どこかしら
『なり損ない』がただの魔物と大きく違ったのは、その知力にある。
シャドウの作った竜の贋作は、人間の脳をふたつ搭載した高性能な禁域の主だった。
言葉を話す機能は持たないものの、目の前に現れた人物の危険度を、その魔力から察する。
自分より強いとは思わないが、油断をすれば足をすくわれる。
なり損ないはシャドウから与えられた影の権能を十分に身に纏う。
粘着性のあるドロドロとした影は、身体全てを完全に覆った。
カルマに与えられていた力は彼にはもったいない力だった。
影の魔力はあの臆病者には到底使いこなせない。
「泥で雷を防いだか」
敵は剣を構えた。
先ほどの攻撃はこちらの防御膜を敗れなかった。
あれはそれほど怖い武器ではない。
しかし、あの男の攻撃は恐らくこれが全てではない。
鷹が鋭い爪を持つように、蛇が猛毒を持つように、その外見からは判断できない特別な武器を隠し持っている。
慎重に様子を伺っていると、彼が素早く跳び上がり、頭上へ迫る。
フェイントも駆け引きもない、呆れるほどに正直な攻撃だ。
タイミングを合わせて、影を無数のトゲへと変えて、回避できない大きさと数で彼を仕留めようと待つ。
そのままだと確実に当たるはずだった。
だが、彼が突然数歩横へ移動した。
どうやって空中で移動したのかと考える間もなく、剣が眼前へ迫る。
剣がぶつかると鋼の甲高い音が鳴り、大きく跳ね飛ばされた。
そして、次の瞬間に、剣から放たれた雷が影の防御膜を剥がして散らす。
凄まじい衝撃だが、まだ体表まで到達していない。
敵の攻撃は連続で放ってこない。
これなら全く問題ない。
影のトゲを伸ばして、彼を追尾する。
いくつかは剣で弾かれたが、数本が彼の身体へ突き刺さる。
「ぐっ……」
彼が小さく呻くのを聞いて『なり損ない』は内心ほくそ笑む。
この程度のやつは手早く殺してシャドウと合流したい。
たくさん褒められて、もっとたくさんの魔力をもらいたいのだ。
そして、その力でもっと人を喰う。
ただの魔物を狩りに来たと思い込んでいる馬鹿な人間を、喰えば喰うほど強くなれる。
将来の展望に期待を寄せていると、俯いた敵がバッと顔を上げてまた突っ込んできた。
(同じ事ばかり。所詮は人間か)
とどめを刺すため、影のトゲを周囲に仕込み、回避不可能な全方向からの一斉射撃を試みた。
間合いに入った瞬間、凄まじい爆音と共に、無数のトゲが発射される。
今度こそ全弾命中し、ぐちゃぐちゃの蜂の巣になった彼の汁をすすってしまいたい。
――『なり損ない』は気が付く。
汁などどこにも飛び散っていない。
影でできたトゲは全て彼の体表の少し前の空間で止まっていた。
「お前のおかげで外殻の張り方を学べた。感謝する」
バチバチとした青白い雷の光が、トゲを止めていた。
ありえない。
竜の防御膜の張り方から着想を得たシャドウが開発した新しい魔法だ。
それを見ただけで真似るなど、とても信じられない。
「俺はまだ強くなれる。お前もまた、糧になれ」
彼が剣を構える。
先ほどまでとは事情が違う。
これは戦いではない。
捕食する者と捕食される者を決めるための、弱肉強食の生存競争。
防御膜の仕組みを理解した彼が狙ってくるのは、アレしかない。
『――竜が竜同士の争いでどうやってこの強固な守りを突破していたと思う?』
昔聞いたシャドウの独り言が頭の中に響く。
『竜の魔力の外殻は物理的なそれを遙かに凌ぐわ。だから、竜同士だとまずはお互いに外殻を押しつけあって、破壊して、爪や牙を叩き込む。どんな個体でも一度剥がされた外殻を元に戻すのは、すぐには無理。その間に決着をつけるのよ。まあ、これが人に竜を倒せない理由だったのだけれど、ヘルメスが簡単に解決してしまったわね。流石は鍛冶の申し子。仕組みの理解だけで簡単に再現してしまうなんて。うちにも欲しかったわ』
敵の剣が迫る。
『なり損ない』は無様に背中を向け、影の中に逃げ込もうとした。
一度離れて遠くから攻撃をすればまだ勝機がある。
敵の剣が触れる感覚がする。
卵と卵をぶつけたような、軽い破裂音が聞こえ、自分が丸裸にされたことを察する。
敵もこちらが逃げようとしたことは理解しているだろう。
だからこそ、ここで反転、後の先をとる。
そんなことを考えていた『なり損ない』の考えは一瞬で消える。
雷を纏う黒い鎧の男は、明らかに、捕食者の瞳をしていた。
蛇に睨まれた蛙は、竦んで動けない。
立ち向かうことも、逃げることもできない。
死の恐怖を濃厚に感じ、そして、ただただ時間の感覚が間延びする。
(死ぬ? 俺が?)
