今の俺には必要ない
――それはいつか見た懐かしい風景。
砂の魔女を前にしても、外見は変わっても。
あのふたりの背中は頼もしく思える。
年老いたジタは背にした大剣に手をかける。
その手には無数の古傷と深いシワが刻まれているが、力強く剣を握っている。
「俺から行く。魔女、その槍のような鋼鉄の箱は作れるか? 砂の魔女の一部を閉じ込められるか確かめたい」
バーンは不服そうに槍を火柱の中にしまい、無骨な正方形の鉄箱を取り出した。
魔力のこもっていない鋼鉄の箱は、通常の鋳造では作れない。
「一部を閉じ込めるってどうやるつもりだよ。触ったら砂に変えられちまうぞ」
「切り飛ばせば良かろう。少し離れて蓋を開いて待っていろ」
「いやだから、普通の剣じゃ当たった瞬間に砂にされて切り飛ばせねえって――」
「俺のは普通の剣じゃない」
ジタは剣を振り抜くと同時に、砂の魔女カースを頭部から縦に両断した。
飛び散る砂塵の中で、ジタは不適に笑っていた。
「金の冒険者の報酬で手に入れた不壊の大剣だ。当然、魔法にも適応される」
素早く剣を握り直し、今度は横に薙ぐ。
十字に裂かれたカースは無機質にジタへと視線を合わせている。
しかし、いかに砂の魔女と言えども、身体の修復と攻撃を同時には行えない。
砂の粒が地面に落ちるよりも早く集まり、元の身体を形成しようとしている時間はほんの一瞬だった。
その一瞬で、ジタはカースの左腕を切り飛ばしていた。
老剣士とは思えない動きの早さにマグノリアは驚嘆する。
「魔女!」
「あたしの名前は魔女じゃねえ!」
バーンは宙を舞う左腕を鉄の箱に閉じ込め、素早く閉じて鍵をする。
ジタとバジルは大きく離れて様子を見守る。
再生を終えた砂の魔女は、左腕だけが欠損していた。
「やはり、あくまで肉体は肉体か。他の砂粒じゃ補填できないらしいな」
「それに、鉄箱も変化する様子がない。この
方法なら砂の魔女を倒せる……!」
バジルとジタの表情に勝機の色が浮かぶ。
頼もしいことこの上ないが、この作戦には問題点がひとつある。
「悪いがそれはできない」
バーンが切り出す。
「あたしは同じものをふたつ出せねえ。簡潔に言えば、砂の魔女を封じ込めるための箱はひとつしか作れない」
「類似品も無理か?」
「無理だ。『魔力を全く含まない檻』はひとつしか作れない。形を変えても使用目的が同じなら不可能だ」
ジタは少し考えるそぶりを見せると、先ほど砂の魔女を封じた箱を突然断ち切った。
中に入っていた左腕はすぐさま霧散した。
「な、何を!?」
「ひとつしか入れられないのなら、入れるべきものは決まっているだろう」
バーンもそれを聞いて、ジタの目的に気がついたように目を丸くする。
彼は魔女の弱点のことを知っている。
心臓と呼ばれる魔力の塊。
あれを奪えば行動できなくなることを。
彼らが悠長に会話している間、カースも待っていてはくれなかった。
彼女が戻った左手を軽くかざしただけで、凄まじい速さで空気中の魔力が砂に変えられていく。
その波の向かう先はバーンだった。
彼女は舌打ちをすると、炎の壁を作ってその背後から鉄の槍をカースに向かって放つ。
目くらましの奥から突然放たれた攻撃に対処できず、カースは衝撃で粉々に砕け散った。
「――なんだ、こいつの心臓は」
バーンが驚くのも無理はない。
マグノリアも、こんな形の心臓があることは知らなかった。
まさか、粒状のガラスの欠片の集まりだとは、思ってもいなかった。
不定形ではあるものの、ある程度の形を保っている。
しかし、手で触れるにはあまりにも繊細で、少しの衝撃でバラバラになるところが安易に想像できる。
「こんなもの、掴んでしまえばいいだろ」
手を伸ばすジタに、マグノリアは大声を上げて制止した。
「ダメです! これは砂の魔女の核ですよ!? 触ったらその瞬間に砂に変えられてしまいます!」
「じゃあどうするんだよ。もう治っちまうぞ」
カースの身体は明らかに再生が遅くなってきている。
心臓が外に出ているせいだろう。
