おかえりなさい
――晴れ渡る青空の下。
グラスネスの町は相も変わらず静けさを保っている。
ハルはその閑静な町の、当たり前の風景が冒険者ギルドによるものだと知っているし、そのうえで誰もが自分の生活の外の世界の端で起こったことに無関心であるように感じる。
(そんなの、どこでも同じことか)
そう思い、ギルド会館へと向かう。
この町との別れが迫っていると思うと少し遠回りもしたくなるが、そこはきっぱりと自分の中で折り合いをつけている。
事を終わらせた後はまっすぐに帰ると最初から決めていた。
そうしていないと、いつまでも居たくなってしまう。
「おかえりなさい」
ギルド会館の玄関の前で、見慣れた女性が深々とお辞儀をする。
黒いスーツに黒い手袋をした威圧感のある服装の受付嬢、レヴィだ。
「珍しいですね。お出迎えなんて」
「お出迎えではありませんよ。お見送りです」
「そういうことですか」
ハルが戻ってきたらすぐに帰られるよう準備を整えていたのだろう。
「安心してください。特権を行使して、誰も来られないようにしてあります」
それなら、と前置きをしてハルは聞く。
「あなたが私をこの世界に連れ込んだんですか?」
「人を犯人のように言わないでください。あくまで私は冒険者ギルドの裏方でしかありませんよ」
彼女は目を細めて笑みを浮かべる。
その表情が嘘か本音かハルにはわからない。
「疑り深いですね。でも、本当に、私の手であなたをこの世界に連れてきたわけではありませんよ?」
「それにしては詳しすぎますよ」
「死んだあなたの命を救った時に、偶然この世界に落ちてしまっただけです」
「ほら! ……えっ、どうして助けたんですか?」
「それは必要だったからですよ。この世界は止まらない呪いの連鎖が進んでいた。魔女カースを止めていただけたのは、私たちの世界にとって大きな功績です。……それよりも、私について知りたいこととか、ありませんか? どうして魔女よりも長く生きているの、とか」
普段のクールな装いもどこへやら、彼女は質問をわくわくとした様子で待っている。
しかしハルは、今更そのようなところに言及する気は全くない。
「まあ、それは、そういうものだと思っているので……」
そう答えると、レヴィはあからさまにがっかりしてため息をついた。
「基本世界の住人は想像力に富んでいると聞きましたが、気にならないとまで言われるとさすがに驚きます」
「基本世界?」
ハルが聞き返すと、彼女は待ってましたと言わんばかりの勢いで話し始めた。
「はい! この世界はあなたの世界をコピーして作られた極小の箱庭です。驚きましたか?」
「そうですね。海もありませんし。魔女のことを考えると考えられないことはないです」
世界に新しいルールを加えるなんてことが簡単に起こるのは、誰かに管理された結界のような世界の中だけだろう。
「あまり驚いていませんね?」
「予想できる材料があったのと、ここが箱庭だからって偽物だとも思いませんし……」
少なくとも、この世界に生きている人たちは自分で考えて行動する本物の人間だ。
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「えっと、ちなみに、レヴィさんが作ったということでいいんですかね?」
「いえ、そうではなくて。私もこの世界で役割を与えられたひとりに過ぎません。受付嬢の役割を逸脱しすぎると厳罰がありますよ」
「魔女のように?」
「そうですね。私の場合は一度で確実な消滅なのですけれど」
「笑い事じゃありませんよ」
「私は真面目ですから問題ありません。それに、何度もチャンスを与えられては緊張感に欠けます」
彼女は鼻息荒く言う。
言われてみれば、そうかもしれない。
「それで、今この時間は逸脱した行為ではないんですか?」
「今の私は創造主よりあなたへの言葉を預かっている身なので。そのための状況作りであれば、職務の範囲内であると言えます」
「あっ、定義を広げて対応するタイプの人……」
「しーっ!」
彼女は少女のようにいたずらっぽく笑う。
こうして話していると段々と精神年齢が幼くなっていくような印象がある。
とはいえ、今更彼女にどんな不思議があったとしても、詮索しようとは思わない。
そもそも何千年も生きているだけで理解の範疇を超えている。
「それではそろそろ、お時間となります」
「時間があるんですか?」
「ふたつの世界を繋ぐ時間の回廊はとても緻密な操作の必要なもの。それも生者が歩くとなると、繋げるタイミングがよりシビアになります。そのうえで、ふたつの世界を繋ぐ橋を自分の足で歩くのですから、死体で来るのとはわけが違いますよ」
「具体的にはどうすれば?」
「怖じけないのですね。もしも失敗すれば、あなたはどちらの世界にも戻れず消滅してしまうのですよ?」
「今更何を言っているんですか? それに、私は死にませんよ」
ハルは無邪気にはにかんでみせる。
ずっとそうだった。
ハルは自分が失敗して死ぬ時のことなど一度も考えていない。
しかしその気持ちはあっても、バスでは不覚にも死に至ってしまったのだが。
レヴィが地面に手を当てると、もこもこと土が盛り上がり、やがて一枚の扉が姿を現す。
隙間から光の漏れ出しているその扉は、異世界に繋がっているという説得力が十分にある。