ふたつの脳を限界まで稼働させる。
全てがゆっくりに見える。
しかしまだ、諦めきれずに視線は自然とその周囲を探していた。
何か、何かないか。
そうしているうちに、敵の動きの先が見えるようになった。
死の間際で新しい能力に目覚めたに違いないと感じた『なり損ない』は、驚喜に震えながらも、冷静に敵の動きを観察して考える。
次に足を置く場所や、呼吸のタイミングまで予測できる。
ならば、足に合わせて攻撃を置けば、勝手に刺さってくれるに違いない。
しかし、そこに罠を仕掛けた瞬間に彼の予知の内容が変化した。
凄まじい反射スピードで罠を回避する彼が見えた。
ならば、次は手が動く先に鋭い刃を置く。
それも回避される未来が見える。
ならば、ならば――。
影で作られた偽物の竜は、地面に倒れ伏していた。
グレゴリの剣は正確に彼の脊髄を断ち、脳にも一撃を入れていた。
「死んだか。妙な動きをしていたが、能力が暴走したようだな」
きっと彼の意識の中ではまだ攻撃を回避し続けていることだろう。
時間が止まっているような感覚に陥ったとしても、実際のところ、時間は止まらない。
剣によるシンプルな一撃に勝るものなどないのだ。
「さて、これはもらうぞ」
グレゴリは彼の中から手のひらほどの大きさの竜の鱗を取り出す。
シャドウの生み出した魔物には例外なく力の源になる竜の欠片が含まれている。
以前は地下に収集していたものがあふれ始めているのだろう。
嫌な予感は続く。
ハルの方に目をやると、シャドウは戦わず、一定の距離で会話を交わしていた。
「――宵闇の使い心地、いいでしょ」
「おかげさまで」
ハルの手に握られている影の小太刀は彼女にもらったものだ。
余計な魔法がかけられていないことはマグノリアに確認してもらっている。
しかし、彼女がこれを渡した意図は理解しているつもりだ。
能力の他に魔法を付随させないことで、裏がないことを証明したのだ。
これに少しでも情報収集のための魔法をかけていたら、マグノリアは信用してくれなかっただろう。
そうすると、彼女とハルとの関係性はそこで切れてしまう。
ハルがただ、宵闇を便利な道具として使い続けている限り、そこには縁が存在する。
これは魔法や武力では介入することのできない、社会的な繋がりだ。
こうしておくことでシャドウがちょっかいをかける理由だけは残したままにしておいているのだ。
「あなたの考えの通り、宵闇は私に効く。形のないものを切るのにこれほど適した刃物はないものね」
「痛いですか?」
「痛いわ。でもね。私がこれまでに受けてきた痛みに比べたら些細なものよ」
「知りませんよ。今、忙しいんです。今日、ここに来たのは私たちと会うためですか? それとも別の目的ですか?」
「そうね。別の目的で来たのだけれど、そこにあなたたちが来たという形になっているわ」
シャドウの手のひらに黒い影の塊が集まり、それが心臓の形を成す。
「竜の心臓よ。ジタの持っていた、ね」
「――それをどうするつもりです?」
「あなたにはお披露目しても良いと思っているわ。私のコレクションの完成形を」
シャドウはお気に入りのおもちゃを紹介する子供のように、本当に楽しそうに言う。
「ただし、私に出させることができるかしら?」
「私がシャドウさんを追い込めたらいいんですね?」
ハルの目が座る。
今、シャドウと遊んでいる時間はない。
「あなたがその顔をした時が一番怖いわ。野生動物とは違う技術で自我を消し、合理的な判断をする人間……。本当に、手元に欲しかった人材よ」
ハルはシャドウの影を踏まないように空中を駆ける。
彼女の視線はついてきているが、動きはない。
視界に捕らえられていたら、いくらでも魔法が放たれる可能性がある。
もっと速く、静かに、存在を消さなければ。
風に紛れ、影に消える。
ハルの姿は景色と一体となり、シャドウの魔力の探知から逃れる。
「何度見ても驚くわ。でも、私が何の魔女だったか、忘れていないかしら?」
「――っ!」
シャドウの魔力は感じなかったのに、いつの間にか足に黒い影がまとわりついていた。
「見ぃつけた」
影の魔女である彼女は、自分の意識の外のものにも反応できるのか、とハルは咄嗟に防御の姿勢をとる。
シャドウが軽く手を払うと、大きな影の塊が放たれる。
ゆっくりと、地面をガリガリと削りながら、ハルの方へと進んでくる。