「俺がやろう」
バジルがそう言って迷うことなく砂の魔女の心臓を手に取った。
両手で包み込むようにして優しく手に取ると、バーンの元へ向かう。
「バジル……!」
マグノリアも今回ばかりはバジルを失う覚悟をしていた。
砂の魔女の力を侮っていなかったし、最初から無傷で済むとは思っていなかった。
カースがバジルへ向かって手を伸ばそうとしたのを、ジタが剣で切り飛ばす。
「お前の負けだ。心臓は諦めろ」
ジタはあまり嬉しそうな顔をしていない。
今他に手を思いつかないのだから仕方ないとはいえ、友人を二度失うつらさは計り知れないものだろう。
バジルの背中から腰へかけて、ゆっくりと砂へ変わっていく。
治癒する魔法を使いながら歩いているが、全く追いつかない。
マグノリアから身体を再生成する魔法をかければ間に合うかもしれないが、それだと魔力を伝播してマグノリアも砂に変わってしまう。それはバジルも望まないだろう。
砂の魔女の心臓はバーンの鉄の箱へと納められ、残った身体が崩れ落ちてひと握りの砂になった。
しかし、バジルの砂化は止まらない。
「もしかしたら、心臓を封印すれば止まるかもと思ったんだけどな」
「今度は本当に死ぬのか?」
ジタの問いかけに、バジルは優しい声色で答える。
「さあな。だけど、もう一度俺をよみがえらせるようなことはしないだろうさ」
マグノリアは言葉もなく膝をついていた。
うまく体に力が入らず、地面がぐらぐらと揺れる。
少し気を抜けば気絶しかねないような状態で
バジルがバーンから鉄の箱を受け取るのを見る。
バジルは全くよろける様子もなく立ったまま溶けていく。
今度は、ちゃんとお別れを言いたい。
マグノリアは皆の視線を感じながら、根性だけで歩み寄ろうとした。
そして、次の瞬間に気が付いた。
「――全員伏せて!」
その言葉が届く前に、三人は背後から迫る脅威に気が付いて回避の姿勢をとっていた。
波紋と言う他ない。
砂の山となった砂の魔女を中心に、幾度も輪が広がる。
「心臓を探しているのか!?」
「バジル!」
マグノリアは半分ほど身体を失ったバジルを殻に封じ、手元へ移動させる。
波紋の間を抜けたことで影響は受けていないが、完全に砂になってしまうのは時間の問題だ。
「……まだ、戦えますか?」
「あと一回だけだぞ」
バジルは嬉しそうに微笑む。
足りない部分はバジル自身の魔法でツタを編んでなんとか形を保っているだけだ。
「砂の魔女は今、空気を含む全てのものから魔力を吸っています。このまま周囲の生き物を無差別に食い尽くしていっても、心臓なしに人間の姿に戻るには何年もかかるでしょう。その前に可能な限り散らしたいと思ってます」
「で、どうする?」
マグノリアは言いよどむ。
しかし、迷っている時間はない。
「バジルをあの波紋の中心に向かわせて、爆発させます。私の魔法を使いますが、大本であるあなたを媒体にすることで、私まで魔力を伝うことはできません」
「やっと、俺と別れる決心ができたか」
「できてませんよ。嫌に決まってるじゃないですか。でも、どこかでこういう瞬間を待っていた自分もいるような気がするんです」
だらだらと日常を暮らしていくのも悪くはなかった。
でも、そんな平和な暮らしに満足できるのなら、そもそも冒険者になどなっていない。
誰かの役に立ちたかったのではないのか。
そしてそれは、彼も同じではないのだろうか。
「自分勝手ですみません」
「そんなことで謝っていたらジタなんてどうなるんだよ」
「たしかに、そうですね」
「さて、最後の大仕事だな。いくぞ」
バジルは波紋をくぐり抜けながら、素早くその中央まで向かう。
「シエルさん、ふたりをここへ!」
声をかけると同時にバジルがふたりの間を駆け抜ける。
その時に発動しようとしている魔法の大きさを察したのだろうか。
波紋の中心へ向かうバジルを制止しようとはしなかった。
シエルが必死の形相でふたりをマグノリアの隣へ移動させる。
「アイツ、笑ってた……」
バーンが乾いた声で呟く。
