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さよなら~キャッチ~

01■ファイティング・トリガー■


今季節は大型連休を終え、梅雨を迎えるちょっと前。桜の花は当の昔に散り、緑の葉をいっぱいに茂らせている。そんな青空の下、とある高校のグラウンドでは球児たちが練習に励む声が響き渡っていた。


「おらぁー!ダッシュがおせぇぞっ!もっとバッターの動きを見ろっ!」

「おうっ、もう一球こいっ!」

「おらっ!」

「ぐわっ、てめぇ!いくらなんでも今のはショートの守備範囲だろう!」

「あっ、すまん。打ち損ねた。今度はちゃんとやる。どりゃ!」

「こなくそっ!おらっ、ファースト!」

「おっしゃー!今のはプロ並みの捌き方だったぜ!」

「たりめぇーだっ!俺を誰だと思っているんだ!」

「去年、エラーで試合に負けた張本人。」

「ぐわっ、おっ、俺の最大の汚点を思い出さすなーっ!」


グラウンドでは選手たちが内野の守備練習をしている。今のはサードを担当している選手の声だ。外野では今年入ったばかりの1年生たちが走りこみをしていた。そしてグラウンド脇ではピッチャーたちがキャッチャー相手に投げ込みをしている。


「次はセカンドだ!くらえっ!」

「うおおおっ、あ、入ってる?」

「入っているじゃねぇ!とっととファーストに投げろっ!」

「ほいっと。サードと違ってこっちはファーストに近いんだからぴりぴりするなよ。」

「そうだよキャプテン。浩二は焦らせると大暴投するんだから落ち着いて投げさせた方がいいって。」

セカンドからの送球を受けたファーストの選手が、ボールをバッターボックスに返しながらそこでバットを振っているキャプテンに忠告した。


「お前ら全然緊張感がないなぁ。暴投をしないようにする為に練習しているんだろうが。ただただボール遊びをしているんじゃねぇぞ!」

「出た。キャプテンのマネージャー譲りの大正論。」

「次、ファースト。セカンドはちゃんとカバーに入れよ!」

「おうっ、ばっちこいっ!」

「おらっ!」

「ちょろいぜ!ほいっ!」

「馬鹿やろうっ!セカンドが塁に着く前に投げるなっ!ライトもバックアップがおせーっ!」

キャプテンが注意した通り、誰もいない1塁へ送られたボールは虚しくライトの外野へと転がってゆく。


「あっ、すまん。でも今のは走者へタッチで済ますコースじゃないのか?」

「うるせーっ!御託を並べる暇があるならちゃんと処理しろっ!もう一球いくぞっ!」

「おっしゃー!きやがれっ!」

しかし、キャプテンが打とうとしたその時、ベンチにいたマネージャーの女の子から声が掛かった。


「キャプテーン!一年生の走り込みが終わったから場所変わってぇ。」

「おっ、早いな。うんっ、今年の1年は張り切っているなぁ。もしかして夏の予選の時は、お前たちの背番号、取られるんじゃないか?」

「いやいや、そこは年功序列でお願いします。」

キャプテンの声にサードを担当している選手がおちゃらけて応える。その返事にみんなが笑った。


その後、一年生へ場所を譲る為に内野の選手たちはサード側のグラウンド脇に集まる。次は1年生たちが守備練習をする番だ。外野にいた選手たちはそのまま、こぼれたボールを処理する為に残っている。


「よろしくお願いします!」

内野の守備についた一年生がキャプテンに大きな声で挨拶をする。


「おっしゃー!気合入れていけよっ!おりゃーっ!」

「はっ!ファースト!」

「おっし!次だ!」

「こなくそっ!」

「おおっ、捕ったか!だが本番の打球はこんなもんじゃねぇぞ!自惚れるなよ!」

「はいっ!」

難しい打球を処理できた事により1年生の顔に笑みが浮かんだが、それをキャプテンはすぐさま諌める。その声に1年生もまた真剣な顔に戻って次の球を待ち構えた。


そんな1年生たちの守備練習を、打撃練習用のネットを用意しながらレギュラー選手たちが見ていた。


「今のキャプテンの言葉ってさ、自分の打球が他校より駄目って言っているように聞こえるんだけど・・。」

「本番の他校の打球はこんなもんじゃねぇぞ!万年予選落ちの俺なんかの打球が捕れたくらいで天狗になるな!・・てか?」

「う~んっ、素敵な自虐ギャグだ。キャプテンは大人だなぁ。」


カキーン。


その時、キャプテンの打った球がお喋りをしていたレギュラーたちの方に飛んだ。


「うわっ、あぶねぇっ!」

「あっ、すまん。打ち損ねた。」

「嘘付け!絶対狙っただろう!」

「高校球児足る者、常時戦場だ。グラウンドにいる時は気を抜くんじゃねぇ。1年っ!お前たちも忘れるんじゃねぇぞ!」

「はいっ!」

キャプテンの言葉に1年生たちが元気に応える。しかし、2年生以上の選手たちはいまいち覇気が無かった。


「かぁー、初々しいねぇ。昔は俺もあんなだったなぁ。」

「嘘付け、お前は入った当初からどうやってサボるかばかり考えていたじゃねぇか。」

「あーっ、それはお前たちを油断させて出し抜く手立てだよ。裏では血の滲む練習をしていたんだ。」

「例えば?」

「カラオケで声出しの練習をしたり、シューティングゲームで瞬発力と瞬時の判断力をやしなったりさ。」

「その程度でレギュラーになれるんだからウチの野球部の底がみえるな。」

「ビバ、少子化!今なら3年がんばれば誰でもレギュラーになれます。」

「和馬ぁ~、明日からこいつの背番号お前が付けていいそうだぞぉ。」

「あっ、うそ。嘘でーす。俺はがんばったから!和馬の百倍はがんばったから!」

「それこそ嘘だ。和馬はがんばり過ぎて肩を壊したんだからな。お前は棚ボタだろ。」

「運こそ全て。これぞグラウンドの上にも3年だよ。」


何とも人が聞いたらハラハラしそうな内容だが、それも彼らの絆なのだろう。判っているからこそ言える軽口である。実際、和馬と呼ばれた選手も「お前も頑張って体を壊せ。それが後に続く者たちの願いだからな。」などと言って混ぜかいしていた。


「おらぁ、そこ!喋ってばかりいないで練習しろ!本当にレギュラーから外すぞ!」

1年生への守備練習を指導しながらもキャプテンの目はレギュラーたちにも注がれている。何とも忙しい役目だ。


「うひょ~、おっかねぇ。どれ、そいじゃやるか。お前から先にどうぞ。」

「おうっ、今日もホームラン級の打球を放ってやるぜ!どりゃ!」

打撃練習を先に譲られた選手は、そう言って大振りするも打球は捕球ネットの下に突き刺さる。


「お前のホームランエリアってちっちぇーな。」

「うっ、うるせーっ!今のは練習だ!次こそ本気だす!」


「試合では次はないけどな。」

「くっ、こんにゃろーっ!」


「おおっ、会心の1本だな。でも多分ファールだ。左に寄り過ぎだよ。」

「お前のトスが悪いんだろうが!もっと真ん中に放りやがれ!」


「はいはい、ほれ。」

「うりゃーっ!」


「・・お前、試合では吠えるなよ。こっちがはずかしくなるわ。」

バッターにトスを上げている選手は、バッターに空振りされ地面を虚しく転がる球を見ながら呆れた。


「大丈夫だ。野球はツーストライクまではウォームアップよ。次を打てばノープログラム。」

「プログラムって・・、英語の先生のしかめっ面が目に浮かぶぜ。」

そうだね、彼は多分ノープロブレムと言いたかったんだろうけど、彼らって野球馬鹿みたいだし仕方ないか。


その後、前半の練習を終えた選手たちは休憩となった。

「はい、お疲れ様。ちゃんと水分を取ってね。でも飲み過ぎは駄目よ。」

マネージャーの女の子が選手たちにミネラル成分を溶かし込んであるペットボトルを配り歩く。


「うっす!ありがとうございます。」

「あざっす。」

ペットボトルを渡された1年生たちはそれぞれ元気にマネージャーへお礼を言う。でも、選手たちの返事はそれぞれである。1年生たちはいちおう丁寧語で返事をする。まぁ、あれが丁寧語なのかは甚だ疑問ではあるが、選手たちの中では気持ちの問題なのだろう。


「はい、キャプテン。」

「サンキュー、マネージャー。」


「あれ?マネージャー、俺たちの分は?」

「真面目に練習しない人の分はありません。でも反省すればクーラーボックスから自分で取って来るのはやぶさかではありません。」


「うわっ、ウチのマネージャーはきびしー!」

「あっ、何だか俺、頭がくらくらしてきた。これって熱中症なんじゃね?」

「おおっ、すごいぞ、名演技だ。マネージャー!是非ともこの哀れな玉川めに水のお恵みを!」

「塩でも舐めていなさい。」

あからさまにふざけてくる選手にマネージャーの言葉は冷たい。


「くぅ~ん・・、重ね重ねキツイね。ウチのマネージャーは。」

「甘えは、いざという時の心の油断に繋がるのよ。一球入魂!守備範囲に飛んできたボールは爆弾だと思いなさいっ!」


「いや、その例えはおかしくね?その場合、普通は逃げるよ?」

「昔、戦地に赴いたとある野球選手は敵が投げてきた手榴弾を投げ返したと聞いた事があります!成せばなるっ!」

とても今時の女子高生が知っている知識とは思えない事をマネージャーは言ってきた。でもこれは野球の歴史資料を読んでいれば結構有名な逸話である。まぁ、本当か嘘かはこの際深く考えてはいけない。