「一応教えてあげるけど、当たらない方がいいわよ?」
宵闇のように実体のない魔法なのだろう。
彼女の言う通り、物理的な防御では意味を成さないかもしれない。
シャドウのくすくすという笑い声が耳元から聞こえる。
背後に現れた彼女が、ハルの胴体を両手で優しく包み込む。
力で抑える目的ではなく、ただハルの様子を間近で見守るためだけに。
ハルは宵闇をシャドウの首元に突き刺すが、彼女は意に介さない様子で避けようともしない。
ハルが身構えて迫る球体の影に触れると、まるで水中にいるかのように全身の重さが消える。
「想像して身体が強張ったわね? あなたはこれからどうなるのかしら?」
「シャドウ――」
「さようなら」
ハルは凄まじい力で上空へ打ち出された。
重力が反転し、空へ吸い込まれる。
手が届く範囲に掴めるものはない。
このままではどこまで行くのかもわからない。
焦りながらも植物の種子を生み出し、地表に向けて発射する。
急成長した木の枝に掴まり、ハルは落下を食い止めた。
手の皮がすりむけて血が滲む。
我慢できる痛みだが、ずきずきと芯に響く。
未だに世界の重力は反転したままで、全てが逆さまに見える。
上下が逆になった森はあまりにも景色が違いすぎて、普段ならすぐに見つけられるであろうハルの眼を以てしても、この中のどこにシャドウがいるのかわからない。
空中を歩ければ少しは難易度も下がるだろうが、今はヘルメスのブーツが機能していない。
魔力の上に立つ魔法では下の面には立てないのだろうか。
ふと、ハルは思う。
もうこうなってしまっては、静かな大人しい魔法だけに限定する必要はない。
相手はシャドウのみ。
あとここにいるのはグレゴリとマグノリアとカース。
「私も、もっと派手にやってもいいんだ……!」
自然と笑みがこぼれる。
力には使いどころがある。
それが今だということか。
やはり、とシャドウは空を見上げて微笑んだ。
影の上下を入れ替えて重力を反転させる魔法でもハルは死ななかった。
落下の速度は数秒で超高速となる。
そうなる前に木を植えて見事に助かった。
魔法の精度よりもその判断能力と反応速度に舌を巻く。
「どうにかして、私とお友達になってほしいのだけれど……」
シャドウの呟きに反応したかのように、空で何かが光った。
衝撃で周囲の木々がざわめく。
何の魔法を使ったのかとシャドウが眼を凝らすと、火の弾の雨が降り注いだ。
「どうして火の魔法が?」
直撃しないよう日陰に隠れて様子を見守る。
通常の火の魔法は魔女の盾であるハルには使えないはずだ。
火の魔女の力を借りるにも、現行の火の魔女ファリスとそんなやりとりをしていたところは見ていない。
それに、他人の盾に対する魔女の加護は技術的に難しく、魔女になりたての彼女では到底行えるものではない。
理屈を考えるのは後回しにしてハルの狙いを考える。
これがシャドウに有効な手だと考えて撃ったには違いないが、適当に撃っても当たるわけがない。
何をめがけて撃ったのか、と考えていると、遠くから魔法の放たれた音がした。
「まさか今ので見つけて――」
微細な魔力の反応を感じたのなら不可能ではない。
次の瞬間に目の端で捉えたのは光の線。
素早く影の盾を作り出してもそれは減衰することなくシャドウの胸元を貫いた。
「は……」
これは普通の魔法ではない。
火を洗練した光の魔法で影とは非常に相性が悪い。
ここまでの魔法はハルには生み出せない。
それこそ、先代の火の魔女バーンにしか不可能な芸当だ。
「バーン、あの時すでに、あの娘に加護を……」
元々性格の合わない魔女だった。
死んでも尚、邪魔をしてくるのか。
次の狙撃が来る前に、シャドウは影の中に沈んで隠れた。
とにかく居場所が知られている以上、移動が先決だ。
あちらに見つかる前に狩る。
そう決めてランダムな場所に出る。
「さて、どこかしら」
大気中の魔力を観察していると、微かに揺らぎを感じ、反射的に見を屈める。
「また!? いったいどうやって!?」
頭のあったところが小さく焼け焦げている。
どうやっているのかわからないが、ハルは正確にこちらの位置を把握している。
これはあまりよくない状況だ。
先ほど貫かれた胸も痛む。
――たった数手でここまでやるなんて。
予定よりも早いが、とっておきを出すことに決めた。




