱中した乙女ゲーム『星降る夜のシンフォニア』の世界。そして私は、ヒロインを虐げ、その輝きを引き立てるためだけに存在する、哀れで愚かな悪役令嬢イザベラに転生しているのだと。記憶の濁流は、私の意識を容赦なく飲み込んだ。ゲームの知識と、イザベラとして生きてきた十七年間の現実が混じり合い、私は三日三晩、自室のベッドから起き上がれなかった。


思い返すのは、これまでの自分の振る舞い。常に眉間に皺を寄せ、リリアンが現れてからはアルフォンスに執拗に付きまとい、棘のある言葉を投げつけてきた。それは本当に、ゲームのシナリオによる強制力だったのだろうか。それとも、王太子妃という重圧と孤独が生み出した、私自身の未熟さだったのか。答えは出なかったが、どちらにせよ結末は同じ。この場で断罪され、すべてを奪われ、国外へ追放される。それが「悪役令嬢イザベラ」に定められた、ただ一つのエンディング。


「まあ、アルフォンス殿下! なんてことを……! イザベラ様は、殿下の未来の妃となるお方ですのに……!」

リリアンが扇で口元を隠し、潤んだ瞳で私を見上げる。その瞳の奥深く、私にしか見えない場所で、計算され尽くした勝利の光が昏く煌めいている。彼女こそが、この物語の真の主役。そして私は、彼女の純潔と悲劇を際立たせるための、醜悪な舞台装置に過ぎないのだ。


アルフォンスは、私の返答など求めていないとばかりに、リリアンの肩を力強く抱き寄せる。

「リリアン、もうお前を傷つけさせはしない。イザベラ! 貴様の底意地の悪い嫉妬心からくる陰湿な嫌がらせの数々……もう我慢の限界だ! リリアンの教科書をズタズタに引き裂き、夜会のドレスを汚泥で汚し、あげくは彼女を階段から突き落とそうとした! その証拠はすべて揃っているのだぞ!」


アルフォンスが罪状を叫ぶたびに、会場のざわめきは明確な非難の囁きへと変わっていく。「やはり噂は本当だったのか」「公爵令嬢ともあろう方が」「聖女様に嫉妬なさるなんて、見苦しい」。四方八方から突き刺さる視線の槍。味方はどこにもいない。これが、悪役令嬢に与えられた舞台。


ゲームの中のイザベラは、ここでプライドをずたずたにされ、逆上した。「わたくしがやるはずないでしょう!」とヒステリックに叫び散らし、その取り乱した姿が、さらなる罪の証拠として人々の目に焼き付いてしまうのだ。


けれど、今の私は違う。絶望の底で三日を過ごした後、私は侍女のアンナにすべてを打ち明けた。震える声で語られる荒唐無稽な話を、しかし彼女はただ黙って聞き、そして涙を浮かべながら私の手を取ってこう言ったのだ。「お嬢様が、そのようなことをなさるはずがございません。アンナは、ずっとお側におりましたから存じております」。その一言が、私の心を絶望の淵から引き上げてくれた。残された四日間、私はアンナと、そして父であるヴァイスハイト公爵の影の力も借りて、ただ指をくわえて破滅を待つことをやめた。ゲームのシナリオなど、この手でズタズタに引き裂いてみせると、固く誓ったのだ。


私はゆっくりと背筋を伸ばし、嵐の中心で凪いだ湖面のように、静かな瞳でアルフォンスを見据えた。

「殿下。いくつか、ご確認させていただいてもよろしいでしょうか」

「……なんだと? 今更、見苦しい言い訳をするつもりか!」

「いいえ、殿下。わたくしが申し上げたいのは、言い訳ではございません。ただ、あまりにも不可解な点が多すぎるのです。未来の国母となるべき王太子妃候補のわたくしが、そのような稚拙で短絡的な罪を犯すとお思いですか? 事実の確認こそが、王族たるものの務めと存じます」


凛とした、しかしどこまでも冷静な声。それは、ヒステリックに叫ぶはずの悪役令嬢のイメージとはかけ離れていた。予想外の反応に、アルフォンスが一瞬言葉に詰まる。会場のざわめきも、わずかに潮が引くように静まった。