「ウチの野球部って実は軍隊だったのか・・。」

「気構えの問題です。グラウントでは常に真剣勝負よ!」


「う~んっ、昭和の匂いがする名台詞だねぇ。」

「昭和かぁ~。平成生まれの俺たちには遠い過去だよなぁ。」


「安心しろ、もう直ぐ俺たちも次の元号生まれに懐かしまれるから。」

「平成生まれって、昭和生まれの人たちに対してアドバンテージだったらしいのに・・。なんか後期生まれの俺たちって割を喰ってないか?もうちょっと続けて欲しかったよな。」


「お前の都合なんか考慮してられるか!逆に平成最後の高校球児を誇れよ。」

「いや、次の夏の大会は新元号だからその言い方はおかしいぞ。」


「あれ?そうなのか?元号って1月1日に変わるもんなんじゃないのか?」

「池尻、歴史の先生の前では言うなよ。多分泣かれるぞ。」


「えーっ、なんで?」

「いや、判らないんならいいんだ・・。気にするな。」

相手が冗談を言っていると思って混ぜ介したが、実は本当に判っていなかった事に、問い掛けた選手は呆れて話を止める。そして別の話題に切り替えた。


「しかし、ウチの野球設備ってしょぼいよな。」

「ああっ、グラウンドもサッカー部と日替わりだしな。」


「やっぱりさぁ、設備もそうだけどコーチの指導力が違うと思うんだよね。」

「そうだよなぁ、甲子園常連高って監督も含めコーチ陣が充実しているもんな。」


「ウチは基本OBが時々来るくらいだしなぁ。しかも大抵は威張り散らすだけだし。」

「堀内先輩はそんな事ないぞ!しかもいつも差し入れを持って来てくれるじゃないかっ!」


「あーっそうだな。みんなが堀内先輩みたいだったらいいのに・・。清原の野郎はダンプにでも轢かれて死ねばいいのに。」

「清原先輩は我が高唯一のベスト4進出年度組だからなぁ。自慢話がうぜぇんだよな。」


「決勝ならともかく、ベスト4で自慢されても納得できねぇよ。しかも、自分はホームランを打ったのに他の選手が続かなかったと文句しか言わないし。」

「指導だって、気合だーっ!としか言わないしな。さすがは昭和生まれだぜ。」

3年の選手たちはOBの中でも一番煙炊かれている先輩を肴に愚痴を言って発散し始めた。さすがに当の本人の前では言えないが、居なければこの有様だ。やはり後輩に尊敬されるには結果だけではなく日頃の行いと気遣いが必要なのかも知れない。


「あなたたちっ!いい訳なんかするんじゃないのっ!試合はコーチがするんじゃない。あなたたちがするんでしょう!」

マネージャーはかなり昔に流行った映画のフレーズをもじって部員たちにはっぱをかける。


「うわっ、例えが古過ぎるぅ。」

ひとりの部員がそんなマネージャーの言葉に突っ込みを入れるとみんなが笑った。


こうしたマネージャーのお説教も、選手たちには練習の合間の息抜きとなっていた。選手たちがボケてマネージャーが突っ込む。そして笑いの後にはまた練習が待っているのだ。そんな彼らの共通目標が甲子園だった。

高校球児足る者、甲子園へ出場するのは夢である。女子は規約により選手としては出場できないが、仲間として苦楽を共にする事は出来る。そしてそんなみんなの中で一番甲子園へ行く事を渇望していたのはマネージャーだった。しかし翌々日、そんな彼らに激震が走る事件がおこった。


その日、マネージャーは中々グラウンドに現れなかった。


「おいっ、芳賀。マネージャー、今日は休みか?」

キャプテンに声を掛けられた芳賀はマネージャーと同じクラスである。


「いや、来てましたけど?あっ、でも放課後職員室に呼ばれていたな。」

「職員室に?なんだ?とうとう野球部内でのマネージャーのスパルタが発覚したのか?」

「えっ、それじゃ今期の俺たちの甲子園は自粛じゃんっ!いや~、優しいな、ウチのマネージャーは。夏休みはどっか遊びに行けるぜっ!」

「おおっ、今期こそはいいとこまで行けそうだったのになぁ、残念だ。でも仕方ないな。昨今、部内の厳しすぎる指導は新聞のいい餌食だ。あっ、もしかしてテレビインタビューとか来ちゃうのかな?やべっ、俺床屋で髪を整えなくちゃ。」

「お前のその5厘頭のどこを整えればいいんだよ!」

キャプテンの突っ込みに他の選手たちが笑う。


「で、呼ばれた理由は判らないのか?」

一通り笑うとキャプテンは真顔で芳賀に問い直した。

「ん~、別に何も聞いていないなぁ。俺たちはまだ2年だから進路の話は早いし、そもそもマネージャーが何かやらかす訳ないからなぁ。」

「そうか・・、なら大した事ではないな。いや、待て!お前らが何かやらかしたんじゃないだろうな!」

キャプテンは他の選手の方を向いて問い質した。

「えーっ、俺ら品行公正な野球部員が問題なんか起こす訳ないじゃんっ!」

「そうだよ、仮にやったとしてもマネージャーの着替えを覗き見したくらいだよな?」


ぱこんっ!


「てめぇら、なんて事をしやがる!俺もちゃんと誘えっ!」

「いや、キャプテン。その発言はどうかと思うぞ。」


「冗談だ、でも、もし本当だったらグラウンド8千周でも足りないらな。」

「なんだ、その微妙に出来そうで逆に怖い周回数は。学校の七不思議にでも追加するのか?」


「1ケ月あれば走れるか?」

「アホっ、真に受けるな!誰が走るかっ!」


さて、部員たちがアホな会話で盛り上がっていると、校舎の方からマネージャーがやって来るのが見えた。しかし、その姿はいつもと違い元気がないように見える。


「おっせーぞ、マネージャー。大きい方だったのか?」


ぱこんっ!


ふざけた部員の頭にマネージャーのメガホンがきれいに決まる。まぁ、これは言った本人も来るのが判っていたので下手に避けなかったからだろう。つまりはいつもの挨拶みたいなものだ。

だが、そんなルーチンをこなしつつもマネージャーはいつものような覇気がなかった。それをキャプテンが気にし声を掛ける。


「どうした、マネージャー。まさか本当にスパルタが報道機関にバレたのか?」


ぱこんっ!


はい、ネタを被せるのは、もしかしてこの野球部のテンプレなのだろうか?もしかして、こいつら実は芸人か?


「そんな訳ないでしょうっ!私がそんなミスを犯すと思っているの?」

「ミスって・・、スパルタは否定しないんだ・・。」


「キャプテン・・、ちょっと話があるからみんなを集めてくれる?」

「えっ?ああっ、おいっ、みんな、集まれっ!」

いつもと違うマネージャーの雰囲気にキャプテンは軽口を止めてみんなへ集合をかけた。そしてグラウンドに散らばっていた部員たちはマネージャーの下へと集まった。

そんな部員たちへ、真剣というか、少し落ち込んだような表情のマネージャーが話し始める。


「実はね、私・・、転校する事になったんだ。」

マネージャーのその一言で、一体何の話なんだとわいわい騒いでいた部員たちの動きが止まった。


「い、いつ?」

「夏休み明け。2学期はもうみんなといられない。」

マネージャーの突然の言葉に部員たちは言葉を失い、ただ目を見開き黙ってマネージャーを見つめるだけであった。



02■選手たちの奮起■



「おっしっ!今日はここまでだ!明日の出発は早いから早めに寝るんだぞ!遅刻したやつは置いて行くからなっ!」

「うっす!ありがとうございましたっ!」

キャプテンの言葉に、部員たちはグラウンドへ挨拶し明日の試合へ向けて帰宅の準備を始める。そう、明日は彼らにとって夏の甲子園選抜予選の初戦であった。その為、部員たちは早めに練習を切り上げたのだ。しかしそれは今回だけの事で、あのみんなに激震が走ったマネージャーの転校告知から昨日まで毎日、彼らは遅くまでいつも以上に練習に明け暮れていたのだ。


