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花の魔術師に誘われて  作者: 樹(いつき)
第九章 素晴らしい世界
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クソだな

インハルトの反応が遅れたのも当然であった。

突如変動した地面は砂の魔女を吹き飛ばして、巨大な樹木林を作り出した。

オークであるインハルトには魔力の探知ができない。

いかに頑強であるといえども、不安定な足場で自由に動くこともできず、カースへ手を伸ばしても間に合うことはなかった。

優先順位を変え、すぐに意識を敵へと切り替える。

姿が見えないほど遠くから、魔法をこの出力で行えるのは並の相手ではない。


(考えるのは後だ。今はまず――)


オークの知覚は野生の獣を遙かに凌駕している。

それでも、ほんのわずかな違和感しか覚えられなかった。

肌に感じた時には、身体が反射的に動いていた。


鈍い鉄の音と衝撃が防御した腕に伝わる。

おそらくは剣で切りつけられたのだろうが、篭手で弾けたところをみるに、向こうも様子見だったのだろう。


「今のを見切ったか!」

「誰だ?」


インハルトの前にいたのは、鎧を着た男。

片手には身の丈ほどの大きな剣を軽々と持っている。

普通の人間とは違ってその佇まいから少なくとも数百年の歴史を感じる。

彼は、ただの人間ではない。


「俺が誰かは重要なことか?」

「いや、必要ない」

「兜を脱げよ大男。その体格と反応速度、オークだろ?」

「如何にも」


兜を脱いで彼と顔を合わせる。

その両目はさながら憧れの騎士を目の前にした少年のように輝いている。


「生きているオークを見るだけでなく、戦うこともできるとは。まったく、長生きはするものだな!」

「なんだお前、オークが好きなのか」

「ああ! この大剣もあんたらの剣を真似たもんだ!」


彼は嬉しそうに剣を掲げてみせる。

それを見て、インハルトは目を細めた。

自分たちの生きた証はこうして残っているのだと、実感ができた。


「本物のオークなら聞きたいことがあったんだよ」


内容はおおよそ想像がつく。


「なんで滅びた? 俺は竜より前の世代をよく知らん。何百年かかけて調べたが俗説は無数にあっても確証のあるものは出てこなかった。歴史上でも生物界最強の肉体を持つ種族がまるごと骨になっちまったのは、なぜだ?」

「なぜ滅びたか、か。俺は俺が死んだあとのことは知らない。今ここにいるのは俺とお前だ。過去のオークがどうだったかなど、どうでもいいことだろう。だが、俺に勝てれば少しなら教えてやろう。知っていることだけだがな」


彼の顔が明るく輝く。

あれがただ魔族に狩られるだけだった矮小な種族の人間がする顔だろうか。


「良い時代になったのだな」

「ああ! 俺にとって良い時代だ!」


彼の踏み込みは深く、強く、早かった。

たった一度の足の運びからでも察せられる。過去対峙した武人の中でも上位だろう。

――しかし。


剣がインハルトの鎧を貫くことはなかった。

彼にとっての全力の突進を乗せたであろう突きは、インハルトにしてみると正面から先端を押し当てただけだ。


もったいない男だった。

インハルトは剣を振り上げる。

生まれた種族が悪かった。


諦観と共に消し飛ばそうとしたところを、一瞬の力みを見てインハルトは体勢を変えて彼の剣を蹴り上げた。

次の瞬間、空に向かって凄まじい威力の魔力砲が放たれた。


「チッ! 油断してる最初の一撃がチャンスだったのによ!」

「少しは工夫しているようだな。……そういえば、まだ名を聞いていなかったな」

「ジタ。魔女狩りのジタだ」

「俺は砂の魔女の盾、インハルト。またの名を王国騎士団団長インハルト=アウタラ=ダンゲイン。賜った勲章は数知れず。正真正銘、全てのオークの頂点だ。人間よ、ここまで聞いてもまだ怖じけぬか?」