私はアンナに目配せをし、彼女から分厚い書類の束を受け取った。


「まず、リリアン様の教科書が破られていたとされる日の件。その時間、わたくしは王妃陛下とのお茶会に招かれておりました。こちらに、王妃様直筆のサインが入った、当日の歓談内容の詳細な記録がございます。わたくしが席を立ったのは、ほんのわずかな時間もございません」


一枚の羊皮紙をひらりと示す。そこに記された王妃の気品ある署名に、会場の誰もが息を呑んだ。


「次に、彼女のドレスを汚したとされる件。その日、わたくしが使った絵の具は、王室御用達の工房から取り寄せたもので、特殊な鉱物顔料が使われております。しかし、ドレスに付着していたシミをわたくしの侍女が密かに回収し、魔導師ギルドに鑑定を依頼したところ、安価な市場の植物性絵の具であることが判明いたしました。こちらがその鑑定書です。ちなみに、その絵の具はリリアン様のご実家に出入りしている商人が扱っているものと一致するそうですわ」


立て続けに示される動かぬ証拠に、アルフォンスの顔から血の気が引いていく。リリアンの可憐な顔も、見る見るうちに強張っていく。


「そして、極めつけは……リリアン様を階段から突き落とそうとしたとされる件。確かにあの日、わたくしは階段の上におりました。ですが、それは温室へ向かう途中、貴方様がたお二人が、人目を忍んで密会なさっているのを目撃してしまったから。あまりの衝撃に動けずにいたわたくしに気づいたリリアン様が、慌てて駆け寄ろうとして、ご自分で足を踏み外された……というのが真相ではございませんこと?」


私の言葉に、リリアンがわなわなと震えだす。

「そ、そんな……! わたくしを嘘つきだとおっしゃるのですか!? ひどいわ、アルフォンス様!」

「ええ、そうですわ」


私は聖女の仮面を被った少女に、公爵令嬢の完璧な笑みを浮かべて言い放った。そして、決定的な証拠を突きつける。

「その一部始終を、偶然にも風紀委員の数名が目撃しておりました。こちらが彼らの署名入りの証言書です。わたくしが口止めしたにもかかわらず、彼らは正義感から筆を取ってくださったのですわ」


分厚い証言書の束を高く掲げると、会場は水を打ったように静まり返った。アルフォンスは呆然と私とリリアンを交互に見ている。その瞳にようやく、疑念の色が浮かび始めていた。


「アルフォンス殿下。貴方様は、わたくしという婚約者がいながら、リリアン様と逢瀬を重ねていらっしゃった。そして、彼女の涙ながらの訴えだけを鵜呑みにし、ろくな裏付け調査もせずに、この公衆の面前でわたくしを断罪なさった。未来の国王として、あまりに軽率で、愚かではありませんこと?」

「なっ……! き、貴様……!」

「皆様、お聞きください!」私は声を張り上げ、会場の貴族たちに語りかけた。「この国を支える貴族たる皆様に問います。真実とは、涙の量で決まるのでしょうか? 声の大きさで決まるのでしょうか? いいえ、断じて違います。真実とは、揺るぎない証拠と論理の先にのみ存在するのです!」


私の言葉に、何人かの貴族がはっとしたように顔を上げ、頷いた。空気は、確実に変わり始めていた。


「わたくしは、ヴァイスハイト公爵家の人間としての誇りがございます。未来の王妃として、貴方様を、そしてこの国を支える覚悟もございました。しかし、真実を見抜く目を持たず、私情に流され、婚約者への敬意すら払えぬような方に、この国の未来を託すことはできません」


私はアルフォンスに向かって、深く、深く、最後の礼を尽くしてカーテシーをした。


「よって、このイザベラ・フォン・ヴァイスハイトより、アルフォンス王太子殿下との婚約を、破棄させていただきます。これまで、ありがとうございました」


自ら叩きつけた婚約破棄の言葉に、会場は今度こそ大混乱に陥った。アルフォンスは「ありえない」と呟いたまま立ち尽くし、追い詰められたリリアンはついに仮面をかなぐり捨てた。