「とうとう明日か・・。」

道具をバッグに仕舞いながらひとりの部員が誰に言うともなく呟く。それを聞いた他の部員もまた、自分の道具を手入れしながら答えた。


「そうだな、しかし初戦の相手が青葉城東高校ってウチのキャプテンもくじ運がねぇよなぁ。」

「全くだぜ!本来なら青葉城東高校ってシード校じゃねぇか!そんな高校が1回戦から出てくるんじゃねぇよっ!」


「まっ、あそこも去年は成績が振るわなかったからな。でも今年は期待の1年生ピッチャーが入ったから、今んところ練習試合で負けなしだってよ。」

「あいつかぁ、確かにすごい球を投げるよな。」


「打線もなんか復調したらしいし、巷では何点差でコールドになるかが話題なんだとさ。」

「いや、さすがに青葉城東相手にコールドは無理だろう?」


「つまんねぇボケをするなよ!俺たちが負けるのが確定なんだよ!いや、俺たちだけじゃない。予選Bグループの出場校は全部賭けの対象だとさ。」

「野球トトカルチョは禁止されている。野球連盟にチクれば俺たち不戦勝になるんじゃね?」


「アホ、青葉城東関係者がそんな事をするかっ!そんなのをやっているのはそこら辺の賭け事好きのおっさんたちだけさ。」

「俺たちの青春も、おっさんたちにとっては単なる賭けの対象なのか・・。」


「いいんだよ、馬鹿は放っておけば。俺たちが野球をやっているのは誰の為でもねぇ、俺たちが野球を好きだからだ。・・いや、今回はちょっと違うな。」

「そうだな。今回は負けられねぇ。絶対にマネージャーを甲子園へ連れて行く!」


「おうっ、例えデットボールになっても塁に出てみせるぜっ!」

「あの1年生ピッチャーの球でかぁ、痛てぇだろうなぁ。確か153キロを記録しているんだろう?」


「安心しろ、もしも大怪我になったら相手はビビるはずだ。お前の仇は俺たちが討つ!だからなるべく派手にやってくれ。」

「高校球児にあるまじき発言だ。マネージャーに聞かれたら大目玉だぞ。」


「まっ、今のは冗談だ。でも俺は必ず塁に出てみせる。どんな手を使ってもだ!」

「冗談になってねぇよ。」


「まっ、あくまで気概としてだ。体へのドーピングはスポーツ精神に反するが、気持ちへのアドレナリン注入は禁止されていないからな。ガンガン行くぜっ!」

「お前、そんなんじゃ今夜眠れないんじゃないのか?」


「あっ、それは大丈夫。ドーピング剤としてお気に入りのエロ動画をネットから拾ってあるから。1発決めれば、後は夢の中だぜ!」

「お前のメンタルには負けたよ。でも後で貸してくれよ。」

「アホ、誰が貸すか!お前と同じオカズだなんて思ったら縮んじまうぜ。」


如何に青春真っ盛りの高校生とは言え、何ともとほほな会話ではあるが、これもまた彼らなりの気合の入れ方なのかも知れない。どちらにしろ、明日は彼らが全てをつぎ込んできた決戦の日だ。軽口は言えど、胸中は期待と恐れと不安で一杯なのであろう。そんな気持ちを振り払う為の、彼らなりのおちゃらけた会話なのかも知れない。


だからだろうか、そんな彼らの後姿をグラウンドに残ったマネージャーが深々と頭を下げて見送っている事に部員たちは気づかなかった。


早めに切り上げたとは言え、既に空には満天の星が輝いている。みんなを見送ったマネージャーはそんな星を見上げて何かを祈っていた。いや、何を祈っているかなど言わずもなかだ。マネージャーの願いはひとつである。そう、それは勝利だ。しかし、それは自分の為ではない。みんなが努力してきた事に対する選手たちへの正当な対価だ。勿論マネージャーは他校の生徒たちも彼らに負けず劣らず努力している事を知っている。だが、マネージャーにとって願うべき対象は一緒に励んできた彼らである。


-神さま、どうか彼らに悔いのない舞台をお与え下さい。明日、彼らはきっと素晴らしい試合をしてくれます。なにとぞ、怪我などないようにご配慮願います。-


長い時間、空に向かって祈り続けたマネージャーは、今度はポケットから小さなお守りを取り出す。そしてグラウンドの土をひとつまみその中に入れ胸に抱いた。


そう、それは彼女と彼らを繋いでいた証である。明日の結果がどうであれ、このグラウンドで彼らと過ごした時間は彼女の宝物であった。そのお守りは言わばトリガーである。彼女はやかでこのグラウンドを去るが、その思い出は何時までも色あせる事はない。例え時が過ぎてもそのお守りを見れば今この時が、いや、みんなと過ごしたあの時間が蘇るはずである。


やがて彼女も帰路についた。照明が落とされ、人のいなくなったグラウンドでは夏の夜風が昼間の暑い熱気を吹き流す。しかし、そんな風も彼らが残した情熱を吹き飛ばす事はできない。そう、そこは彼らが青春をかけ情熱を注いだ四角いダイヤモンドだ。その純粋なきらめきは、眩し過ぎて悪霊でさえ恐れおののき避けて通る聖地であった。



03■戦闘開始っ!■



そしてまた陽は昇る。当日は朝から雲ひとつない晴天であった。おかげでまだ早朝だと言うのに気温計の目盛りはぐんぐんと上がり続けている。だが予選会場のグラウンドで準備運動をしている選手たちにそんな事は関係ない。何故なら彼らの魂はそれ以上に燃え上がっているのだから。


「それでは双方、礼っ!」

「お願いしますっ!」

グラウンドに整列した両校の選手たちが審判の号令に併せてお互いへ向けて礼をする。今この時より、彼ら高校球児たちの甲子園への切符を賭けた戦いが始まったのだ。


「先攻、山形県立南上杉高校。バッターは1番センター、芳賀 良治君。背番号8。」

球場内アナウンスが先攻を引き当てた高校と先頭バッターの名を呼ぶ。当然こちらがマネージャーたちの高校だ。


そして相手チームである青葉城東高校の選手たちは自分の守備位置に散らばる。そんな中、マウンドでは青葉城東高校の1年生ピッチャーが投げる練習ボールが、パシっと心地よい音を響かせてキャッチャーのミットに吸い込まれていた。


「ちっ、初っ端からエースのご登場かよ。舐められていない事を喜ぶべきか、嘆くべきか・・。」

「あいつの箔付けと用と思われているんじゃねぇの?あっちの監督としては、ノーヒット、ノーランとかぶち上げて勢いをつける腹づもりなんだろう。」

「だとしたら許せんな。おらぁ!芳賀っ!かっ飛ばして行けぇ!」

先頭バッターである3年生の芳賀へ向け、ベンチから激が飛ぶ。芳賀はその激に手を挙げると左打席に入って青葉城東のピッチャーを睨んだ。そして主審の号令が球場に響いた。


「プレイボールっ!」


審判の試合開始の声に相手のピッチャーは静かにバッターを見る。そしてキャッチャーからのサインに頷き一球目の投球動作に入った。


ずんっ!


「ストライークっ!」

練習ボールの軽い音とは別物の、重たい捕球音がキャッチャーミットからバッターの耳に届く。その球速を打席から目の当たりにした芳賀は心の中で舌打ちをした。


-ちっ、この野郎、何て球を放るんだ。こいつの球は本物だぜ。-


彼も150キロ級の球ならバッティングセンターで体験済みである。故に球速自体に恐れはなかった。だが、生身の投手が投げる球は機械が無機質に打ち出す球とは別物であった。慎重ではあるが大胆に内角を突いてくる球に、彼は無意識に体を後ろに引いてしまった。だが、そんな彼も心は引いていなかった。


-狙うはストレートのみっ!タイミングさえ合えばどんなに速い球でも球は前に飛ぶんだよっ!金属バットをなめんじゃねぇぞっ!-


そう、ボールがバットをへし折るのは漫画の世界だけの過激な演出だ。金属バットの使用が禁止されているプロ野球ではまま起こる事例ではあるが、金属バットでは起こりえない。しかし、それもバットの芯に球が当たればの事である。金属バットの場合、下手なところに当たった球の衝撃はバットではなくバッターの手首を直撃する。木製バッドならバットが折れて吸収する衝撃を、金属バットの場合は選手の腕に伝えてしまうのだ。並みの投手の球なら大した問題にではないが、今回のような剛速球投手の投げる球は要注意である。


ずんっ!


「ストライーク ツーっ!」


-げげっ!掠りもしねぇ~!-


ど真ん中に放り込まれた第2球目をバッターは空振る。タイミングこそ僅かに遅れただけだが、バットと球の間は5センチ程の間隔が空いていた。


「芳賀っ!どこ見て振ってるんだっ!タイミングは合っているんだからよくボールをみろっ!」

ベンチからはバッターに向けて罵倒ともアドバイスとも取れる声が掛かる。


-ちっ、うるせぇよ。簡単に言うんじゃねぇ!-


本来ボールと言うものはピッチャーの手を離れた瞬間から、重力の法則にのっとり大地に向かって落下し始める。だからキャッチボールなどでは予めその自由落下分を見越してボールが放物線を描くようにちょっとだけ目標の上目掛けて放るのだ。


しかしピッチャーは大抵自分の頭より上から、バッターの膝の高さ辺りに構えるキャッチャーのミット目掛けて球を放る。つまり普通に投げてもピッチャーが投げた球は落下しながらバッターボックスに届くのだ。


ピッチャーの手を離れた球がバッターボックスに届くまでのタイミングは何回か経験すれば推測できる。しかし、ボールがどれくらい落下して届くかを瞬時に判別するのは難しい。速球投手の場合は尚更だ。ボールが投手の手を離れてからどこにくるかなどを見極めてからスイングを始めていてはタイミングが間に合わない。よってバッターはある程度の推測の元、スイングを開始する。そしてその途中で修正をするのだ。


言葉で言うと大変難しそうで実際難しいのだが、野球部員たちはこれを頭ではなく体で対応する。それくらい迅速な反応でなくては対応できないのだ。特に今回の相手は150キロ級投手である。普通の高校球児が易々と打てるものではない。

しかし、そんな超高校級の速球にバッターはタイミングを合わせてきた。これは偶然や奇跡ではない。たゆまぬ練習の賜物だ。だが、そんな彼とてバットをボールの軌道に合わせるのは至難の技であった。


そして相手のピッチャーはバッターに考える時間を与えぬように短いピッチで投球を続ける。


ぱぁんっ!