「もちろん。俺は肩書きと戦いたいわけじゃねえ。お前に興味があるんだよ」


ジタの歩みに怯えや竦みは一切見られない。

胆力も十分にある。


「良き戦士だ」

「くどいな。もう戦闘は始まっているんだぜ」


ジタは先ほどよりも速かった。

左右に大きくステップを踏みながらインハルトにフェイントを仕掛けている。


右、左、正面、背後。

インハルトは全ての攻撃を、放たれたあとに見切り、防御すべき攻撃だけを最小の動きで防御する。

さっきの突きとは違い、今度の斬撃は鎧では受けきれない確信があった。


キン、キン、キンと一定のリズムで金属音が跳ねる。


「まるで嵐だな。しかし、それでは俺は切れない」

「いいんだよ。これで」

「む?」


インハルトが気が付かないうちに、左腕に血がついていた。

剣で受けた時に親指を落とされていた。

連撃の狙いは撹乱で、本当の狙いは指を落とすこと。

大きな剣でこのような繊細な技を使えることに、卓越された技術を感じる。


このまま受けると、他の指も落とされかねない。

剣が握れなくなれば、いくら頑強なオークといえどもかかしに成り果ててしまう。


インハルトは剣を横に払うようにして薙いだ。

人間の体重は重くても百キロくらいだ。

オークの十分の一以下の体重で耐えられる風圧ではない。

これで吹き飛ぶはずだった。


「まだだ!」


ジタは剣を地面に突き刺して耐え、また突っ込んでくる。


(あくまで距離は開けさせないつもりか)


これだけ近くでまとわりつかれては剣を大きく振りかぶることができない。


「さすがに少しうっとうしいな」

「だったらどうにかしてみせろよ。オークで一番強いんだろ?」

「ああ、今、やってみせよう」


インハルトは右足を力強く踏み込む。

地面にヒビが走り、割れた。


ぐらついた一瞬を見逃さず、インハルトは肩で体当たりをしてジタを吹き飛ばす。

そのジタへ向かってさらに駆けた。


インハルトは巨体でありながら、速い。

ジタにしてみれば、吹き飛ばされたと思ったら目の前に剣が迫っていたように見えたことだろう。

とっさに剣を盾にして受け、勢いのまま背後の巨木にたたきつけられる。

幹は割れ、めきめきと大きな音をたてながら、木が倒れていく。


「背骨がいったか?」


インハルトがうつ伏せに倒れた彼に歩み寄ろうとしたところで違和感に気が付く。

普通なら肺が潰れて息など吸えないはずが普通に呼吸をしている。

つまり、信じがたいことに、この攻撃は彼に効いていない。


追撃のために剣を大きく振りかぶって、一撃をたたき込もうとしたところで彼が起き上がり、カウンターで切り上げを放ってインハルトの左腕に突き刺した。


「悪い。なんか言ってたな。聞いてなかった」


彼は口元から流れ出る血を拭い、インハルトから剣を引き抜く。


「お前はどういう生き物だ」

「自己紹介ならしただろ。俺は俺だ。何をどう想像しているか知らないが、そのままの認識だと、お前死ぬぜ」

「面白い。オークの戦士として剣で死ねる日が来るとは思ってもいなかった」

「余裕ぶってんなよ。俺は剣にこだわるつもりはないぞ」


彼の身体がにわかに熱を放ち始める。

足下の草木がしおれて、土に横たわる。


「ギアを上げる。竜の心臓、起動」


彼は竜の心臓と言った。

ドラゴンはインハルトが戦った中でも強かった方に入る生物だ。

魔族の技術が生み出した強靱な奴隷。

高度な知能を持ちながら、それを使う術を持たなかった悲しき生物。


「竜を知ってるか?」


汗ばむ彼は、熱気を帯びた息を吐きながら苦しそうに言う。


「ああ、この時代まで生き延びていたことは驚嘆に値しない。しかし、その心臓を抜き取り、自身に移植したお前には異常性を感じる。人間という生物の特性か?」

「努力だよ」


今度はジタが素早く踏み込んで懐に入る。

インハルトがやったのと同じように、肩での体当たりを試みるも、巨体を吹き飛ばすまでは叶わず、少し体勢を崩すだけにとどまる。


竜の心臓を用いてどれくらい強くなるのか興味があったが、この程度ならもうこれ以上は期待できない。

インハルトは体勢を立て直すと同時に、剣を振りかぶって彼を吹き飛ばそうとした。

そして彼が防御をしようとしなかったことに違和感を持ったが、かまわず攻撃を続けた。

振り下ろした剣は彼の肩口に止められ、彼の勝ち誇った顔が視界に入ったあと、拳が腹部に突き刺さった。


「ぐっ……!」

「竜の強みは防御力だけじゃないぜ」


彼がさらに力を溜めると、周囲のものが衝撃波で吹き飛んだ。

明らかに先ほどよりも力を感じる。

驚くべきことに彼は完全に竜の力を手中に納めている。


「これほどの制御は魔族でも行えなかった。それを矮小な人間がここまで行えるとはな……」

「まだまだ!」


先ほどまでとは比べものにならない速さで、大剣がインハルトの頭部めがけて振り下ろされる。


(――俺たちの決め技と言えばそうだよな)


