死なないで
どこまでも広がる砂の海。
視界の端から端までが均一な粒のさらさらとした砂粒に覆われている。
「元がどんな地形だったかわからないくらいとんでもなくでけえ砂漠だ。あたしも砂の魔女を探すのにかなり手間取った」
バーンが遠眼鏡を覗きながら言う。
茶会を開き、砂の魔女以外の十人全員と初の顔合わせを済ませたが、話が合うと感じたのは火の魔女バーンと空の魔女シエルくらいのものだった。
他の者は魔女の力を自分のために使うことだけしか考えていない。
他人を助けようとは微塵も考えない人間ばかりが魔女になっていたことをマグノリアは悔やんだが、今更どうにもできない。
「私でよかったの?」
水色の髪を靡かせ、空の魔女はその名の如く爽やかな笑顔を見せてマグノリアに聞く。
「はい。協力してくれる方はひとりでも多い方がいいので」
「でも、私のこと何も知らないのに、大丈夫?」
「バーンが信じているのなら、私から疑うことは何もありません」
バーンから彼女はかなり強いと聞いた。
強さというのは魔法の強さで間違いないが、魔女はそれぞれ与えられる性質が違う。
その中でも抜きん出て戦闘向きの魔法を使うと聞く。
「で、あの魔女同士のペナルティってのは一回ならまだ問題ないんだよな?」
確認するように、バーンが聞く。
「はい。三回目で強制的な排除が行われるので、正確には二回です」
「二回の攻撃でアレを攻略するのは難しいぜ?」
「逆よ。一回で無理ならもう無理ってことよ」
「良かったなマグノリア。シエルが一撃で決めてくれるってよ」
「ばっ、そんなこと言ってない! でも、それくらいの覚悟はいるわね。あなたの話を聞いた限りだと、私たちだって二回目の攻撃をさせてもらえるとは思えない。よくて相討ちでしょう?」
シエルと同じことをマグノリアも考えていた。
二度目の攻撃のチャンスはないだろう。
「それなんだが、マグノリア、魔女も砂になったら死ぬのか?」
「それが原因では死にませんが、回復には年単位で時間がかかると思います。人によっては数十年、数百年かかるかもしれません」
「魔力の性質次第か」
魔女の魔力は性質が個人で異なる。
通常の人間ならばあり得ない体質だからこそ、回復速度にも差が生じる。
「とにかく、やってみるしかない。他の厄介な人たちには任せられない仕事だし」
シエルはぐーっと背伸びをしたあと、脱力して魔力を高めていく。
雄々しく吹き上がる魔力は、まるで間欠泉のように凄まじい力を感じさせていた。
「砂の魔女の方角は?」
「北北西二キロ。こっから撃つつもりか?」
「まあ、空の魔女ですし。距離は関係ないよ」
余裕ぶった素振りの彼女のとったポーズは、弓を引き絞る姿だった。
もちろん、そこに弓は握られていない。
あるのは球状の魔力の塊だけだ。
彼女は少しだけ息を吸い、止める。
一瞬の静寂の後『それ』を放った。
蒼い『それ』は、マグノリアからは観測できないところまで飛んで、やがて破裂、爆音が響くと同時に砂漠の一部が消し飛んだ。
「爆弾!?」
「空間のね。爆発ってより急激な収束だけど、まあ同じことかな。……っと」
シエルの右手が砂に変わってさらさらと地面に流れていく。
「駄目かー。効いたと思ったのに」
「シエル、効いてないわけじゃなさそうだ。砂の魔女の半身が吹き飛んでいる」
バーンは観測を続けたまま、シエルの方は見ずにそう言う。
「でもあの軌跡でも辿られるんじゃ、魔法での戦闘はやっぱり無謀すぎるかもね」
「あ、あの、シエルさんの腕が……」
「大丈夫大丈夫」
彼女はへらへらと笑うと、何の躊躇いもなく肩から先の右腕を引きちぎってその辺に放った。
「痛いけど、対策はしてたよ。ああ、でも『これ』は、無理か」
彼女の左腕に赤黒い縦線が入る。
シエルは顔をしかめる。
「ペナルティ、思ったより痛いね。二本目なんてとてももらいたくないよ」
「腕をちぎるよりですか」
「今まで味わった中で一番だね。さて、どうしよっか。遠距離での攻撃が無意味なら私たちで囲んで一気に叩くのがいいと思うけど」
「その作戦なら、私の盾とも協力できるかもしれません」