先ほどまでと違い今回の球はやや球速が遅かった。その為か、今度のバッターのスイングはタイミングまでもが外された。バッターは何とかボールのスピードに合わせようと一瞬動きに制動をかけたが、一旦動き出したモーションはそう簡単には変更が効かない。結局、腰砕けのように下半身と上半身の連携がずれ出しバッターボックス内で尻餅をついてしまった。


「ストライク スリーっ!バッターアウトっ!」

-やられたっ!カーブかっ!-


そう、相手のピッチャーは150キロ級の速球だけでなく、変化球も自在に使いこなしていた。しかも投球ホームにその違いが現れていない。


-くそっ、噂通りの厄介なやつだ。-


芳賀はベンチに戻りながら、途中、次のバッターへ言葉をかける。


「一回目は生贄だな、当初の予定通りで行くしかない。」

「了解。任せろ!」

声を掛けられた次のバッターはバットを軽く振りながらバッターボックスへと向かった。


「バッター2番、ライト、笹谷 武仁君。背番号9。」


右バッターボックスに入った打者にタイミングを合わせて、場内アナウンスが打者の名前を告げる。笹谷はボックス内で足場を固めると相手のピッチャーを睨みつけて初球が来るのを待った。


ずんっ!


「ストライークっ!」

-ひゅ~っ!間近で見るとハンパねぇな。これだから天才ってやつは嫌なんだ。才能の差を見せ付けてくれるぜ!-


「笹谷っ!ただ立っているだけなら案山子でも出来るんだぞっ!ぶちかましたれっ!」

一球目を見送ったバッターへベンチから檄が飛ぶ。


-ちっ、あいつら自分の番が来てもそれが言えるのか?見るとやるとじゃ、大違いなんだよっ!-

笹谷はベンチからの激に舌打ちしながらも、ピッチャーへの対策を頭の中で確認する。


-ほれっ、放ってこいっ!超高校級の球がどれほどのモノか試してやるぜっ!-

そんな笹谷の気迫をものともせず、相手のピッチャーは淡々と投球動作に入った。そして大きくしなったその腕からボールが離れる瞬間、笹谷はバッターボックス内でバントの構えにバットを持ち替えた。


カーンッ!


金属バット特有の音を響かせてボールはホームベースの後ろへと弾かれていった。キャッチャーはその打球を追おうとしたが、バックネットに当たったボールを見て動作を止めた。しかし、ボールを後ろに反らした当人はボールの行方を追おうともせずバッターボックス内で固まっていた。


-おいおい、まともに当てる事も出来ねぇのかよっ!-


笹谷は2番バッターである。仮に1番バッターが塁に出た場合、確実に2塁へ進める為に送りバンドの練習は誰よりもやっていた。故に自分なりにどんなボールでも当てて前に転がす自信があった。如何に初めての相手でもそれは変わらない。そう思うだけの練習を笹谷はこなして来たのだ。練習は裏切らない。その思いを胸に地味な練習を笹谷は何度も繰り返してきた。その自信がたった一球で揺らぎ始める。


「げーっ、なんだ、あのピッチャー。笹谷の揺さぶりにも全然動揺していないぞ?1年坊主のくせしてメンタル強ぇーな。」

「ただの脳筋馬鹿で状況を理解していないのか、はたまた天才の余裕なのか。」

「どっちにしても扱いずらいな。」

南上杉高校側のベンチではそんな声がみなの口から漏れる。


「おらっ、笹谷!タイミングは合っているんだ!次はセンター前をお見舞いしてやれっ!」

-こらっ!そうゆう事をでかい声で言うんじゃねぇ!万が一ヒットになってもセンター前じゃないと笑われちまうじゃないかっ!-

笹谷は心の中でベンチからの声に毒つく。しかし、笹谷にはもうひとつ別の戦略もあった。それを次の球で試す事にする。

今度は先程と違い最初からバンドの構えで投球を待つ。野球に疎い者や、初心者には塁に走者がいないのになぜそんな事をするのか意味が判らないかも知れないが、野球の戦略としてはこれも立派な攻撃方法だった。

バンドでグラウンド内へ転がったボールは内野選手が処理する事になる。大抵はサードかファースト、または転がり具合が絶妙だった場合はキャッチャーが拾い上げてファーストへ送球するのだ。残念ながらピッチャーの前に転がった場合、まず打者はアウトとなる。これは別にピッチャーの投げる球が速いからではなく、捕球するまでの時間と、ファーストとの距離の関係である。

通常はファーストから一番遠いサードでさえ、守備範囲内で的確に捕球された場合はまずセーフにはならない。それほど、打者の走る速度とボールの投球速度は違うのだ。つまり内野内へボールが飛んだ場合、如何に内野手にボールを捕球されるまでの時間を遅らせるかが内野安打を成功させる鍵となる。そして、それこそが打球速度を殺せるバンドの強みだ。

絶妙なルートを転がるボールは内野選手の捕球処理を遅らせる。そしてクリーンヒットだろうが、バンドからのヘッドスライディングぎりぎりセーフだろうが、塁に選手を進出させると言う事に関してはどちらも同じ事なのである。まぁ、野球を観戦する側からして見たらバンドの内野安打は地味なので面白みに欠けるかも知れないが、選手たちは見世物を演じている訳ではない。真剣勝負をしているのだ。その意味では結果こそが全てであった。

しかし、当然守備側もそんな戦略に対して準備をする。サードとファーストは通常の守備位置より前進し、自分の方へボールが転がってきた場合、素早く捕球できる体勢に入った。それに合わせショートとセカンドも、守備位置を変える。特にセカンドはファーストのカバーに入れるように、大きく守備位置をファースト寄りに移した。

そしてこの守備位置の変更こそがバッターである笹谷の狙いであった。サードとファーストが前進守備を取る事により当然ショートとセカンドの守備範囲は広くなる。その広くなった隙間を狙って打球を飛ばせば、どんなへろへろ球だろうと外野へ抜けて行く。野球にヒーローを求める観客には少々物足りない戦略であろうが、選手たちには勝利こそが正義だ。勝てば官軍、泥まみれになろうとも二回戦へ駒を進める為なら全力で進むのが球児たちなのだ。


そんな笹谷に青葉城東のピッチャーはど真ん中のストレートで勝負してきた。


カーンッ!


金属バット特有の音を響かせてまたもやボールはホームベースの後ろへと弾かれていった。今度はキャッチャーも打球を追おうともしない。直ぐに主審から代えのボールを貰いピッチャーへ返球する。

「ツーストライクだっ!次で決めるぞっ!」

そんな挑発的なキャッチャーの声も笹谷の耳には届いていない。今の彼はそれどころではなかったのだ。


-くそっ、来ると判っているのにコースを見切れんっ!一体何キロ出ているんだ?-

笹谷はバッターボックス内で先程のボールの軌道を思い浮かべていた。あの上腕いっぱいから投げつけられたボールは瞬きする間もなく目の前に迫ってきた。その勢いに押されて笹谷は少しバットの位置を下げてしまったのだ。その結果が先程のバックネットへのファールである。


そんな笹谷とピッチャーの攻防を横から見ていた南上杉側ベンチ内では、ひとつの結論が話されていた。

「あのピッチャー、投球フォームを微妙に変えているな。今のは腕の振り降しが早かった。しかもボールを離す位置も高い。あれって意識してやっているのかな?」

「どうだかな、無意識なんじゃねぇの?何せ天才様らしいからな。理論なんか必要ないのよ、ぶんっと投げれば、ずばっと狙ったところにボールがいくんだろう。」

「あーっ、それはおかしいな。何も考えていないのが天才なら、ウチの日向なんて大天才だぞ?」

「てめぇ、影山。言ってくれるじゃねぇか!俺は技巧派なの!緻密な計算によりバッターを討ち取る頭脳系なんだよっ!」

バッテリーを組むキャッチャーの影山のボケにピッチャーの日向が突っ込みを入れた。その突っ込みに影山が問い掛ける。

「あーっ、日向よ。8掛ける8は幾つだ?」

「あんっ?そんなの88に決まっているだろう!小学生だって判るわっ!」

「おおっ、すげー!さすがは頭脳派だ!即答かよっ!」


ぱこんっ!


その時、ベンチ内で漫才もどきを演じるふたりの頭にマネージャーのメガホンが振り落とされた。

「ふたりとも馬鹿言ってないでちゃんと相手のピッチャーを見なさいっ!次の次の回はあなたたちがあのバッターボックスに立つのよ!」

「あーっ、はいはい。ちょっと緊張をほぐす為の軽口だよ。ちゃんと観察しているから安心してくれ。」

そんなマネージャーたちのやり取りにベンチ前で準備をしていた4番打者の玉川が絡んできた。

「ちょっと、ちょっと、日向たちが次の次ってひどくね?もしかしてマネージャーの中では、俺や池尻たちも三振する事になっているのかよ。」

「芳賀君も言っていたでしょう?1順目は捨てるしかないって。目が慣れた2順目からが勝負よ!」

「俺の4番のプライドがずたずただ・・。」

「野球は結果こそが全てよ!その為に1順目を捨てるのも戦略です!野球は9回まであるんだから、その時に勝っていれば全てが正当化されるんですっ!」

「ウチのマネージャーは根性論に加えて方便まで駆使するようになったか・・。」

そんな南上杉高校ベンチでの内のやり取りの間にもグラウンドでは試合が続いていた。


ずんっ!


