共学の中の男子クラス
今週もありがとうございました!
来週もよろしくお願いいたします。
堺の包丁鍛冶屋の息子に生まれたこともあってか職人気質は引き継いでいるようで、モノ造りは大好きでした
小学校の時の将来なりたい職業は発明家でした
電気仕掛けとか、機械仕掛けの仕組みにものすごく興味があり
ということは、幼少の頃より懐中電灯を分解したり組み立てたり、時計を分解したり組み立てられなくて怒られたりしていたわけです
小学校の授業でゲルマニウムラジオ(電池のいらないラジオ)を組み立てたことと、中学2年生の時に技術の授業でトランジスターラジオを初めて半田ごてを使って組み立てたりしたことを鮮明に覚えています
また、それまでも叔父に貰ったクラシックギターを自分なりに弾いていたのですが、高校入学と同時にエレキギターとギターアンプを手に入れることができました(合格祝いというやつですね)
そこから本格的に半田ごて少年の道にも進んだのです
ようするに自分の理想とするギターの音を出したいがため、エフェクター等を自作していたのですね
高校2年生の時に進路はどうする?となり・・・理系を選択肢ました
目指すは電子工学です
これまたようするに自分の理想とするギターの音を出したいからという・・・一直線な思い込みの激しい単純な理由からでした
全てはギターを中心に廻っている
半田ごて少年もそれを補う姿でした
高校3年生は理系クラスとなりました
通っていた学校は公立の共学で私服通学OKという自由な校風でした
夏場のワタシはTシャツ、ジーパン、下駄で自転車通学していました
さて、この理系クラスは1学年11クラスのうち3クラスあり、さらに私の入ったクラスだけ全員男子というクラスでした
当時はもともと理系クラスでは男子が多く、他の2クラスも女子16名で男子30名というような構成でした
ということは文系クラスも2クラスほど女子30名、男子16名というクラスがありました
さて、私の所属した3年11組の教室は校舎の最上階のそれも東の端にありました
そして隣が階段でその向こう側に10組から1組の教室が並んでいたのです
ということは、ほとんどの人は11組の前を通ることはないのです
手前の階段で昇降します
男子ばかりのクラスで、関係者以外人通りのない教室の前
「アウトロー」と呼ばれて、女子から言わせると雰囲気が変なので行きづらいと言われていました
しかしですね・・・
これが本当に愉快な一年間だったのです
私も生まれて始めて男子ばかりのクラスに所属して新鮮でした
出席番号も今までではありえない42番とかでしたね(通常は男子が1番からで、女子がそれに続くので男子はいくら後ろでも20番代前半ですね)
この出席番号が後ろだったお陰で遅刻を免れたことも多かったです(笑)
同時に入ったクラスメートが遅刻で、私は違うかったなんてこともありましたからね・・・
男子校ではないので、教室の前に出て廊下を見渡せば女子はいます
でも、教室内は極めて自由奔放
先生ですら授業にTシャツ&海パンでやってきて
「お前ら暑かったら脱いでもええぞ!」なんて言い出す始末ですからね
ただ、流石に女性の先生はどう思っていたか・・・今思えば全然考えたこともなかったですわ
男子ばかりのクラスは私の人生で後にも先にもこれ限りでした
まさに私にとっても、高校全体のクラスでもオンリーワンだったのです
その後私は物理Ⅱで転けまして大学は文系へ転換したわけですが半田ごて少年は独学でずっと続いています
そして大学生の時にまさかのオーディションに受かりまして細やかな職業ギター弾き野郎の端くれになりました
そこからは学生なのか、労働者なのか、わからない生活になりました
あの自由な校風のさらに自由な1年間・・・
損得なしに生きることができるのは宝物ですね