「あと二分で座標が重なります。これを逃せば次の世界間移動は早くて二百年後となります」
「二百年後!?」
「それでも、これほど近くまでは来ませんから、渡るのは困難でしょうね」
「じゃあ、絶対失敗できませんね」
ハルがドアノブに手を伸ばした、その時だった。
流星のような煌めきと共に、よく知った魔力が凄まじい速さでハルの元へと突き刺さる。
「ハル!」
「あ、ファリスさん」
「なぜ貴様は何も言わずに去ろうとする! 別れの挨拶くらいさせてはくれないのか!」
「そ、そんな人だとは思わず……」
「この鈍感!」
ハルが困りながらレヴィに目をやると、彼女はニコニコと笑っている。
彼女はファリスがここへ向かっていることを知っていたのだろう。
だから、それほど重要ではない雑談で時間稼ぎをして、ファリスが到着するのを待った。
「元の世界に帰ったら、次はいつ来られる?」
「それは――」
レヴィに目線を送ると、彼女は静かに首を振った。
「彼女は一億分の一以下の確率で今こうしてここに立っています。再会を期待することは現実的ではないかと」
ファリスも薄々理解していたのか、口を尖らせたまま、それ以上追求しなかった。
「ファリスさん、挨拶をせずに帰ろうとしてごめんなさい。私、この世界で友達になれたのはファリスさんだけでした。なのに、その友達に挨拶をせずに帰ろうなんて……」
「待て待て。グレゴリは? お前と一緒にいたあの竜の人はどうした」
「グレゴリさんは竜の常識で考えますから、人の考える関係性とは少し違うと言われました。竜の言葉で『イコイェンイア』、人で言うところの家族という意味だそうです。それに、竜に別れというものはないそうです。寿命が長いから鈍感なんですかね」
「まあ、変わり者のお前たちが納得したのならそれでいいが……。ああ、そうだ。私もこんな話をしにきただけじゃない。預かり物がある」
「へ? これって……」
ファリスに渡されたのは小さな指輪。
緑色と赤色の装飾が控えめに施されている。
「昔、マグノリアとバーンさまが戯れで作った魔道具だ。草と火の魔法を混ぜられないか実験していたらしい。お前なら使えるだろう」
「いや、でも、こういうのって持って帰れるんですか?」
「私は気がつかなかったことにしましょう。それくらいの恩賞はあってしかるべきことをなさいましたので。とはいえ、元の世界でも同じように使えるかはわかりません。ただの指輪になるということもありえますが、よろしいでしょうか?」
「かまいません。お土産ですから」
そんな話をしていると。
レヴィの出現させた扉のふちが光り輝き始める。
「いよいよですよ。世界と世界の壁がここに重なります。光が最大になった時に、扉を開けばハルさんは帰れますよ」
「最大って曖昧ですね。これくらいですか?」
ハルがドアノブに手をかける。
ゆっくりと、ノブがひとりでに回転し、扉が奥へと開いていく。
眩い光があふれ出てくる。
「本当に終わりみたいですね。私も湿っぽいのは苦手なので。皆さん! 長い間お世話になりました! さようなら!」
ハルは大きくお辞儀をする。
ファリスは不満そうにため息をついていたが、レヴィは小さく手を振っていた。
ハルはふたりの顔を見て、満足気に笑った。
そして、まるで春風のように躊躇なく軽やかに、扉の奥へと消えていった。
――白。
視界を覆っていたのは眩いばかりの白色。
直後、自分が眠っていることを自覚する。
「――目が覚めたか?」
ハルの顔をのぞき込むのは、見覚えのある顔だ。
銀縁の眼鏡をかけていて、眉間にややシワを寄せている。
「ツミキ……。ここは?」
「病室。私の予想よりも早い帰還だった」
「予想?」
ツミキは安心したのか、ハルから顔を上げて、小さくため息をつく。
「順番に話そう。まず、ハルは腹を刺されて気を失っていた。私は生死を疑っていなかったが、医者が心配していたぞ」
「私も死んだと思ってましたからね」
「他人事みたいに……。ともかく、こちらの時間では数日も経っていないが、そちらでは何年も経っていたんだろう?」
「時間の流れがそんなに違ったんですか」
ハルが起き上がろうとすると腹部がずきずきと痛み、事が起きてまだそれほど時間が経っていないことに納得する。
ツミキの言っていることは正しいのだろう。
「それで、どうだった? 異世界は」
「そうですね。何から説明したらいいか……」
ふと、手元を見ると、小さな指輪が握られていた。
「それは?」
「お土産です。見ますか?」
渡そうとすると、ツミキは首を振った。
「いや、それに私がさわるのはやめておく。効力に変化が起きるかもしれない。捨てたいのなら代わりに廃棄するが」
「す、捨てませんよ! じゃあ、つけておきます」
「退院したらな。私は医者を呼んでくる」
ハルはツミキを見送って、また天井に視線を戻す。
まだ豊かな森林と行き交う人々を鮮明に思い出せる。
しかし、鼻から入ってくるどうしようもない消毒薬の匂いがここを現実だと知らせてくる。
「帰ってきたんだ……」
枕の感触に頭を委ね、そっと目を閉じる。
夢の中でなら、また行けるだろうか。
そんなことを考えながら、眠りにつく。
頬をそっと、花の香りが撫でた気がした。