「ストライク スリーっ!バッターアウトっ!」

-なんだっ?チェンジアップかっ!あいつ、そんなのまで投げられるのか!どんだけ球種を持っているんだよっ!-

ピッチャーがボールを離す瞬間、バンドの構えからフォームを変え、小さくバットを構え直し鋭く振り切った姿勢のまま、笹谷は信じられないといった表情で相手のピッチャーを見る。

-こりゃ、相手の監督がコールドゲームを宣言するのも無理ないな。厄介なやつだ。打てる気がしねぇ。-


その後、3番めの桜井も三振に倒れ、結局南上杉高校の初回の攻撃は3者連続三振と言う何とも締まらないスタートとなった。



04■根性こそが雑草の武器■



「しまっていこーっ!」

「おうっ!打たせていけっ!」

攻守が変わり守備についた南上杉高校の選手たちにピッチャーがマウンドから声を掛け、それに選手たち応えた。今度は南上杉側が青葉城東の攻撃を受ける番である。

今年の青葉城東は1年生ピッチャーの出来だけでなく打線も好調で、現在まで練習試合も含めて負け無しであった。しかもその得点方法はホームランなどの一発芸ではなく、ヒットを重ねて得点してゆくものであった。つまり、1番から8番まで切れ目なく油断ならない打者が並んでいるのだ。

唯一の弱点はピッチャーである9番だったが、青葉城東はそこをすっぱり切り離していた。場合によっては1順目からピッチャーの打順に代打を指名する程である。そしてその代打選手たちもしっかりと自分の仕事をしていた。これぞ層の厚さが成せる事なのだろう。


「後攻、山形県立青葉城東高校。バッターは1番センター、西谷 夕君。背番号8。」

球場内アナウンスが左のバッターボックスに入った青葉城東の1番バッターの名を告げる。この選手は現在出塁率で県内最高値を叩き出している。長打はないが確実に内野の後ろへ打球を返すセンスは侮れ無いモノがあった。

そんなバッターにキャッチャーである影山はピッチャーの日向へど真ん中のストレートを要求してきた。どうせ打たれるのならさっさと打たせて後は守備に任せようという腹積もりらしい。日向もその意図を理解し、反対はしなかった。


ぱしっ!


「ストライークっ!」

ど真ん中への直球をバッターは振る気配もなく見送ってきた。それは球速を見極める為か、はたまたコースを突こうともしないあまりにも素直な球に気を外されたのかは判らない。

しかし、バッターに焦りはなかった。ストライクがみっつ積み重なるまではバッターは打席に立つ権利があるのだ。仮にツーストライクと追い込まれても、次のボールを打てばバッターの勝ちである。そんな精神論を青葉城東高校の選手たちは叩き込まれていた。

野球の勝負に不利、有利はない。どんなに追い詰められようとも最後に打てばよいのだと教えられていたのだ。そして、仮に負けてもそれは個人の負けであり、チームの負けではない。次に続く者がその勝負を見極め塁に出れば結果としてはチームの勝ちであると。

なんとも時代遅れな精神論であるが、彼らはそれで勝ち進んできた。勝負の世界では勝てば官軍である。だが、彼らを支えてきたのは仲間同士の信頼であり、たゆまぬ練習だった。野球はチームプレイとよく言われるが、彼らは十分にそれを理解していた。個人はチームの為に、チームは個人の為に。やるべき事をこなしつつ、勝負を楽しめというのが青葉城東高校野球部の教えだった。


そして2球目。同じコースに投げられたボールを青葉城東のバッターは見逃さなかった。


カキーンっ!


快音を轟かせて打球はショートとサードの間を抜ける。まるで絵に描いたかのようなクリーンヒットであった。その光景に青葉城東側のスタンドが沸き立つ。


「ドンマイ、ドンマイ。まぐれだ。次を打ち取るぞ!」

マウンドでうな垂れるピッチャーにキャッチャーが声を掛ける。だが、これは演技だ。何故なら打たれたのではなく打たせたのだから。うな垂れていたのは青葉城東側を調子づかせる為の欺瞞であった。攻撃側は本来なら手堅く2塁へ走者を進めるのがセオリーだが、ピッチャーが精神的に弱っていると判断すれば強気にバットを振りたくなるはずなのである。そして、そんな気負ったバッターに内野ゴロを打たせれば、簡単にゲッツーを取る事ができ、カウント的にはツーアウトとなるのだ。

そして、そんな南上杉側バッテリーの作戦は当たった。次の青葉城東側のバッターは早いカウントから強振してきて、日向が得意とする鋭く沈み込むカーブを打ち損ねた。ボールはセカンドの正面に転がり、2塁へカバーに入ったショートに送られる。その球を2塁ベース上で受け取ったショートは走ってくる走者を避けながらファーストへ送る。打った打者は全力で1塁に突っ込んできたが1歩及ばずアウトとなった。


「おらーっ!見たか青葉城東っ!俺たちを舐めると痛い目にあうんだぞっ!」

南上杉側のベンチ内はこのプレーに沸き立つ。そんな喧騒の中、マネージャーは淡々とスコアカードにゲッツーを記録していった。そこには選手たちを信頼しきっている態度が見てとる。彼女には相手が如何に強豪青葉城東でも勝利を掴むのは自分たちだという気概があるのだろう。しかし、カードに書き込むペンの筆圧は何時にも増して強かった。それは女子である自分にはどうしようもない、ただただ見守るしかないもどかしさの現れだったのかも知れない。


「バッター3番、レフト、月島 蛍君。背番号7。」

アナウンスの声と共に青葉城東のバッターが右のバッターボックスに入る。そして2、3回軽くバットを振り足元を固めた。その表情には先程の失敗の影はない。ここからが勝負だという気概が伝わってきた。

そんなバッターを見て、南上杉のキャッチャーは心内で舌を鳴らす。


-やべぇー、本気にさせちまったか?まずいな、もう、小手先の技は通じないか・・。-

そんな事を思いながらもキャッチャーは冷静に状況を分析する。

-まっ、打たれるのは織り込み済みだ。長打を打たせなきゃいいだけだ。低めにまとめていくぞ。-


キャッチャーの影山はサインにてその事をピッチャーへ知らせる。ピッチャーの日向もその意図を汲み取りマウンド上で頷いた。だが、そんな低目へ投げたボールを打者は意図も簡単にレフト前へと弾き返した。


-おいおい、あの球をすくい上げてあそこに飛ばすのかよっ!どんだけ腰が強いんだ!-

低めのボールを腰を据えて振り切るには強靭な足腰が必要である。手振りだけで当てた打球はあそこまで鋭い軌跡を描く事はないのだ。この事により影山は、如何に3番バッターだったとは言え青葉城東の実力を思い知らされた気がした。


-どうする・・、次のバッターは歩かせるか?-

青葉城東の次のバッターは4番である。ヒットで繋ぎ点を取るスタイルの青葉城東の中では唯一のホームランバッターであった。だからと言って大振りだけが持ち味ではないのは青葉城東の成績を調べたマネージャーから聞かされている。


-あまいコースでは打たれる心配がある。かといって初回から敬遠してはマネージャーに怒られちまうからな。左右に散らしていこう。-

影山はその事をサインにてピッチャーに知らせる。ピッチャーの日向は初め渋い顔をしたが、相手の成績を思い出し結局は従う事にした。


「フォアボール。バッター1塁へ!」

4球続けて大きくストライクゾーンを外した投球により、主審はフォアボールを告げる。その声をうけバッターは1度もバットを振る事無く1塁へと向かった。それに伴い1塁にいた走者は2塁へと進む。


「バッター5番、ショート、追分 拓朗君。背番号5。」

さて、2塁へ走者を進めた以上、ここでヒットを打たせる訳にはいかない。外野の間へ打球が飛べば2塁にいる走者は遮二無二ホームベースへ突進してくるはずだ。しかし、塁に走者を溜めた事により守備側も利点が生まれている。仮に次のバッターの打球を内野内で処理できれば、どのベースに投げてもアウトが取れるのである。そして現在のアウトカウントはツーアウト。後ひとつアウトを取ればこの回の青葉城東の攻撃は終了となる。

その意味では精神的に攻撃を仕掛けているのは南上杉側とも言える。しかし、試合はシナリオ通りには進まない。ピッチャーが低目へ丁寧に投げたボールをバッターが無理やり打ちに来たのだ。打球はピッチャーの脇を抜けショートとセカンドの間をセンターへと抜けていった。センターはそれを拾い上げセカンドへと投げたが一瞬走者が塁へタッチする方が早かった。

走者をアウトに出来なかったセカンドはすぐさまボールをキャッチャーへ送る。それにより3塁を回りホームへ突進しようとしていた走者は、3塁コーチボックスにいた選手に止められた。