大きな剣で豪快に敵を切り伏せたい。

多くのオークの戦士はその欲求にあらがえず、敵と差し違えることも多かった。


オークの身体は魔法に凄まじく強く、筋力でも最強に近かった。

しかしその精神性故に魔族に勝つことができず、滅びの道を辿った。


インハルトの頭部に衝撃が走り、思考を現実へと引き戻させる。


「――戦闘中に考え事か!? 余裕だな!」

「フッ、兜割りとはいかなかったことが残念そうだな」


血を流しているが、剣は皮膚を切り裂くのみにとどまり、インハルトにダメージはない。


「どんな生物であれ、頭部は硬い。だが、だからこそ挑み甲斐がある」

「ああ、まったくな」


剣と剣がぶつかり合い、お互いに衝撃で一歩後ずさる。

竜の心臓の力で筋力は恐らく同等になっている。

勝負を決するのは技量と運だ。


「――俺はカースさまの力で骨から甦った。墓すらない砂の中で何千年も眠ったままだった」

「戦士として甦れたことを感謝しているのか?」

「まあな。おかげで主を守るという使命を持つことができた。しかし、強敵と戦うことに善悪も口実も必要ない」

「何の話だ?」

「つまらん独り言だ。与えてもらった命を、今この場で賭けるためのな」


インハルトは剣を両手で握り、肩に担ぐようにして構えた。

その意味を察したであろうジタの顔が険しくなる。

オークの本気の剣圧を前にして、立っていられる生物は少ない。


「竜の肝、流石だな」

「来るなら来い!」


ジタもインハルトと同じ構えをとり、吠えた。





空気がビリビリと震えていた。

オークの構えは文献で知っていたとはいえ、本物は初めて目にする。


(魔力がなくてもこれだけの圧か……!)


その身体に満ちる力強さから、繰り出される攻撃の威力と未来が見える。

竜の心臓の恩恵を受けていても、ジタの身体は唐竹割りにされる。


だが、ジタの手にあるのは金の冒険者の試練の報酬である不壊の大剣だ。

物理的な衝撃で破壊されることはない。


(駄目だった時のことなど考えても仕方ない!)


オークは受けろと言った。

ジタの信じる戦鬼オークなら、防御はしても回避はしない。

必殺の一撃であるなら尚更だ。


大剣を盾にし、インハルトの攻撃を受けるために腰を据える。


インハルトの剣が振り下ろされる。

時間の流れが遅くなる。

太刀筋の空気が裂けていくのが分かる。

この攻撃は恐らく魔力ですら断つ。

これだけ大味の剣でありながら、熟練の剣士のような技も持つ。


(素晴らしい……!)