ジタはバジルの姿を見て、満足そうにしている。
マグノリアは今使えるだけの魔力を全てバジルに込めた。
もう逃げるにも人の手を借りるしかないほどだ。
「シエルさん、逃げるだけの魔力、残ってますか?」
「あなたと同じくらいよ……」
「じゃあ、バーンさんにどうにかしてもらわないといけませんね」
マグノリアはバーンの方を見る。
「何をするつもりだよ」
「私たちへの防御、お願いします」
「は?」
「――発芽」
発光と共に空気が凄まじい力で吹き飛んだ。
何が起こったのかマグノリア自身も把握できないほどに、轟音と衝撃に全てが包まれた。
バーンが鋼鉄のシェルターを作り上げて衝撃からマグノリアたちを防御しているが、ただ身を丸めて砂の魔女の心臓を守り抜くことしかできない。
外が静かになり、少し様子を見ようと隙間から顔を覗かせようとした時、ジタが肩を引っ張った。
「待て。バジルの気配は消えたが、砂の魔女の気配は消えていない。今最も嫌なのはお前らの誰かが食われて魔力を回復されることだ。そうだろ?」
ジタの言うことはもっともだ。
他人の魔女の心臓を代わりにすることはできないが、魔力の塊として使用することは、砂の魔女ならば可能だ。
「とにかく、マグノリア、今回はお前の勝ちだ。心臓を奪い、カースを抜け殻にした。心臓の保管はお前に任せる」
「いいんですか?」
「今の俺には必要ない。必要になったら取りに来る」
彼の言葉に嘘はない。
竜の心臓を自分に移植したように、魔女の心臓も自分のものにするつもりだろう。
「そりゃあたしら全員を敵に回すってことだぜ?」
「それほど難しい話じゃない。お前らの限界は覚えた。勝てる仲間を育てる」
「そりゃ楽しみだ。人間の寿命じゃ無理だろうが」
「お前のような粗野な魔女にはわからないだろうな。人間の可能性はまだ俺でも測りきれていない」
「何様だよてめーは。……やめだ。もう疲れた。喧嘩も面倒くせえ」
「人間が追いつくまでその調子でいてくれ」
ジタはそう言ってシェルターから出る。
それからしばらくして、マグノリアの腕に激痛が走った。
「カースを攻撃したペナルティ、ね……」
その痛みを知るシエルが言う。
腕に刻まれた線は二本あった。
「どうして二本も?」
「あたしのシェルターにも攻撃したことになったんだろ」
「ああ、なるほど。えっ、じゃあこれ、バーンが防御しなかったら……」
「あたしとシエル、カースに攻撃を加えたことになって一発アウトだった。分かっててやったのか知らねえけど、ぶっ壊れてるぜお前」
痛みにうずくまるマグノリアは、小さく息をして、答える。
「だって、バジルだけに命は賭けさせられませんでしたから」
バーンも呆れた様子でため息をつく。
シエルは肩をすくめていた。
「これからどうする? 砂の魔女の心臓は、マグノリアが保管するってことでいいか?」
「はい。私が責任を持って守ります。絶対に見つからないところで、永遠に」
「引っかかる言い方だな。まあ、好きにしろ。あたしらの仕事は終わった。これでしばらくは被害も抑えられるんだろ?」
「おそらくは。それでも、何年持つか……」
「その時はジタに任せればいいだろ。軍隊作るんだろ?」
「言い逃げされたからって拗ねちゃって」
「シエル、余計なこと言うな」
「はいはい。私も、次はもうパスかも。結局今回もほとんど役に立ててないし。私が心臓を他の空間に隠してもいいけど、マグノリアなら隠し持つのも上手でしょ。じゃ、そろそろ帰るわ。あなたたちも帰るなら送るけど、どうする?」
「あたしはいい。しばらくこの辺に滞在するつもりだ。砂の魔女も見張っておきたいしな」
「マグノリアは?」
「私は、グラスネスの近くまでお願いします」
「グラスネスって、冒険者ギルドの?」
「はい。私たちの故郷なんです」
「……わかったわ」
「ありがとうございます。ふたりとも。さようなら――」
まばたきをすると、マグノリアはグラスネスの町の入り口に立っていた。
腕の中には、ずっしりと重い鉄の箱が残っていた。