ツーアウト満塁。初回から大ピンチを迎え気持ちが揺らいでいるピッチャーにキャッチャーがタイムを宣言して駆け寄った。

「気にすんなよ、何人塁に居ようとホームベースを踏ませなきゃ俺たちの勝ちだ。次の打者を打ち取ればいい。内野ゴロを打たせるだけだ。簡単じゃねぇか。」

「ふんっ、言ってくれるぜ。それができりゃ世話ないさ。」

「日向、自分を信じろ。俺たちもついている。後ろを見てみろよ、あいつらは真剣だぞ。飛んできたボールは噛り付いても止めるつもりだ。なのにお前が不貞腐れてどうする。そんなんじゃ、マネージャーに叱ってもらえないぞ。」


キャッチャーに言われ日向は後ろを振り向く。そこには目をぎらぎらさせた仲間たちがいた。その体からは一様に絶対ボールを後ろにはいかせないという意志が噴き出している。そしてベンチを見ると控えの選手たちがじっとこちらを見ていた。彼らはグラウンドには立てない。このピンチに際し応援する事しか出来ないのだ。そのもどかしさは如何ほどのものなのだろう。だが彼らはグラウンドに立つ選手たちを信じて見守っているのだ。

そんな控え選手の横でひとりの女子生徒がこちらを見ていた。いや、もしかしたら睨んでいるのかも知れない。結果が出るのを恐れ萎縮し、勝負をするのを躊躇っているピッチャーを叱っているのか。


そんな仲間たちからの無言の励ましを受け漸く日向は踏ん切りがついた。

「おっしゃーっ!やってやる!青葉城東がなんだって言うんだっ!俺だって南上杉のエースなんだっ!舐めんじゃねぇぞっ!」

「おうっ、誰もお前のきたねぇ顔なんざ舐めやしねぇよ。さっさと終わらしてマネージャーからタオルを貰いにいこうぜ!」

「一言多いんだよ!さっさホームに戻れ。投げらんねぇじゃないかっ!」

「はははっ、そりゃすまんかったな。うんっ、やろうぜっ!」

「おうっ!やってやるっ!」

気持ちを持ち直したピッチャーをマウンドに残し、キャッチャーがホームに戻る。その光景を見ていた青葉城東ベンチ内でキャプテンが監督に話しかけた。


「あららっ、相手のピッチャー立ち直りましたね。あのキャッチャー、どんな魔法を使ったんだか。」

「さあな、お前たち高校生の年頃ってころっと持ち直しやがるからな。後で牛丼でも奢ってやるとか言われたんじゃないのか。」

キャプテンの問い掛けに青葉城東監督は冗談とも取れる返事を返した。

「監督、俺たちは牛丼くらいじゃ持ち直しませんよ。せめてすき焼きくらいは言って下さい。」

「お前らは量が喰えればなんでもいいだろう?お前たちにすき焼きなんて勿体無い。炊きたてご飯に卵でもかけて食べていろ。」

「あっ、美味そう。でも醤油は生でお願いします。」

青葉城東のキャプテンの言葉はとても試合中とは思えぬ暢気なものだったが、それだけ自分たちの打線に自信があるのだろう。ましてや、ツーアウトとは言え満塁である。ヒットでなくてもひとつのエラーで得点が入る状況なのだ。そしてそうなれば精神的にも青葉城東側は優位に攻撃を続けられる。

傍から見ればツーアウトは攻める側としては崖っぷちに思えるかも知れないが、当の選手たちにとっては攻撃を続けられるカウントでしかない。攻める時と守る時。選手にとってはこのふたつしかないのだ。そこには点数だけで一喜一憂する一般の野球好きには判らない、野球を楽しむという気持ちがあるのだろう。


だが、次のピッチャーとバッターの対決はピッチャーの気力がバッターのそれを上回った。いや、逆に力み過ぎてボールが散ったのが功を奏したのかも知れない。カウント2ストライク3ボールから低めの内角に喰い込んで来たボールに対してバッターは一瞬躊躇したのだ。

ボール判定なら押し出して難なく1点取れるが、ストライクを宣言されると折角の満塁のチャンスが潰れてしまう。そんな微妙なコースにボールが飛んできた。その躊躇いがバッターのスイング動作を一瞬遅らせる。結果、打球はボールの上を叩く事になりセカンドの正面に転がったのだ。

その打球をセカンドは難なく捕球しファーストへと送る。そして1塁の塁審がアウトを宣言した。


「あーっ、やられた。力任せの出鱈目な投球だったけど、最後は向こうに運が傾いたか。」

青葉城東のキャプテンは残念そうに言いながら守備に向かう為にグローブをはめ立ち上がる。だが、言葉とは裏腹に表情はそれ程気にしている様子はなかった。今はまだ1回目の攻撃が終了したばかりである。加点できればそれに越した事はないが、野球は9回まで続くのだ。過ぎた事を悔いても仕方がない。


「すまない、ちょっと迷った。」

自分の装備を取りに戻ったバッターがすれ違いざまにキャプテンに謝る。

「気にすんなよ、試合はまだ始まったばかりだ。でも、最後に勝つのは俺たちだぜ?」

「ああ、そうだな。勝つのは俺たちだ。」

試合をしている以上、失敗する事はままある。だが、チャンスは1回だけではない。優位に事を運ぶのも大切だが、失敗を引きずらない事も勝負においては重要である。青葉城東の選手たちはその事をみんなで共有していた。失敗する事を恐れない。最後に笑えればいいのだと。

確かに彼らの前評判は磐石であった。それを裏付けるだけの成績も残している。しかし、試合とは水物だ。絶対はない。その事を戒める為の選手たちの合言葉が『最後に勝つのは自分たち』だった。



05■1回戦が決勝戦■



さて回が進み、三者凡退の山を積み上げた南上杉高校だったが、打席も2順目となりとうとう4番の玉川が青葉城東高校1年生ピッチャーの速球を捉え、センター前へ弾き返した。これはカウントを取りにきた球が僅かに高めに浮いてしまい、そこを打者に打ち抜かれたのだ。その見極めは、さすがは4番を張るだけの事はあると言っていいだろう。如何な超高校級投手の球と言えども甘いコースに入れば練習を重ねたバッターの餌食になるのだった。


「おっしゃーっ!いいぞ、玉川っ!去年の失敗はこれで帳消しだっ!」

南上杉高校側のベンチからは声援なのか罵倒なのかよく判らん声が飛ぶ。そんな声に1塁上の玉川は中指を突き上げて応えた。


続く5番の池尻は手堅くバンドで走者を2塁へ送る。打球自体は球速に押されてへろへろだったが、青葉城東高校側は無理せず、まずはワンアウトを取ってきたのだ。これは南上杉高校側の打線が次から下位打線になるのを見越しての戦略だったのだろう。しかし、走者を2塁へ進めた事により南上杉高校側のベンチは盛り上がる。


「いいぞっ、池尻!結果オーライだっ!お前にはバンドマスターの称号をくれてやるっ!」

1アウト2塁。これは野球の常識としては得点圏に走者を進めた事になる。外野へのヒットが出れば2塁走者が一気にホームへ突入するチャンスがあるのだ。仮に内野内での凡打に終わったとしても、リードを大きくとった走者を3塁でアウトなするのは難しい。下手に送球が後ろにこぼれたら、それこそホームベースすら狙われかねないのだ。故に守備側は安全策として1塁へ送球しツーアウト目を取るのがセオリーだった。


そしてここで南上杉側は勝負に出た。次の菅原に代わり3年の木下を代打に指名したのだ。これは多分に3年生の木下への温情措置も含まれているのかもしれない。3年最後の試合に彼を出させたいという想いが南上杉側にはあったはずだ。だがそれも木下の実力を認めた上での指名である。彼らは試合に勝つ為にここにいるのだ。打てない者を情けだけで送り出す事はない。それは木下自身も理解している。木下の代打指名はこのチャンスを掴み取る為、十二分に勝機があるのを見越しての起用だった。


「バッター、菅原 浩二君に代わりまして代打、木下 和馬君。背番号11。」

場内アナウンスがバッターの変更を告げた。

「おらぁーっ、木下ぁ!ぶち噛ましてやれぇーっ!」

南上杉側ベンチから木下へ檄が飛ぶ。木下はその声援に軽く頷いて応えた。木下のここ最近の練習試合での成績は、3打数1安打である。打数が少ないのは今回のように代打で出場しているからだ。3回打席に入って1安打とは打率としては悪くない。だが、ヒットを期待されての代打出場としては些か平凡な数値に見える。

しかし、数字だけでは読み取れないドラマが野球にはあるのだ。安打を記録していない残りの2打席。その内1打席を、木下はフォアボールにて出塁している。残りの1打席も外野への犠打で3塁走者をホームへ帰らせ1打点を得ていた。つまり木下は打席に立った3回ともきっちりと仕事をこなしていたのだ。それが今回のチャンスにあたり、木下をバッターボックスへ送り出す根拠となっていたのである。


そして、そのデータは青葉城東側も得ていた。青葉城東としては1塁が空いているので木の下を歩かせて7、8番目の下位打線で勝負をする戦略も取りえる。しかし、青葉城東の監督はその選択をしなかった。夏の甲子園大会予選はまだ始まったばかりである。今回程度のピンチはこの先、幾らでも訪れるはずなのだ。

それなのに初めから腰の引けた対応をしていては選手たちの士気に関わる。立ち塞がる壁はチカラでねじ伏せていかなければ、目標である甲子園出場など夢のまた夢であると青葉城東の監督は自覚していた。真の強者のみが甲子園への切符を手にすることが出来る。それが全国数百校の高校球児たちの共通認識なのである。


ぱーんっ!