ならば、こちらも全力で応えなければなるまい。

刀身の前に魔力防壁を張る。

ジタの魔力ステータスを以てすれば、一瞬で二十の壁を作れる。

さらに魔女の心臓による魔力補正で天変地異にすら耐えられる硬さを持つ壁となる。


この世界で、今のジタの圧倒的な生物としての強さに比肩しうるのは、冒険者ギルドのレヴィくらいだろう。


――力、技、速さ、硬さ。

その全てが最高水準でありながら、それでもまだ、インハルトに勝てる未来が見えてこない。


剣というにはあまりにも分厚い力の塊が迫り来る。

最初の衝撃を受けた魔法の障壁は、まるで薄い砂糖菓子のように砕けて消える。

二十枚の壁はまるでそこに何もなかったかのように割れていき、やがて、ジタの元へと到達する。

多少は衝撃を吸収してくれることを期待していたが、その剣が触れた瞬間、その祈りは露と消える。


剣と剣が触れ合った瞬間、ジタは両耳の鼓膜が破れたのを感じた。

何の音も聞こえない静寂の間。

そして、まるで遙か上空から大岩を落とされたかのような衝撃に、思わずうめき声をあげる。

しかし、それでも、膝はつかない。

両手で刀身を支え、重心は低く、吹き飛ばされないように身体を支える。


声は聞こえなかった。

だが、インハルトの驚くような顔を見て、反撃のチャンスを見出す。


指を落とした時に確信した。

オークは確かに強靱な生物だ。

しかし、その肉体の硬さはドラゴンほどではない。

だから、勝てる。


ジタは土の魔法を使って、周囲の土を巻き上げ、風の魔法でそれを四方八方にまき散らした。


「目くらましか!」


そう叫ぶインハルトの声も、ジタの耳には届かない。

すでにジタはインハルトの背後まで回り込んでいた。


「受けてみろよ」


その声が聞こえたのか、インハルトが振り返ろうとした時、すでに刃はその胴へ到達していた。

手に伝わる肉と骨の感触。

脊椎動物の背骨は絶対的な弱点だ。


「――見事」


ほぼ即死であるはずのインハルトの表情が、わずかに緩んだ気がした。

地面に上半身が倒れ込み、下半身から大量の血液が噴水のようにあふれ出す。


「……ああ、勝った。俺は、勝ったんだ」


凄まじい達成感が全身を駆け巡る。

子供のころ、偶然読んだ書物に登場した戦士オークの強さを、ずっと目指していた。

人間としての姿を保ったまま、オークの域へ達することを、夢見ていた。


その夢を話したことのあるのは、唯一、バジルだけだった。

彼はジタの夢を笑わなかった。

共に強くなろうと約束した。


ジタは脱力から剣を手放し、膝をついて天を仰ぐ。

――もういい。

砂の魔女も、花の魔女も。

あんなに気になっていたオークの滅びた理由ですら。

あとは残ったやつらで好きにしたらいい。


そうして感慨にふけっていると、胸元に違和感が走った。


「やっと隙を見せてくれたわね」

「シャドウ……!」


影の魔女は木陰の暗闇から姿を現す。

ジタの胸元には鋭い短剣が背後から突き刺されていた。

後ろに視線をやると、細身の男がしっかりと剣を握っている。


「お前なら暗殺はお手の物か」

「そうね。どんなに強い人でも、勝利を噛みしめている瞬間だけは隙ができるものなの。後学のために覚えておくといいわ。どうせあなたは死ぬけれど」


ジタは激しく吐血した。

寸分の狂いもなく、ジタの心臓を貫いている。

まだなんとか意識を保っているのは竜の心臓のおかげだろう。


「目的は、何だ」

「私は冥土の土産をあげるほど優しくないわ。どうぞ、安らかにお眠りなさい。あなたの仲間たちの元へ、向かうといいわ」


ジタの意識もあと数秒しか保たないだろう。


瞬時に火の魔法を発動し、背後にいた暗殺者を焼き払う。


「流石ね。火の魔法なら影ができないから逃げられない」


シャドウは遠くから拍手をした。

おそらく、背後にいたのは彼女の盾だ。

ジタの影に潜んで、奇襲をかけてきた。


「シュネーを殺した時も、こんな感じか?」

「いえ、あの子はもっと簡単だったわ。寝込みを襲ったもの」


悪びれもなく、彼女は言う。


「クソだな、お前」

「そうよ。私は醜悪で陰湿で、手段を選ばない」


ジタの意識が遠のく。

せめて彼女に一矢報いたかったが、用心深い彼女は、盾が死ぬ前に、ジタの剣を離れたところへ蹴り飛ばさせていた。


「ありがとう、魔女狩りさん。あなたのおかげで、私の目的が楽に達成できるわ」


視界も朦朧とした中で、最後にそんな台詞を聞く。

しかし、ジタは不思議と心配していなかった。

まだ、シャドウに対抗しうる強者は残っている。

すぐにここへ駆けつけるだろう。


ジタは地面へ倒れ込んだ。

自分の血とインハルトの血が混ざった大きな血だまりの中に沈む。


やがて目を閉じ、そして、そこにはかつての仲間たちの姿が浮かぶ。

しかしそこにはまだマグノリアの姿はない。


(やれやれ。俺もやっとこっち側か)


白い光が遠くに見える。

バジルとシュネーは歩き出さない。


(待つのかよ。律儀だな)


ジタはそこに座り込んで、頬杖をついて、ため息をついた。

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