「嘘よ! 全部嘘! この女が、あたしを陥れようとしてるのよ! アルフォンス様、騙されないで!」

その下品な叫び声に、誰もが眉をひそめた。


その時だった。重厚な扉が開き、国王陛下が威厳に満ちた足取りで入室された。そして、私の隣に立つと、その場にいる者すべてに聞こえるよう、朗々と宣言された。


「今宵の騒動、すべて聞き届けた。ヴァイスハイト公爵からの進言を受け、調査も済んでおる。アルフォンス、次期国王として、あまりに情けない振る舞いだ。お前には王位継承権の剥奪と、一年間の謹慎を命じる。また、男爵令嬢リリアンは、王太子を誑かし、公爵家を陥れようとした大罪人として、身柄を拘束せよ!」


衛兵たちが、泣き叫び悪態をつくリリアンを捕らえ、引きずっていく。その哀れな姿に、もはや同情を寄せる者はいなかった。


騒動が収束し、人々がまだ呆然としている中、一人の騎士が私の前に進み出て、静かに膝をついた。黒曜石のような髪と、凍てつく冬空を思わせる青い瞳。北の辺境を守る「氷竜騎士団」の団長、カイゼル・フォン・シュヴァルツ。彼はゲームでは攻略対象外の、口数の少ない無骨な騎士だった。しかし、私は知っている。数年前、学園で「冷たい女」と陰口を叩かれていた私に、「他人の評価など気にするな。貴女の仕事ぶりは、見ている者が見ている」と、ぶっきらぼうに声をかけてくれた、その優しさを。


「イザベラ様。……いや、ヴァイスハイト公爵令嬢。貴女の潔さと気高さに、心より感服いたしました」

「カイゼル様……どうして」

「貴女が王太子妃の仮面の下で、どれほど孤独に耐えてこられたか、俺はずっと見ていた。誰も気づかぬところで領地のために心を砕き、国の未来を憂いていたことを、俺は知っている」


カイゼルの真摯な瞳が、まっすぐに私を射抜く。私はこの一週間、父に手紙を書き、ヴァイスハイト公爵領の経営に関するいくつかの提案書も送ってある。前世の知識を活かした、寒冷地農業の改革案、そして領内に眠る魔石鉱脈の新たな活用法。王太子妃の座を失っても、私にはやるべきことがある。


「もし、行き先がお決まりでないのでしたら、俺と共に北の地へ来てはいただけないだろうか」

「北の地……ですか?」

「そうだ。あの地は、冬は厳しく、決して豊かとは言えない。だが、貴女のような聡明な指導者がいれば、必ずや民は救われる。もう偽りの笑みを浮かべる必要はない。北の地で、貴女自身の物語を生きてほしい。その隣に、俺を置いてはくれないだろうか」


その言葉は、どんな甘い愛の囁きよりも、私の心を震わせた。王太子の隣で窮屈な妃教育を受けるよりも、愛のない結婚生活を送るよりも、ずっと、ずっと魅力的で、輝かしい未来に思えた。


カイゼルは立ち上がると、そっと私の手を取った。その手は、剣を握る騎士らしく硬く、そして驚くほど温かかった。


私は、こぼれ落ちそうになる涙をぐっとこらえ、心の底からの、本当の笑みを浮かべて頷いた。


「はい、喜んで。カイゼル様」


私たちが手を取り合って会場を去ろうとすると、モーセの海割りのように貴族たちが道を開けた。その視線に、もはや侮蔑の色はない。あるのは畏敬と、少しの羨望。呆然と立ち尽くすアルフォンスが、カイゼルの隣で晴れやかな表情を浮かべる私の姿を、信じられないもののように見つめていた。


こうして、悪役令嬢イザベラの物語は、断罪の夜に一度幕を閉じた。

そして、氷竜の騎士カイゼルと共に、北の大地で新たな建国譚を紡ぎ始める。それは、誰にも予想できなかった、心躍る未来の始まりだった。


後日、王位継承権を剥奪されたアルフォンスが、北の地が驚くべき発展を遂げているという噂を耳にするたびに、私の幻影を見ては後悔に苛まれていると聞いた。また、偽りの聖女リリアンは、辺境の修道院で一生を労働に捧げることになったという。


けれど、北へ向かう馬車の中で、新しい領地改革案についてカイゼルと熱心に語り合う私にとって、それはもう遠い世界の物語でしかなかった。私の隣には、誰よりも信頼できる騎士がいて、私たちの前には、どこまでも広がる希望に満ちた未来が待っているのだから。

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