木下への第1球がキャッチャーミットへと吸い込まれた。木下はその球を空振りする。だがこれは木下の戦略である。木下はわざと空振りしたのだ。それは相手の球速を推し量る為のテストであった。相手ピッチャーの投球モーションから打席に球が届くまでの時間を加味し、自分のスイングを調整する為の一振りであった。

木下は代打である。彼にとってはこの打席が最初で最後なのだ。ならば悠長に構えて入られない。1球1球が彼に課せられた使命を全うする為の情報収集の場である。その貴重な1球を使って木下は確信を得た。


-うんっ、これなら打てる。仮に変化球が来ても、この球速なら当てるだけで外野には飛ばせるはずだ。-

木下はバットを少しだけ短く持ち直し次の球を待った。そんな木下を見て青葉城東のキャッチャーは木下の初回の空振りの意図を察した。


-ちっ、最初の空振りはタイミングを計るためだったのか。こいつ、侮れないな。-

そこでキャッチャーはピッチャーへ、次の球はストライクゾーンを外した位置へのカーブを要求した。これによりバッターが打ち急いでくれば空振りを誘える。仮に打たれたとしても初球のストレートに比べて球速が落ちるカーブならタイミングを外して内野ゴロを誘えると判断したのだ。

そして、キャッチャーからの指示に頷いたピッチャーは第2球を指定の場所へと放った。


ぱしっ!


投げられた第2球をまたしても木下は空振りする。しかし、これもまた承知の上である。

-ひゅ~、落ちるねぇ。なんとも器用なピッチャーだ。球速があるから変化の具合もハンパないな。-

木下は今回得た情報から打席の立ち位置を若干変更した。この2球にて対応すべき事はほぼ判った。次の球が勝負である。しかし、そんな木下の心を読みきったのか、キャッチャーが指定した次の球は外角低目への僅かにストライクゾーンを外したストレートだった。


ずぱーんっ!


鋭い捕球音を響かせてピッチャーが投げた球がキャッチャーミットへ吸い込まれる。捕球された位置はキャッチャーが指定した位置から3センチとずれていない。まさに針の穴を通すかのようなコントロールであった。

「ボールっ!」

主審が声高らかに判定を下す。今回、木下はバットを振っていない。これは振れなかったのではなく、振らなかったのだ。木下は今回の球を見切っていた。彼が狙うのは内角寄りのボールだった。その為に外角寄りの球は捨てていた。仮にストライク判定が出たとしてもすっばりと諦めるつもりでいたのだ。


-うわっ、あぶねぇなぁ。ぎりぎりじゃねぇか!なんつうコントロールだ。本当にあいつ1年なのか?-

内角を狙うと決めた木下だったが、ぎりぎりのコースに思わず手が出そうだったのを必死に堪えた。仮にあのままバットを振っていてもタイミングが合わず空振りしたはずである。そんな、表面に現れない駆け引きがバッターとバッテリーの間では繰り広げられていたのだった。


そして木下は右足の位置を僅からホームベース寄りに変える。この事により外角側との距離が縮まり前回の様な外角側へ来た球を捉え易くなるのだ。だがこれは誘いであった。外角寄りに構える事によりバッテリーに内角へボールを投げさせる決断を促がす戦法である。そして、バッテリーはまんまとこの誘いに引っかかった。

だが、ベース寄りに近付いたバッターの内角目掛けて球を投げるのは、如何にコントロールに自信のあるピッチャーでもプレッシャーとなる。それが僅かな球速の衰えとボール1個分真ん中寄りに逃げた球となって菅原の方へとやってきた。


カキーンっ!


そんな慎重になった投手の球を菅原のバットが真芯で捉えた。打球はライト方向へ大きく伸びる。ただ飛んだコースは運悪くライトの守備範囲だった。走りながらの捕球ではあったがライトの選手は難なくボールを掴む。

しかし、捕球位置が大きく外野の奥に伸びた為、2塁にいた走者は3塁へのタッチアップを試みる。城東高校側は見事な中継でこれを阻止しようとしたが間一髪間に合わず、サードの塁審は大きく両腕を開いてセーフを宣言した。


「ひゃっほーっ!やったぜっ!」

「ああ、だがあのセカンドの中継は凄いな。構えてたサードのグロープにぴしゃりと吸い込まれたぞ。」

「う~んっ、ウチのセカンドが中継していたら楽勝でセーフだったな。さすがはシード校と言うべきか。」

「てめぇ、なんて事を言うんだっ!俺だったら確実にアウトにしてやったさ!」

「言うは易しさ、菅原。ありゃ、相当練習しているぞ。練習馬鹿も結果を出されると、からかう言葉も出てこんわ。」

「ならば大した練習もせず結果を出せる俺ってやっぱり天才なんじゃね?」

「出せればな。お前、何回暴投したと思っているんだよ。」

「試合では2回だけだっ!」

「それって、威張れることなのか?」

「大丈夫。過去は過去さ。俺たちは常に前を向いて走るんだっ!」

「はぁ~、大したメンタルだな。羨ましいぜ。」

そんなベンチ内のお喋りも次のバッターには聞こえていない。走者が3塁に進んだ事により次のバッターには走者をホームベースへ帰すと言う重圧が圧し掛かっていたのだ。そして場内アナウンスがそんな打者の名を告げる。


「バッター、ファースト、澤村 大地君。背番号3。」

「おっしゃーっ!」

自分の名を呼ばれ、澤村は気合を入れて左打席へと入った。そんな澤村を見て青葉城東のキャッチャーはほくそ笑んだ。

-こいつ、かなり緊張しているな。まぁ、無理もないか。責任重大だものな。なら、ちょっと甘い球で誘うか。-

そんなキャッチャーからのサインにピッチャーは軽く頷いて投球モーションへと入った。


ぱしっ!


「ボールっ!」

やや高めから外に逃げるカーブがキャッチャーミットに突き刺さる。だが澤村はこれに反応しなかった。キャッチャーはそれを見て自分の見立てに疑問を持った。


-なんだ?結構冷静なのか?追う素振りも見せなかったな。-

だが、青葉城東のキャツチャーの見立てと違い、当の澤村はガチガチに緊張していた。今のも球を追わなかったのではなく追えなかったのだ。それどころかボール自体を見失っていた。だから動かなかったのである。


-さて、仮に今のを見切っていたとすれば同じコースは危ないな。次は内角低めだ。-

キャッチャーからのサインにピッチャーは頷いて指定された場所へボールを投げた。


「ストライークっ!」

今回も澤村は動かない。いや、一瞬動きかけたがスイングはしなかった。これは別に途中でモーションを止めた訳ではない。澤村の体に染み付いた今までの経験が勝手に反応しかけただけだった。澤村の頭の中は相変わらず真っ白なままである。よって続く投球にも澤村は反応できず、ツーストライクを取られた。


-あーっ、これは見ているんじゃないな。見えていないんだ。よしっ、これは貰った!次でチェックメイトだっ!-

相手が緊張のあまり動けなくなっているのを見抜いたキャッチャーは遊び球を投げさせず、次で勝負を決めるとピッチャーへ伝える。だが、相手が如何に緊張していようともど真ん中に投げさせるような事はしなかった。あくまでストライクゾーンの低めにミットを構える。

だが、そんなキャッチャーの慎重な姿勢も経験の浅い1年生ピッチャーには届かなかった。且つ、ここで青葉城東のキャッチャーの思いもしない激が南上杉側ベンチにいるマネージャーからバッターへ届いた。


「こらぁー、澤村ぁーっ!打席で寝ているんじゃなーいっ!目を覚ませぇーっ!」

南上杉側のベンチからバッターへ向けてマネージャーの檄が飛ぶ。その声にびくりと体を震わせた澤村は恥ずかしそうに頬を指で掻いた。そんなバッターを見てキャッチャーは顔をしかめる。


-ちっ、あのマネージャーめっ、要らん事を。まぁ、いい。カウントはこちらが優位なんだ。低めに集めれば長打はない。-

だが、そんな時に限って1年生ピッチャーの投げた球はど真ん中へ飛び込んで来た。それを澤村のバットが弾き返す。


カキーンっ!