「そういえばどこにいるの? あなたに盾がいることは知っているけど、姿が見えないわね」
「あっ、えっとここに」
地面から太いツタが持ち上がり、ゆったりと巨大な花を咲かせると、その中に眠ったバジルがいた。
「バジル、起きてください。予想よりも相手が強くて近接戦闘が必要になりました」
「……ん、ああ。しかしよく寝たな。睡眠性の花粉ってのはこんなに効くのか」
バジルは指をパキパキと鳴らすと、砂の魔女の方を見た。
「あれでも生きてるのか」
「見えるんですか?」
「目を凝らせば見えるだろ。そんで、どうする? 魔法はダメなんだろ?」
バジルの言う通り、魔法での攻撃はシエルが見せたようにほとんど弱点を曝け出しているのと変わらないようなものだ。
マグノリアがバーンの方を見ると、彼女は火柱の中から身長ほどに長い鉄槍を取り出していた。
魔力の通っていない、正真正銘鉄の塊だ。
「魔法がダメなら物理的に切り分けてしまえばいい。バラバラにして肉片同士を離してしまおう。たしかシエルとマグノリアは武器経験ないよな? あたしとこいつで行く」
彼女も元は金プレートの冒険者だ。
魔法だけしか扱えないはずがない。
「お前──バジルって言ったっけ? 期待していいのか?」
「忘れられるってのはやだね。野薔薇ってパーティ名聞いたことない?」
「悪いが一度もねえ」
「あ、そう……」
「まあでも、あんたがマグノリアの秘蔵の盾なのは理解している。だから、マグノリアへの信用にあたしは賭ける。お互い、相手のことは気にせず、目標を叩き潰すぞ」
「わかった。なんだか、懐かしい感覚だ」
バジルの武器はシンプルな剣と盾。
砂の魔女に有効なものとは到底思えない。
しかし、マグノリアはバジルを信じている。
狂信的とも言えるその信仰心は、バジルの作り物の肉体を、全盛期以上のものへと強化する。
「さて、奴が回復しきる前に行くぞ」
バーンが自身の背中から高音の炎を噴射し、一気に距離を詰める。
そのスピードよりも早く、バジルは駆けていた。
一撃目、半身が崩れた砂の魔女の首を跳ね飛ばしたのはバジルだ。
二撃目、高速で突撃したバーンが、砂の魔女を貫き、さらに大きく体を削る。
ふたりの表情に余裕はない。
どれだけ体を崩しても、砂の魔女の周囲の魔力は全く淀まないことが不気味でたまらないのだろう。
魔力の波に捕まらなければ砂には変えられない。
さすがに経験豊富なふたりであり、そこはうまく移動して砂の魔女の死角に入っている。
「……でも、効いてる気がしない」
シエルの言葉に、マグノリアも頷く。
遠くから見ているとよくわかる。
砂の魔女は、ふたりを見ていない。
自分を殺そうと躍起になっている者たちすら、風景の一部に過ぎないのだろう。
砂の魔女はゆったりとした動きで体を治し、やがて明後日の方を見つめる。
バーンもバジルもその異様さに気がついたのだろう。
攻撃の手を止めて、その方向を見た。
マグノリアの目には、それは鳥に見えた。
黒い点が、遠くから空を飛んで近づいてきている。
近くに来ると、周囲をびりびりとした魔力の波が襲った。
「そんな……」
その正体を知るマグノリアは唖然とする。
姿は白髪の老人となったが、見間違えることのない佇まいと、巨大な剣。
飛来したのはかつての仲間、ジタだった。
「どうしたの? 知り合い?」
「おかしいです! 生きてるわけ──」
最後に会ってすでに数百年が過ぎている。
ただの人間である彼は死んでいなければおかしい。
しかしその強大な魔力が物語っている。
何らかの形で人の姿を保っているのだと。
それは魔女とも魔女の盾とも違う方法だ。
魔力で無理矢理体を動かしているのではなく、彼は人間としての機能を維持したままここにいる。
「おおう、見たことのある顔もいるな」
「何をしに来た?」
バジルの問いは簡潔なものだった。
今の彼にジタと直接の面識はないが、マグノリアの植え付けた記憶だけはある。
自分が以前のバジルとは別人であると受け入れた上での問いなのだろう。
「砂の魔女を見に来た。というより、計画の一段階目に失敗してな。冒険者ギルドを襲ったが返り討ちにあってしまった」
「何だと?」
「お前らがこの遠く離れた土地にいる時を狙ったのだが、やはりあの女、くせ者だった。昔のお前と立てた仮説が正しかったようだ。見ろ、腹に穴を開けられた」
ジタが服を捲ると、腹部に大穴が空いており、向こう側が見えていた。
しかし、血は一滴も流れておらず、痛みもないようだった。
異様すぎる様相に、誰も言葉を発することすらできない。
「ふむ、こっちも噂以上だな。首を落としても死なないものをどうやって殺すか……」
ジタは周囲の人たちを完全に無視して砂の魔女をまじまじと観察する。
手を伸ばせば届きそうなところまでいるのに、砂の魔女からは何も仕掛けてこない。
「バジル、例え二代目だと言っても気がついているはずだ」
その言葉に嫌味はない。
バジルは考える間も無く答える。
「──ああ、砂の魔女は専守防衛だ。こちらから手を出さなければ殺されることはない」
「その通りだ。だが、気まぐれに周囲を砂に変えているのも確かだ」
バジルは現状を正しく把握できているとマグノリアも思う。
砂の魔女はもしかして、こちらから魔力的な接触をしなければ被害を最小限に抑えられる存在なのではないのだろうか。
「バジル──」
駆け寄って声をかけようとすると、バジルが手で制した。
「俺は盾だからマグノリアの考えがわかる。でもそれじゃ被害に遭う人はなくならない。災害のように事前に備えることも避難することもできない。出会ったら気分次第で殺される。そんな存在を俺は看過できない」
マグノリアの思いが言葉を介さずとも伝わるようにバジルの考えも理解できる。
バジルの性格からそう言うこともわかっていた。
竜に殺された時だってそうだった。
彼は自分の正義に殉ずるのなら、何も後悔を持たない人間なのだ。
マグノリアは体の芯が冷えていくのを感じる。
またあの時と同じだ。
今度は絶対に失わない。
「──バジル! 魔女として、主人として命じます! 砂の魔女から手を引きなさい!」
マグノリアは真剣に叫んだ。
頼みではなく、命令でなくてはならない。
「できない!」
バジルもそう叫んだ。
マグノリアは実感する。
彼は間違いなく自分の知っているバジルだ。
本物のバジルなら、例え命令されても自分の意思は曲げない。
ならばもう、実力行使するしかない。
「バーンさん! 離れてください!」
マグノリアは魔力を手のひらに集中する。
ただ戦闘を眺めていたわけではない。
溜めは十分に行っていた。
──盾には強制力のある命令を与える手段がある。
それは盾の意識のうちの具体的な部分を書き変えることだ。
その強さに対して相応の魔力を消費するが、これなら無理にでも砂の魔女を諦めさせることができる。
マグノリアの魔力総量はおそらくこの世界でも最上位だ。
しかし、そのマグノリアの魔力量をほとんど用いてすら、バジルを止めることができなかった。
マグノリアは勘違いしていたことに気がつく。
彼の根底にあるのは意志の力ではなかったのだ。
──純粋な戦闘本能。
自分よりも強い相手と戦いたいという純粋な欲求。
食欲や睡眠欲と同じような、生命活動の維持に必要だと身体が判断するほどに強力な本能。
マグノリアでも抑えられない。
(あのジタと仲良くできていたってことを忘れていた……!)
性格は違えど、本質的には近い。
ジタは分かりやすかっただけで、バジルもまた彼と同じ感性を持っていたのだ。
数百年の時を共にしても、それを理解することができなかった自分の力不足が悔しい。
結局、彼のことは何ひとつ理解できていなかったのだ。
彼──いや、彼らにはそれしかないのだ。
バジルもジタも、自分が最強になりたいわけではない。
ただただ、自分よりも強い相手に勝ちたいのだ。
マグノリアは諦めのため息をつく。
「……バジル、やりたいようにやりなさい。ジタ! 協力すれば勝てますか!?」
「勝てるかどうかわからないから面白いんだろう?」
ジタは楽しそうに笑う。
この絶望的な状況でこんな表情を出せるのは彼くらいだろう。
「どうか、死なないで……」
マグノリアの悲痛なつぶやきは誰にも届くことはなく、砂塵の中へと消えていった。