澤村が打った打球は快音を響かせて青空をバックにレフトスタンドぎりぎりへと吸い込まれていった。しかし、打った当人は打球の行方など見ていない。全力で1塁へ向けて走っていた。そして何故か頭からのスライディングである。そんな澤村へファーストのコーチベースにいた選手が声を掛けた。


「何やってるんだお前?」

「へっ?」

「ホームランだよ。」

「えっ、本当?」

「本当にほんと。まぐれだろうとなんだろうとホームランに変わりはない。さっさと塁を廻ってこいっ!あっ、塁を踏み忘れるんじゃねぇぞ!」

「ひゃっほーっ!俺ってもしかして天才かっ!」

そう言いながら澤村は飛び上がりながら塁を回り始めた。その姿に観客席からも盛大な声援が飛ぶ。とは言っても南上杉高校側のスタンドには南上杉高校関係者以外にそれ程観客はいなかったが・・。


玉川と澤村がホームベースを踏み、南上杉ベンチが歓喜に沸いている時、マウンド上で下を向いている青葉城東のピッチャーの元へキャッチャーがタイムを宣言し駆け寄った。


「何落ち込んでいるんだよ。お前まさか小学生相手に試合をしているつもりだったのか?」

「い、いえ、そんな事は・・。」

キャプテンからの叱責に1年生ピッチャーは帽子のつばに手を掛け目線を隠す。


「あいつらだって真剣なんだぞ。舐めた気持ちでいるんなら交代させるからな。」

「すいません・・。」

「いいか、お前は天才なんだ。だが、絶対ではない。だからひとりで何でも背負い込むな。たかが2点だ。仲間が取り返してくれる。いや、何点取られようと必ずそれ以上の点数をたたき出してみせるっ!仲間を信じろ。俺たちは全員で試合をしているんだ!」

「はい・・、ありがとうございます。」

キャプテンの言葉に漸くピッチャーは顔を上げた。


「とは言っても相手を調子づかせるのは癪に障る。次のやつはお前の怖さを思い知らせろ。3球で終わらせるぞっ!」

「・・はい。」

「返事がちいせぇな。」

「はいっ!任せてください!」

「おっし!その勢いだ。格の違いを見せつけてやれ!」

「はいっ!」

その後、気持ちを持ち直したピッチャーの肩を軽くポンと叩くとキャプテンはホームベースへと戻った。そして場内アナウンスが次の打者の名を告げる。


「バッター、キャッチャー、影山 士郎君。背番号2。」

そんな中、南上杉ベンチ内は得点したことによりノリノリの大騒ぎだ。


「おらーっ、景山っ!澤村に続けぇ!」

「おおっ、今回の幸運は澤村払いだっ!遠慮なく使いきっちまえ!」

「げっ、なんて事を言うんだっ!嘘だからな、景山っ!自分のを使えよ!」

ベンチからの声援?に景山は片手を挙げて応える。だがそんな南上杉側のお祭り騒ぎにも青葉城東バッテリーは平常心を保っていた。その事は景山に投げられた球が物語っている。


ずぱーんっ!


「ストラーイクっ!」

主審が手を大きく掲げて判定をみんなに知らせる。


「げっ!はえ~っ!なんだ?何キロ出ていた?」

「さあな、でも多分今回一番のスピードだったんじゃねぇのか。」

リードした事に興奮気味だった南上杉ベンチ内は、このたった1球で静まり返ってしまった。しかもその衝撃は立て続けに襲ってきた。


ずぱーんっ!


「ストライクスリー!バッターアウトっ!」

-くそっ、全部ど真ん中だと!-

バッターボックス内で空振りした姿勢のまま景山は驚く。景山に投げられた球は全てストレートのど真ん中だった。それを景山は全て空振りする。3球目などは来るのが判っていてもタイミングが間に合わなかった。それ程、青葉城東の1年生ピッチャーの球は速かったのだ。


「ちっ、あの1年生ピッチャー、立ち直りやがった。さすがは青葉城東のキャプテンだな。選手のモチベーション誘導がうまいわ。」

「まあな、でも仮にあいつを潰しても青葉城東は代えの投手層も厚いからなぁ。どっちにしても気は抜けねぇ。」

こうして南上杉ベンチ内は青葉城東の実力を思い知らされる。だが、だからと言って彼らは萎縮などしていない。青葉城東は確かに強敵であったが、全国には青葉城東程度の強豪などごろごろいるのだ。彼らが目指すのは天辺である。それらの強敵を全て打ち負かさねば、その高き頂に立つ事が叶わないのを彼らは肌で知っているのであった。


そして5回の表が終了し、とうとう南上杉高校側のスコアボードに2という数字が飾られた。だがまだ試合は続いている。どんなにリードしていようと試合は9回の裏を終了しないと判らないのだ。ルール上では圧倒的な点差を付けられると9回を待たずにコールドゲームを宣言されるが、それとて実力差と言うよりメンタルによる面が大きい。

だが、今回の試合はどちらも自分たちが敗北するなど露ほども思っていない。世間から絶対的な優位と思われている青葉城東側も慢心などしていなかった。一球入魂。どちらのチームもこの試合が決勝戦という気持ちで全力で戦っていた。

そんな彼らには5回での2点差など関係がなかった。取られたら取り返す!そう、試合はまだ続くのである。彼らが目指しているのは甲子園。だがその為には目の前にいる相手に勝たねばならない。

5回の裏の攻撃。その意気込みを胸に青葉城東の『戦闘』バッターはバッターボックスへと立ったのであった。



06■この瞬間こそが甲子園!■



そしてとうとう試合は終わった。グラウンドで相手に礼をしてベンチに戻ってくる南上杉高校の選手たちは、みな一様に唇を噛み締めている。そんな選手たちへマネージャーの激が飛んだ。


「こらっ!元気がないぞっ!野球は勝ち負けだけじゃないのよ。あなたたちは全力で戦ったんでしょう!なら胸を張りなさいっ!」

マネージャーの激に選手たちは顔を上げるが、悔しさは隠せていない。そんな選手たちの中、キャプテンがマネージャーに声を掛けた。


「ごめんな、優希を甲子園に連れて行ってやれなかった・・。」

キャプテンの言葉は選手全員の思いだった。いや、本当は自分が行きたくてがんばったのだが、その気持ちを確かなものにしてくれたのはマネージャーである優希の転校の件だった。人は時に人の為なら予想外のがんばりをするものなのである。しかし、そんな選手の思いにマネージャーは軽く答える。


「なに言ってるのよ、甲子園なんか行こうと思えば新幹線ですぐよ。」

「いや、そう言う意味じゃ・・。」


「みんな聞いて。私にとってはこの球場が甲子園なの。みんなが一生懸命野球をしてくれたこのグラウンドが聖地なの。甲子園を目指してみんなが一丸となってプレーしたこの瞬間こそが私の宝物。だからみんな、ありがとうね。」


部員たちは優希の言葉に拳を握り締めて黙り込む。優希の言わんとする事は判る。確かにそうなのかも知れない。自分たちには今この瞬間、この場こそが甲子園だったのだ。それはあの晴れ舞台に立つ為の試練。甲子園のグラウンドに立つ為には避けては通れぬ場であった。そしてここで勝ち抜いたその先に甲子園はあるのだ。つまりここと甲子園は繋がっている。ならばこの場が甲子園と言っても構わないであろう。


しかし・・、しかしである。それを優希に言われては慰めでしかない。部員たちは優希を甲子園に連れて行きたかった。いや、あの猛練習の中で、本当に行きたがっていたのは自分なのだとみなが気付かされたのだ。

だが、その夢は絶たれた。優希の言う通り選手たちは全力で戦った。故にその事に悔いはない。負けたのは相手が自分たちより上手うわてだっただけだ。勝負の世界は常に強者のみが生き残る。そこに例外はない。しかし、だからと言って負けた者たちがその事を簡単に受け止められるはずもなかった。

今回、選手たちは夢の舞台へ立つ為の予約券を手に試合に臨んだ。試合をやる前まではその予約券が必ず本券に変わるものと信じていた。しかし、結果として券はただの紙くずへと変わった。

勝負の世界は厳しい。勝者の席は常にひとつなのだ。その席の足元には敗者たちの屍が累々と転がっている。そんな屍の身となった選手たちには優希の励ましも、ただの慰めにしか聞こえなかった。


「優希よぉ、それって言い訳じゃないのか?」

部員の中でKYな事では定評のある選手が黙り込む部員たちの心内を曝け出す。


「いいえ!これぞモノの言い換え。物事を自分に良い方へとすり変える究極のアクティブ思考よっ!」

「それもなんだかなぁ。」

「望んだ結果が得られなかったからと言って歩みを止めたらそれまでよ。私たちには可能性があるの!2年生や1年生には来年が、3年生にだって神宮球場が待っているわ!」

「げっ!俺に東京の大学へ進学しろと?それってどんな罰ゲームなんだよ。」

キャプテンの言葉にみんなが笑った。因みに神宮球場は関東6大学野球大会の聖地である。


「成せばなるっ!キャプテンは今日から一日26時間勉強だぁ!」

「寝る時間が無いとかいう次元の話ですらない・・。」


「さぁ、1、2年生はへこんでいる場合じゃないわよ。他校の選手たちはもう秋の大会に向けて走り出しているわ!抜かれるのが嫌なら前進あるのみっ!今から練習だぁ!」

「うわっ、俺たちへも容赦ねぇ。」

マネージャーの矛先が自分たちに回ってきた1、2年生たちが一斉にげんなりとした表情になる。


「マネージャー、練習は明日からにしようぜ。いや、せめて残りの夏休みくらい堪能させてくれよぉ。」

「あまいっ!その甘さが命取りよ。練習は裏切らない。今回の事で、その事はあなたたちも身を持って知ったでしょう?」

「はぁ、しょうがねぇな。ほいじゃやるかっ!」

「げぇ~。」


「気合が入ってないぞぉ、諸君っ!声をだせっ!」

「おおっ!」


「よ~しっ、これから学校まで走りこみだ~!」

「げぇーっ、それは勘弁してくれ・・。」


かくして、翌年の春の甲子園に優希を招待すべく、秋の大会に向けて部員たちの猛特訓がまた始まったのであった。


-完-

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